朝夕のラッシュ、団塊の世代が通勤しなくなったおかげで少し楽になった路線あり、タワマン立ちすぎて電車に乗れない武蔵小杉民あり、諦めから悟りの境地に入る品川駅が通勤の聖地となり日々の巡礼で人々がごった返しております。いやあ、ストレスフルですね。

 

大多数の会社は気にすることなく9時5時

 知人が通勤地獄に疲れ果て、少しでも楽なところへと流山市に引っ越していったのですが、そこで待っていたのは「途中の駅からは絶対に座れないつくばエクスプレス」か「帰りの電車ですでに車内で酒盛りが始まっている常磐線」かを選択する人生だとこぼしていたので、世の中なかなか思うようにはいかないのであります。家を買ってみたら通勤で死んだって話はよく耳にするんですよ。まあ、少しはその辺調べてから買えよって思いますけど。

 

 それでも仕事がある限り間に合うように家を出るのが社会人の務めであり、いまや時短勤務やオフピーク通勤が叫ばれ、ネットではブラック企業叩きが続いているものの大多数の会社は気にすることなく9時5時に近い勤務体系を維持しているのが実際です。まあ、取引先に用事があって、面倒くささを振り切ってあさイチに電話を入れてみたら、担当者がまだ出社していなかった、みたいな鈍くさい会社には確かに発注したくなくなるのも人情であります。

フレックスだフリーアクセスだリモートオフィスだと先進的な感じで仕事を進めているのはICT系ぐらいのもので、先日用事があって顧問先に行ったら朝から高齢の会長が「朝礼」を仕切っていました。昭和にタイムスリップしたのでしょうか。いいえ、こっちがいまだ日本社会の標準です。働き方改革はどこに行ったのでしょう。

「迷惑な異物」の扱い

 そんな中で、通勤時間帯に出くわして「他に方法はなかったのか」と思う客がありまして、ひとつが赤ちゃん連れのお母さん、もうひとつが日本の通勤事情を知らずに闖入してきた、でっかいスーツケースを抱えた国内海外の旅行者さんたちです。どちらも、ダイバーシティを認めるべきという正論からすると守られるべき存在のはずが、毎朝のルーチンとマキシマムなストレスに晒されるサラリーマンの皆さんからすると文字通り「迷惑な異物」の扱いになってしまうわけであります。

通勤時間帯に赤ちゃんに遭遇すること自体はそんなに多くないのですが、そのレアケースではだいたい赤ちゃんは大泣きするのが常でありまして、赤ちゃんは泣くのが仕事だとすると大変仕事熱心で結構と私なんかは思うわけであります。ただそれは私自身が子供になれている育児世帯だからというだけかもしれません。

 

お母さんだって我が子をそんな修羅場に連れてきたくはない

 とりわけ、赤ちゃんだってお母さんの胸に抱かれてぎゅうぎゅうのラッシュに好きで乗ってきたわけでもないでしょうし、お母さんだって我が子をそんな修羅場に連れてきたくはないのでしょう。絶対、何か事情がある。会社の中に社員用の託児施設があり利用しているのかもしれない、いつもは来てくれるヘルパーさんやお祖母ちゃんが何かの都合でこれなくなり仕方なく職場近くのサービスに預けるのかもしれない。子育てを経験している人間であれば「ああ、お母さんも赤ちゃんも大変だな」と思うわけであります。

 しかし、現実は厳しい。私の見る限り、たまに席が譲られる程度で、通勤電車に無表情で揺られているサラリーマン諸氏が暖かい空気に母子を包んであげている光景を見ることは少ないのです。むしろ、苛立ち、舌打ち、腹立ちといった空気が車内を充満するように感じます。自分はとにかく揺れる電車の中で踏ん張って立っているのが精いっぱいのところで、ギャン泣きする赤ちゃんの声を聴くこと自体が耐えられない、苦難がもう一個増えたようなものだ、とむしろ「耐える」方向に行くしかないのです。

他人の事情を省みる余地がない通勤

 別に赤ちゃんや妊婦を排除しているつもりはないけれど、みんな自分のことに精いっぱいで余裕がなく、他のことや他人の事情を省みる余地がない。出口がないわけですよ。通勤ラッシュの時間帯を避けて子供は移動しましょう、みたいなことを言い続けるしかない。しかし、通勤ラッシュより少し早めの時間帯に電車に乗ると、今度は通学中の小学生が重そうなランドセル背負ってヨタヨタ電車やバスに乗ってるのです。

まるで小学生のうちから未来の企業戦士になるべく通勤ラッシュに耐える訓練をしているかのようだ。言われてみれば、私も小学校のころは満員の乗合バスに揺られて通学していたのを思い出しますが、とにかく辛み、しんどみしか記憶にないのです。満員バスの中で試験前に用意していた単語帳をうっかり落として、気づかないサラリーマンが次々と踏みつけてくちゃくちゃになり、半泣きになって学校に行った思い出。満員電車で通学していて吐き気を催し、ホームで降りて嘔吐して遅刻した経験が、脳裏に蘇ります。皆さんも満員電車の中で急な腹痛に見舞われてにっちもさっちもいかなくなった経験が、人生で一度や二度はあるでしょう。

 

 人間は社会的な生き物なので、活動時間帯が被るし、仕事であるからには行かなければならない、集団生活はどうであれ折り合って行かなければならないのは、理屈の上では分かるんです。どうにもならないことが、現実にはあるのだということも。ただ、技術が進歩して、昔とは比べ物にならないぐらい便利な世の中になったはずが、仕方なく電車に乗ってきたであろう赤ちゃんとお母さんに対してすら舌打ちしてしまう状況からなかなか改善しないのは何故なんだろうと思うわけです。

余裕がなくて、人の心を失いかねないような都市生活のストレスって、もう少しうまく捌けないものなんだろうか、それでも育児しなければならない環境ならば都市部の子育て環境は良くなるはずもないのだから、若い夫婦が共働きでも頑張ってもう一人産もうってならないよな、少子化も進まざるを得ないよなって。

 

「お前も辛い思いをしろ」と言いたい人もいるのかもしれないけど

 いまでこそ、普通に男性も女性も社会に進出して当たり前ってなっているけど、実は出産と育児に携わる女性に「働きに出ろよ」っていう負担のほうが、実際には大きいんじゃないでしょうかね。専業主婦が良いか悪いかとか、働くキャリアが出産・育児で途絶えるのがどうという議論だけでなく、待機児童解消のために何十億かけて、園児一人当たり50万円以上の公共コストを払うぐらいならば、子育てしている家庭に50万円分のクーポンでも出してあげて、働きたければどうぞ、自宅で育児したければどうぞっていう選択が各家庭に与えられたほうがフェアだと思うんですけどね。

子供が生まれたので育児に専念して働きたくない男性も女性もいるだろうし、本当に子供が大事だ、出生率を引き上げたい、子供に優しい社会にしようという話なら、働くより子供と暮らす選択をする家庭という選択も用意してあげるべきなんじゃないかってのは感じるわけです。

 働く女性が子供の預け先に困って一緒に満員電車に乗って乗客に舌打ちされてしまう状況そのものがディストピアだし、私が子供のころだった昭和のまんま、平成が終わろうという時期にもまだ、みんな満員電車乗ってるわけですよ。「みんな辛い思いをしてきたのだから、お前も辛い思いをしろ」と言いたい人もいるのかもしれないけど、そこで苦労してもなあ、と。