米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に隣接する市立普天間第二小学校(児童数650人)の校庭に米軍大型ヘリコプターから窓が落ちる事故が起きてから13日で1年になる。事故後、学校上空に米軍機が接近する度に児童は避難を繰り返し、これまでの避難回数は少なくとも693回に達した。今も米軍機は学校周辺上空を飛び続けており、安全を優先して避難すべきか、授業を続けるべきか、学校現場で葛藤が続く。

 事故発生1年を迎えるのを前に桃原(とうばる)修校長が11日、報道各社の取材に応じ、児童の避難が続く現状について「教育を受ける権利が損なわれ、悲しい。(対応策は)何が正解かわからず、葛藤が続いている」と沈痛な表情を浮かべた。判断の慣れとともに避難回数は減少傾向にあるが、「学校外でも危険性は変わらない」として、児童には米軍機の向きや音を頼りに自ら危険を察知する能力を高めるよう指導しているという。

校庭に鉄筋コンクリート製の避難所

 事故は昨年12月13日、体育の授業中の校庭に重さ約8キロの窓が落下した。校庭の使用が今年2月13日に全面再開されてからは、防衛省沖縄防衛局が校庭や校舎屋上に配置した監視員が目視などで米軍機の接近を確認し、拡声機で避難を指示していた。8月末には校庭の両端に鉄筋コンクリート製の屋根付きの避難所が設置された。

 同小によると、校庭使用の全面再開以降、監視員の避難指示は678回あった。避難による度重なる授業の中断は集中力の低下を招き、児童のストレスも顕著になったため、学校側はPTAなどと協議し、全校児童の避難訓練を実施した9月12日以降は監視員ではなく、教員や児童が避難の必要性を判断する運用に変更した。その後、教員らの判断による避難は15回あった。

 事故後、米軍は「最大限可能な限り学校上空を飛ばない」と説明したが、11日も学校周辺上空で固定翼機が爆音をとどろかせながら飛行する姿が見られた。4年生と2年生の息子2人が通う会社員の古波蔵央子(こはぐらちかこ)さん(47)は「いつか大事故に巻き込まれるのではという恐怖心を持ち続けている。何事もなかったかのように飛び続けている現状が腹立たしい」と憤った。