〈ろくでもない「財務事務次官」のセクハラ音源〉週刊新潮
東京の官庁街に程近い繁華街のバーでは、仕事を終えた若い記者たちが夜な夜なこんな雑談を繰り返している。
女「ホント、あの局長、毎晩電話かけてきて、めっちゃウザいんだけど」
男「でも、邪険には扱えないしねえ」
女「『オレから記者に電話してあげるのは珍しいよ。わかってる?』なんて、恩着せがましく言ってきて。超ムカつく」
男「そこまで幹部に食い込めて羨ましいよ。特ダネ、もらっちゃえ」
女「あ。また電話。ふぅ……。外で話してくるから、ちょっとごめん」
男「ああ、いいよ。ちゃんと仕事して」
永田町を遠巻きに眺めている私も、彼らと同じ店に居合わせることがたまにある。そのせいか、霞が関の事情には疎いはずが、「悪名」に聞き覚えがあった。
福田淳一・財務事務次官。官庁の中の官庁における、エリート中のエリートが、平成末期に「渦中の人」となった。
「浮気しようね」「おっぱい触っていい?」「手しばっていい?」……。
文藝春秋の誌面で紹介するのも憚られる卑猥な肉声が、幾度もテレビで流れた。中には社説で引用した全国紙もあった。
事務方ナンバー2の国税庁長官が文書改竄なら、ナンバー1はセクハラ。財務省、否、日本の中枢はとろけている。
配信元のニッポンを代表するおっさん雑誌・週刊新潮は、奇しくも行き場のないセクハラ被害者の駆け込み寺となった。長らく「文春砲」の後塵を拝していた新潮ジャーナリズムを久々に見直した。
告発したテレビ朝日の女性記者には拍手を送りたい。彼女の勇気が「病める財務省」の実態を詳らかにしただけでなく、女性たちにとって、政界取材の現場がいかに時代錯誤で、理不尽な労働環境であるかを白日の下に晒したからだ。
時代の転換点を見る思いがした。
なぜ、彼女はテレ朝で報じられなかったのか。なぜ女性に「セクハラ次官」を担当させ、2人きりの深夜取材を認めていたのか。新潮の続報を読んでも腑に落ちない点を考えていると、マスコミが抱える「不都合な真実」が思い浮かんだ。
人様の言葉で禄を食む記者にとって、立場の強い人からいたぶられるのは日常茶飯事。それに耐えてこそ一人前とされる。経験を積むほど、それが理にかなっていると思うものだが、所詮はおっさんに都合の良い村社会の因習に過ぎない。
おっさんの扱いに長け、清濁併せ呑む記者が男社会では「女傑」(男は「男芸者」)と称えられ、社内の評価が高まる。そういう風土が情実人事を生み、強靱な組織を蝕んでいく――。報道機関で働く誰もが一度は目にする無残な光景である。
「こんな職場はうんざりだ」と、悲鳴が聞こえる記事が、新潮と同日発売の週刊文春にもあった(「フジテレビなぜだ!最後の砦『プライムニュース』に2大醜聞」)。
フジテレビ政治部の女性記者が男性上司から誘われたデートの途中で帰った。後日、部内で共有されるメモが届かなくなった。例の財務省で敏腕記者として知られた別の女性の受難も書かれていた。
さらに、看板記者の元不倫相手が明かした交際中の会話を目にし、閉口した。
「『政権が圧力をかけてきたらどうする?』と私が聞くと、『余裕で屈する、屈する』と淀みなく答えていました」
テレビ局も、ろくでもない。
志ある若い記者がもっと働きやすい環境に変えねば、我らおっさんの如く業界全体が権力に甘く憶病な姿勢になると恐れている。さもなくば、国民の知る権利を阻み、独裁者が蔓延(はびこ)る世界の片隅で守ってきた穏健な民主主義は壊れていく。
新潮のスクープが問うのは、政治を伝える側にいるおっさんの常識でもある。