東尋坊パトロールする元警察官 

活動の原点となった悲劇とは

 

 定年退職までは、家族のため、会社のために働いてきたけど、リタイアしてからはどうしよう──そんな、「第2の人生」のスタート地点で、選択肢の一つとして出てくるのが、ボランティアだ。“これからは、社会のために”と一念発起し、「定年後ボランティア」で汗をかく老後を選んだ人に密着した。

 自殺が多発する東尋坊(福井県)で、双眼鏡を片手に歩く男性がいる。週6日、午前11時から日没まで、自殺をしようとしている人に声をかけ、保護する活動を続ける茂幸雄さん(73)だ。

 

 急峻な地形を昇り降りするが、「気力があるから何ともないよ。体力作りになるし、何よりボケ防止だ」と笑う。

 

 茂さんは福井県警の元警察官。交番勤務を経て防犯課(現・生活安全部)の刑事に。2003年、福井県警三国署の副署長になり、2004年に退職した。現役時代から東尋坊を見回るのが日課だったという。

 

 14年前、茂さんは一組の高齢のカップルを保護した。話を聞き、地元の福祉課に引き継いだが、自殺対策基本法成立以前の当時、そのことがかえって悲劇を生んだ。

「役所の窓口をたらい回しにされ、誰にも助けてもらえず、3日後に神社で首を吊り死んでしまったんだ」

 

 それが活動の原点となった。警察も行政も救えない自殺志願者のため、定年後にNPOを設立。以来、13年5か月間で606人を保護した。保護するだけでなく、立ち直りまで付き添うのが信条だ。

 

「数年前に保護した20代後半の女性と生後間もない男の子は、今も毎年会いに来てくれる。助かった命が、成長した顔を見せてくれるのは生き甲斐だよ」

 

【団体DATA】NPO法人「心に響く文集・編集局」:福井県警OBや元教員、看護師などとともに2004年に設立。東尋坊で統計的に自殺の少ない水曜日を除く毎日、2人1組でパトロールを行なう。これまでに保護した人数は606人。

 

 

 

 

 

 

 

 

勝たなくてもいい。死んだらあかん! 茂 幸雄さん(元警察官、NPO法人「心に響く文集・編集局」

 

 

茂 幸雄(しげ ゆきお)
1944年、福井県生まれ。福井県三国警察署(現・坂井西署)勤務時代に東尋坊で自殺防止のパトロールを始め、定年退職後、NPO法人「心に響く文集・編集局」を設立。自殺しようと同地を訪れた人を思いとどまらせるために、日々パトロールにあたる。著書は『東尋坊の茂さん宣言』『自殺したらあかん!』(共に三省堂)など。

──自殺防止のパトロール活動を始めたきっかけは。

私たちの活動の拠点、福井県・東尋坊は、絶壁に日本海の荒波が打ち寄せる景色で知られる観光地です。しかし、ここは、全国から自殺志願者が訪れることでも知られています。

私はもともと警察官で、最後の赴任地がこの東尋坊を管轄する三国署でした。私は実際に、その現場に出動し、ご遺体の検死をすることも多々ありました。そのたびに、なんともいたたまれない気持ちになりました。そして、〈なんとかして、大切な命を守ろう〉と、勤務時間外に東尋坊でのパトロール活動を始めるようになったのです。


──自殺を踏みとどまった人の、その後のケアも大事にされているのですね。

はい、パトロール活動も大事ですが、それ以上に大切なのが保護した後のケアなんです。

 
あれは現職時代のことでした。松林の近辺で年配の男女がたたずんでいました。そのうつろな表情から自ら命を絶とうとしていることが分かり、声をかけました。二人は涙ぐみながら、事業に失敗し多額の借金を抱え、もうどうにもならないと思い、ここへ来たことを語ってくれました。話をしたことで少し安心したのでしょう。表情も和らぎ、再起を約束してくれたのです。その後、二人を地元役場の福祉課に保護を依頼し、ことなきを得たかに思えました。ところが、数日後のこと。一通の手紙が私のもとに届きました。それは二人からの遺書でした。行政機関の窓口を何か所も転々とした挙げ句、必要なサービスが受けられずに、二人は失意の中、この世を去ったのでした。

悔やんでも悔やみきれませんでした。このときほど、自分を責めたことはありません。自らの無力さを痛感したと同時に、「もう絶対にこんな悲劇を繰り返したくない」という祈りにも似た気持ちがわいてきたのです。

そこで私は、自費で新聞広告を出して、広く世間に訴えることにしました。自殺を思いとどまったり、自殺願望を克服した人から作文を募集し、それを『心に響く文集・編集局』と名付けて自費出版したのです。

これがのちのNPO法人の団体名となりました。保護した人をどうやって自立させていくかにも力を注いでいます。やり直すためには、仕事や収入が必要ですし、住む場所も確保しなければなりません。そこで、アパートを六部屋借り上げて、そこに仮住まいをしてもらっています。


──現在の活動状況について教えてください。

私たちの活動は、当初地元の観光協会からは「イメージを損ねる」と猛烈に反対されて、1年ももたないとささやかれていました。しかし、おかげさまで今年10年めを迎えます。少しずつ賛同者も増え、未遂者の再就職のあっ旋をしてくれたり、住居の提供を申し出てくれる人まで現われてきました。また、登録ボランティアは100人近くまで増えています。このうち20名が3人一組となり海岸線でのパトロール活動にあたり、午前中から日没まで、岸壁沿いをくまなく歩き回っています。今日までに保護した人は416人(平成25年2月現在)にのぼり、東尋坊での自殺者の数もここ数年減少しています。


──自殺しようと考えている人とふれあうとき、どのようなことを心がけていますか。

古い友人が来てくれた、という思いで接することでしょうか。ただ一つ言えることは、お説教や叱咤激励は無用だということです。いくら言葉を尽くして説得しても、相手の心には少しも響かないからです。反対に、相手を追い込んでしまいかねません。

 

 

自殺した人の大半は、雨天ではなく、空がカラッと晴れ上がった日を選んでいます。これは何を意味しているのでしょう。自らの命を断とうとする彼らは「死にたい」のではなく、「死にたいほど、苦しい」のです。その気持ちを他の誰かに分かってもらいたいんです。心に響く優しい言葉をかけてもらいたいのです。その声なき声に耳を澄ませていくのが私の役目です。

あるとき、岩場に立った20代の男性は一流企業に勤める会社員でした。ところが、現在の部署に異動してからというもの、上司のパワハラに遭って精神的にまいっていたのです。私は彼の背景にある苦しみや悲しみにじっくりと耳を傾けました。何が原因で死にたいという気持ちになっているのか、生きていて一番よかったと思う時期といまとでは何が違うのか。どこで変わってしまったのか。それを一緒になって考えていったのです。その後、彼は見事に立ち直っていきました。見違えるほど表情も豊かになり、本来の明るさを取り戻していったのです。



人を「死にたい」という気持ちに追い込む原因はなんだと思いますか。

ひと言でいうと、“思いやり”が欠如した現代社会にあると思います。悩みを抱えていても、親身になって聴いてくれる相手がいない。どんなにつらくても、手を差し伸べてくれる人がいない。自ら命を絶とうと思い立つ皆さんに共通しているのは深い心の闇に閉ざされた孤独感です。その孤独感が自分を追い込み、やがては死へと向かわせるのです。

生きていく上で、人には無償の愛で包んでくれる存在がどうしても必要なのです。あなたの身の回りで苦しんでいる人がいたらぜひ手を差し伸べてください。耳を傾けてください。その温かい言葉がその人を救い、ひいては周囲を明るく照らす灯となるのです。