南国ハワイから、アリゾナ州フェニックスへ。〜アリゾナライフ〜 -37ページ目

南国ハワイから、アリゾナ州フェニックスへ。〜アリゾナライフ〜

南国ハワイ生活、13年。
意を決して、アリゾナ州フェニックスへ引っ越すことに。さて、どうなることやら...。

お義父さん、きっと自分の最期を予期していたんだろうな。今はそう思います。


結局、病院ではもう何の処置も出来ないということで、ホスピスケアに移行されました。ほぼ強制的に。
そして、なぜかホスピスケアになると、突然お金がかからなくなります。

お義父さんの場合は、ホスピスセンターに入院するのではなく、自宅看護で週に数回看護師さんが訪問してくれるという形になりました。
ベッドやら車椅子やらウォーカーやら、必要なものは全て配達してくれて、うちの自宅で最期を迎える準備が着々と進んで...。

私はあくまでも義理の家族なので、かなり冷静に対応出来ましたが、リキオはまだどうにか治療法があるのでは無いか、お金さえ用意出来ればどうにか治してもらえるのではないかと色々と模索していました。
その姿を見ているのが本当に辛かった。
痛々しくて、見ていられなかったです。


お義父さん、病院からうちに来て、少しホッとしているようでしたが、数日後、抜いた腹水がまたパンパンに溜まってしまい、呼吸が苦しいと救急車を呼んで、また病院へ。
もう痛みも相当酷いはずでしたが、モルヒネを打つ事を拒み続け、それでも体内の塩分濃度がかなり低くなっていたので、意識混濁が始まり、もうこれはあと数日かな...と、みんながみんな病院で最期を迎える覚悟を決めた時に、お義父さんは「家に帰りたい」と言ったそうです。
リキオはお義父さんのその思いを叶えるため、病院側を説得してお義父さんを連れて帰って来ました。
ホスピスから看護師さんが来て、いくら本人が嫌がってもモルヒネをあげなくてはいけない状況だと説明を受け、もう注射では身体が吸収しないので、口から飲ませることに。薬のあげ方を説明してもらい、私が薬をあげる役に。

看護師さんが帰ってから数時間後、薬をあげた後にお水が飲みたいというので、スプーンで2口ほどお水をあげました。
お水を飲んだ後、喉がガラガラと音を立て始めました。苦しそうに手を動かすので、これはちょっと様子がおかしいと、仮眠中だったお義母さんと、トイレに行っていたリキオを呼んで、お義父さんを座らせてあげました。
座らせてあげると、少し楽になったのか、深い呼吸を数回。

お義母さんの腕の中で、右手はリキオにしっかりと握られながら、ゆっくりゆっくり目を閉じました。

お義父さん、永眠。

安らかな最期でした。

アリゾナに来てから12日後、末期の膵臓癌と宣告されてから17日後。
あまりにも早すぎる最期でした。



お義父さん、お疲れ様でした。
天国でゆっくりゆっくり休んで下さいね。


リキオも、自分を責めないで。
あなたのせいでお義父さんが亡くなったわけじゃない。
自分の力不足で、治してあげられなかったなんて、そんな風に考えないで。
リキオを見ていると、私の心が痛み出します。


癌の宣告を受け、パニックになったハワイにいる家族達は、全くリサーチもしないまま、お義父さんとお義母さんをアリゾナへ送り込み、リキオに全責任を押し付けて。
私、かなりムカついてます。

怒りがフツフツと....。

この続きはまた次回...。