女優の樹木希林さん(享年75)が2018年9月に亡くなってから、各方面から追悼とともに思い出や彼女の魅力を語る言葉があがり続けている。諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師(70)も、「がん」についての対談をきっかけに交流した思い出から、樹木さんのユニークで強い生き方について振り返った。
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10年以上前、樹木希林さんと何度か、がんについて対談したことがある。ぼくのどこを気に入ってくれたのだろうか、しばらくして、突然、樹木さんから電話がかかってきた。何事かと身構えると、ご自宅に誘われた。約束の時間を待っていると、自分で車を運転して、迎えに来てくれた。
マネージャーはおらず、仕事のオファーはファクスで、早いもの順。ギャラの交渉も自分でする。運転手はいないから、自分で車を運転していく。このスタイルは、亡くなるまで続いた。
ご自宅に通されて驚いた。コンクリート打ちっぱなしのモダンな造り。味のある家具がすっきりと配置されていた。物は選び抜かれたものだけ。大切なものは、洋服でも着物でも、その命が尽きるまで使い続ける。
むだなものを持たない生き方をするために、プレゼントもお土産ももらわないようにしていた。そのまま宅配便でお返ししてしまうこともあるというから、かなりの徹底ぶりだ。
「素敵な家ですね」と言うと、思わぬ方向へ話題が及んだ。施工中、大工さんに「ミスしても、すぐに直さないで」とお願いしていたという。「ミスはおもしろい結果になることもある。おもしろかったら、そのまま残しておきたい」
なるほど、と思っていると、樹木さんは自分の顔を指さしながら、ニヤッとした。
「この顔もミスなの」
美人女優ではないから、映画界で長くやってこられたと言うのだ。大笑いした。
がんについての対談でも、樹木さんの人となりがわかる話がたくさん飛び出した。末期がんでも、大きな感動を受けたり、奇跡のようなすごい景色を見たりしたときなどに免疫力が活発になる。がんが消退することも、ごくごく稀にある。ぼくがそんな話をしたとき、樹木さんは「そういうこともあるでしょうけれど、私にはない」と断言した。
「なぜ、私にはないかというと、自分を信じ切れないから。素直に感動せずに、どこかに自分の心に疑いをもっている。疑うことなくスポンといくような人にはそういう変化があるだろうなと思います」
自分自身との距離感がちょうどいい人だと思った。自分を憐れむでもなく、あきらめるでもない。冷静に、自分自身を俯瞰している。
「役者は、役に陶酔してはだめ。俯瞰していることが大事」というのは、樹木さんの役者論だが、彼女の生き方にも通じるように思った。
乳がんと言われたときも、俯瞰していた。2004年、樹木さんは映画の出演を依頼されていた。撮影はタイ。12月24日まで撮影し、26日から孫を呼んで、一緒にプーケット島でのんびりする計画だった。しかし、乳がんが見つかり、映画出演も、孫とのリゾートもキャンセルした。
すると、12月26日、スマトラ沖地震が発生。孫と過ごすはずだったプーケット島はもちろん、東南アジア全域に大津波が押し寄せ、多数の犠牲者を出した。「もし、孫に何かあったら取り返しがつかなかった。がんになってよかった」
樹木さんの考え方は、とても多面的だ。単に前向きとか、楽観的というのではない。樹木さんは一見、不幸な出来事も不幸一色ではなく、幸せな出来事も、いいことばかりではないということを経験的に知っていたのだと思う。
がんになった人生とがんにならなかった人生、華やかな美人女優とそうでない女優、どちらが損か得かなんて、単純には言い切れないのだ。
年が明けた2005年、彼女は乳がんの手術を受けた。このときのエピソードもおもしろい。医師に乳房の全摘手術と温存手術があるが、どちらを望むかと聞かれ、「先生は、どの手術がやりやすいですか」と聞き返した。医師が「全摘」と答えると、「じゃ、やりやすいようにやってください」
ぼくが、あまり悩まないんですね、と言うと、「よく人からそう言われるけれど、私だって悩む」と樹木さん。「でも、30秒」
30秒の熟考か、かっこいいなと思った。