ナイショで吉原に行ったのを

きっかけに、大僧正へと出世した僧侶

 

『江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。
天明(1781~1789)のころ、芝の増上寺に霊瞬という、美貌の修行僧がいた。 


 あるとき、霊瞬は友人に吉原にさそわれた。本来、僧侶は女郎買いをすることは禁じられているが、霊瞬は若さも手伝い、
「では、一度だけなら」
と、僧侶の身分を隠して吉原に行き、琴柱という遊女を買った。
琴柱は霊瞬を心憎からず思ったのか、「これからも、たびたび来ておくんなんし」と、切に願う。


霊瞬も琴柱が忘れられず、一度だけのつもりが、その後もしばしば吉原に出向いた。

親しくなってから、琴柱に身の上を問われ、霊瞬は自分は僧侶であり、修行中の身であると、ありのままに話した。


「修行を積めば、末々は高い位につき、よい寺を持たせてもらえるのでありいすか」


「学問と修行をはげめば、あちこちの寺に移り住み、うまくいけば大僧正になれるかもしれない。しかし、僧侶の世界も要所に金を贈らなければ、なかなか引き立ててもらえなくてね」


霊瞬は僧侶の出世の仕組みを正直に話して聞かせた。琴柱はじっと聞き入っていた。

 つぎに霊瞬が吉原を訪れたとき、琴柱がしみじみと言った。


「ふとした縁で、おまえさんとこうした親しい仲になることができました。これも前世の因縁というものでありいしょう」


 そして、ひと包の金を取り出し、男に渡した。


「この金を元にして、出世してくださりませ。今宵をかぎりに、もう、ここに来てはなりません。今後、女に近づくこともおやめなされ。わたくしは近いうちにこの世を去りますが、あの世からおまえさんを守ります」


霊瞬は最初、金を受け取ることをこばんだが、琴柱にぜひとも受け取れとせがまれ、ついに受け取った。

その後、しばらくして、琴柱はみずから命を絶った。人々の噂によると、琴柱は乱心したとのことである。


霊瞬は驚き、悲しんだが、もうどうすることもできない。ひそかに琴柱に法号をつけ、日々、回向をしていた。

一年ほどたつと、琴柱の記憶も薄れてくる。霊瞬は友人にさそわれ、品川宿の女郎屋に行った。


ところが、いざ女郎と床入りしようとしたところ、ありし日の姿のままの琴柱が霊瞬の眼前に現われ、
「誓ったことを忘れたのですか」
 と、叱りつける。


恐怖に襲われた霊瞬は女郎と寝ることなく、逃げ帰った。


 その後、また遊里に行ったが、琴柱が現われることは前と同じである。ついに霊瞬も決意を固め、その後は女に近づくことなく、ひたすら修行にはげんだ。
晩年、ついに京都の知恩院の聖誉大僧正となった。

『兎園小説』に拠った。
滝沢馬琴は文政八年(1825)、友人らと、各自が取材して持ち寄った奇談を披露する兎園会を開催した。この兎園会で発表された奇事異聞を編集したのが『兎園小説』で、現代の意味の小説ではなく、いわばノンフィクションである。

 ところで、遊女の琴柱はなぜ自害したのだろうか。
 すでに病を得ており、自分の死期を悟っていたのかもしれない。自分の菩提を弔うことを霊瞬に託したのだろうか。