戦前、都内には2900軒以上の銭湯があった。それが戦争で400軒ほどに激減した。その後、日本の経済成長と人口増と軌を一にして増加したものの、内風呂の普及から1968年の2687軒をピークに減少。文京区のように1960年代後半の60軒以上がここ50年ほどで6軒と10分の1以下にまで減っている例もある。
 
今でも都内では週に1軒は潰れるとさえ言われる斜陽産業、銭湯。だが、本当に斜陽なのか――。そんな疑問を抱いたのはある廃業した銭湯を見学して、周辺を歩いていたときだ。古いままの設備では若い女性は来ないだろう。小さな木造家屋が並び、寂れた商店街が続く町では銭湯でなくても潰れるだろう。だとしたら銭湯のすべてが斜陽というのではないのではないか。まちや設備、経営に問題があるのではないか……。

■生き残り最低限の条件は立地と設備だが…
 
 そこで、まずは繁盛している銭湯を見て回ることにした。調べてみるとかなりの繁盛店があるのだが、まずは品川区にある清水湯を訪ねた。武蔵小山駅から歩いて5分ほどの好立地にある清水湯は、1994年に温泉掘削に成功し、2006年に2本目を掘削。その時点で建て替えられ、2代目となる川越太郎氏が後を継いだ。
 
 2種類の温泉が銭湯価格で楽しめるとあって現在に至るまで入湯客は右肩上がりに増え続けており、土日には洗い場がいっぱいでカランを待つ人が出るほど。もっと風呂場を広くしておけばよかったとうれしい悲鳴を上げているという。

 品川区では人口、武蔵小山駅では駅乗降客数がともに増えており、若い世代の流入もある。今後、駅前にタワーマンションが完成すれば人口はさらに増えるだろう。廃業した銭湯のあったまちに比べると、まちとしてのパワーには雲泥の差がある。
 
 加えて設備が新しく、温泉という内風呂にはない魅力がある。川越氏によると、今やっていけている銭湯は、情緒を売りにする下町エリアを除けば、建て替えなどで設備が更新されているところだという。だが、簡単に建て替えられないところに銭湯の難しさがあるのだとも。
 
「銭湯の所有形態は3種類。土地、建物ともに所有しているのが全体の2割ほど。残り8割は、土地は借地で建物は自己所有、あるいは土地、建物ともに地主所有というケース。その場合の建て替えはかなり難しいのです」と川越氏。清水湯の場合は借地だったが、川越氏が地主宅に通い詰めて購入に成功し、建て替えることができた。
 
 自己所有なら自分の判断で建て替えられるが、借地の場合は地主に多額の承諾料を払う必要があり、一般的な建て替えより費用が嵩む。また、建て直すとなるとRC造にせざるをえず、固定資産税が上がる。それを地主が嫌がれば建て替えは不可能。つまり、今ある銭湯のうち、借地上にある約8割には消滅の不安があるというわけである。

■立地のよさは両刃の剣
 
 そもそも、まちとして元気な場所にある銭湯の場合、立地のよさは両刃の剣だ。厚生労働省の「生活衛生関係営業経営実態調査」(2012年度)によると銭湯の敷地は平均で1264.4㎡。十分にマンションが建つ広さで、実際、廃業した銭湯の多くは住宅になっている。また、周辺が多少寂れていても23区内の地域の中心とも言うべき場所にある銭湯は格好の住宅用地。そこに権利関係の問題が重なる。
 
 加えてもうひとつ、銭湯業界独特の理由がある。厚生労働省が主管する公衆浴場法は銭湯の個人経営者の経営継承は相続人でなければいけないとの制限を設けている。そのため、所有者である親が他人に経営してもらってでも銭湯を残したいと切望しても、息子、娘などの相続人に残すつもりがなければ、営業を引き受けてくれる人がいても継続はできない。

 これは銭湯に限ったことではないが、経営に携わっている長男は残したいと考えても、残りの兄弟姉妹がそれよりも土地を売って遺産分割しようと言った場合も同様。後継者がいない場合も含め、相続時に消滅する銭湯が多いのはそうした理由からだ。
 
 だが、銭湯のこれからに期待する人も少なくない。続いて訪れたのは、杉並区高円寺にある小杉湯。都内の銭湯1日当たりの平均入浴人員が132人(2017年)という状況下、週末には1日500人が押し寄せる人気銭湯の3代目、平松佑介氏も銭湯に明るい未来を描く1人だ。
 
大学卒業後、住宅メーカーに勤務し、30代で人材関連の会社を創業した経験がある平松氏は、家族で長時間労働が当たり前という銭湯運営の大変さを認めたうえで、それでも起業時のつらい経験があるから頑張れると話す。「入浴人員が100人でも、500人でも働く人は番台と裏方の2人だけで固定費は変わらない。番台はパートでもよく、裏方もずっと張りついている必要はない。やりようはあります」。
 
 ところが多くの銭湯はすべてを家族でやろうとして疲弊してしまう。回すことだけで手いっぱいでサービスは後回し、子どもに後を継ぎたくないと言われるようになってしまった。公衆衛生の観点での銭湯は内風呂が一般化した30年前に終わっている。違う形を模索すべきだったのに変われなかった。しかし、そこにチャンスがあると平松氏は考えている。

 「遅れてきた業界だから、情報発信も含め少し新しいサービスを提供すれば話題になる。伸びしろがあるのです。好きな人が多く、取り上げてももらいやすい。新規参入がないのでIT業界のような熾烈なレッドオーシャンに比べたら、ブルーオーシャンとも言えます」
 
■カギを握るのは家族以外への事業継承
 
 2017年にNHKの「けさのクローズアップ」で取り上げられ、話題になった埼玉県川口市の喜楽湯を経営する中橋悠祐氏も銭湯に未来を見ている一人だ。何しろ、銭湯好きが嵩じて経営側に回ってしまったのだ。

 家族で代々経営するのが当然の銭湯業界では自分たちができなくなったときに他人に任せるという発想がない。そのため、やりたいという人がいても継承が難しいのが現実だが、中橋氏の場合には運営していた「東京銭湯」というメディアを通じて複数の銭湯を所有するオーナーと出会い、任された。自分のようにやりたいという外部の人間が入ってこられるような仕組みができれば、業界も変わるのではないかと経験を踏まえて中橋氏は言う。

 以前は楽器業界におり、バンドもやっているという中橋氏は銭湯を知らない世代に親近感を持ってもらおうと銭湯を舞台にイベントを開催。女性客増を狙って無料で使える化粧品などを用意する、脱衣所に漫画を置いて、来るのが楽しい場所にするなどなど、あの手この手のサービスを展開。経営を引き継いで1年ほどで入浴人員を1.5倍ほどに増やした。しかも、当初はほぼゼロだった10代~20代を含め、若い層が増えたという。外の目でサービスを再考すれば、客は増やせるのである。
 
銭湯業界は閉ざされた環境になりがちだと中橋氏。「長時間労働でひとつの場に縛られていると、人間、視野が狭くなります。家族経営だとなおさら閉ざされてしまう。その状態で社会の変化に対応するのは難しい。業界全体で新たな人材、考えを受け入れる体制がないとまだまだ淘汰は進むでしょうね」。
 
 未来を見ている経営者たちは今、業界には追い風が吹いているとすら感じている。消滅しつつあるという危機意識が銭湯に郷愁を求める人を増やしている面もあるが、清水湯の川越氏はそれ以上にネットの普及がリアルを求める傾向につながっているという。

 「人は仮想空間だけでは生きられない。ネットの存在が大きくなればなるほど、リアルを求める。湯で身体が温まる、そのリアルさが求められているのです」
 
■「危機はチャンス」という経営者が生き残っていく
 
 小杉湯の平松氏は町をひとつのホテルと見立てる宿泊施設の増加に期待する。有名なところでは谷根千にある宿「hanare」だ。宿泊施設自体にはレストランも大浴場もないが、そこは町に出て食べ、入浴してもらえばよい、そのほうが町を味わってもらえるという考えである。観光客が増え、いわゆる観光名所以外を面白がる人たちが増えれば、普通の生活のある町も観光資源になりうる。

 「町にある店舗が競い合うのではなく、協働することで価値を高め、観光客、移住者を惹きつけ、活気を生むことができる。銭湯はその中心になれる存在だと思っています」
 
 立地、権利関係、相続などといった問題を考えると、今後も銭湯は減少するだろう。続けたくとも続けられないケースも多々あるに違いない。だが、その一方でそうした問題をクリアし、これまでになかった経営感覚を持ち込めたところは行き残るだろうし、逆に希少価値を持つことになるかもしれない。その意味では銭湯に限らずほかの業種にも当てはまるが、「危機はチャンス」と思える経営者が生き残っていくわけだ。

 個人的には「きついこともあるけれど楽しんでやっている」という中橋氏の言葉が印象に残った。たくさん稼ぐより、自分が好きなこと、情熱を注げることをやりたいという働き方の変化もまた、銭湯の存続を左右する要素なのである。