いつも厳しい事ばかりのポーちゃん節ですが、今回はちょっと趣向を変えて懐かしい「昭和の失恋三大歌謡曲」についてお話ししたいと思います。
復縁を望むほど恋に執着する心情って辛いし、理解してもらえないし、このブログでは厳しい事が書かれてるし…。

でも、他の復縁応援サイトの言葉は「復縁はできます!」って簡単に言い切ってかえってうさん臭い…。

 

でも、孤独に陥る事はない。誰だって失恋は辛い。

辛いあまり復縁復縁と騒いでいると思いますが、そもそも失恋したと言う状況をきちんと受け止めているのか?

受け止めてない人は受け止めましょう!

いやでも受け止めてしまう昭和の良い曲を紹介します!

今で言う「J-POP」が、その昔「歌謡曲」と言われていた時代の曲です。

そもそも、どの時代でも流行歌のほとんどは恋愛をテーマにしていて、その半分は失恋の辛さ切なさを綴ったものだと言っても過言ではありません。

昭和生まれの偏見かもしれませんが、平成っ子の失恋ソングは軽い!!

昭和と言う時代、長いだけあって激動の時代でした。昭和は深いですよー。濃いですよー。


今回、昭和を代表する「大失恋ソング」を時系列に3曲挙げます。
平成生まれの方は聞いた事もない、と言うものもあるだろうからYouTubeなどで探してみると良いかもしれません。
これらの曲から感じる、失恋による喪失感、粘着性、執着などを考えていきたいと思います。



■あばよ 1976年 歌:研ナオコ
失った恋への粘着性★☆☆☆☆

これは泣かせる!
研ナオコが歌っているから良いと言うのは否めない。
歌詞の状況としては、優しい男と思って付き合っていたが、飽きられてしまったのか何度訪ねて行っても居留守を使われる。
あの人は自分には似合わないと言い聞かせ、自分で自分を必死に慰めようとしている健気な心情が綴られている歌です。

個人的には失恋した時はこんな感じです。

悲しいメロディと歌詞に反してリズムは軽快な三拍子、気持を引きずりながらもけじめを付けようとする必死感が伝わってきます。

現代で言う所の「着信拒否」「ブロック」された状態で自分がどう言う立場か思い知り、これ以上惨めにならないように気丈に振る舞う様子が研ナオコの姿と重なり、素晴しい歌唱力がその効果をいっそう引き立てています。
今回挙げる曲の中では一番のポジティブシンキング。(これでも!)ポーちゃんの一番のおススメです。


■恋人よ 1980年 歌:五輪真弓
失った恋への粘着性★★★☆☆

これは暗い!とにかく、暗い。
無理に強がって立ち直ろうとするよりも、まずここは素直にこの曲を聴いて共感し、思いっきり心を闇に沈めて失望感に苛まれた方がのちのちさっぱりするかもしれないません。
歌詞の内容は、とにかく失恋をなかった事にしたい。別れた恋人にすがりつくようなメッセージが中心ですが、力強い歌唱力のせいか、なぜか惨めさはあまり感じさせません。
失恋に対して、悔しさと荒ぶる気持をぶつけて相手を責める激情派、なかなかの執着ぶりです。


■難破船 1984年 歌:加藤登紀子
失った恋への粘着性★★★★★★

星が6つ付いちゃいました!(爆)
この曲は数年後に中森明菜がリリースしたものが印象が強い。
時はバブル。贅沢三昧、お金さえあればなんでも手に入る豊かな時代でも人の心は手に入らない事もある。
自殺未遂まで起こし、自身の境遇と重ね合わせているのかこの曲を歌いながら度々涙を流す明菜の痛々しい姿がファンの心を震わせる一曲。
歌詞の内容は、恋人の心変わりで失恋し、別れに応じるがどうしても納得できず、街をひとりでふらふらと歩く様子を歌ったもの。
できるなら相手を道連れに死にたい気持が恐ろしくも痛々しい。

この曲だけが、はっきり相手の心変わりが原因で失恋に至ったと歌詞から読み取れます。
恋人を盗られたドロドロ感も加わり、粘着ぶりは怨念を感じるレベルです。



すべて歌唱力も抜群で歌い手自身の魅力に溢れています。いいですね、この時代の曲って。
この3曲、目下失恋中の人にとっては涙を流さずに聞く事はできない、大失恋ソング。
まあ、時代を超えても人間が感じる事なんでさほど変わりはないのです。

失恋の苦しい気持を抱えてるのはあなただけではないよ!
「誰も私の気持をわかってくれない」なんて甘ったれてる場合ではない。
むしろ、失恋の喪失感なんてわかりすぎるほどわかりやすい。よくある話なのだ。
それなりに苦しいけど、大袈裟に人生や命をかける事柄ではない。

なくした恋よりももっと素晴しいものを手に入れる努力をしながら、余裕があれば復縁を目指せば良いのです。
歌の世界に浸ってたっぷり泣いたら、明日から少し気持を切り替えて元気に暮らそう!