昨日、京都に行ってきた。
京都には私の父の兄がいる。
大胆で我がままで、頑固な伯父さん。
そして長年連れ添っているおば様は、頑固なおじさんを最も近くで支えて
いつも優しい陽だまりのように笑っている良妻賢母な方。
旅行とカメラが趣味で、おじさんはよくおば様を旅行に連れて行っては、おばさんの写真を一眼レフで撮り、
私のPCのメールアドレスにその写真を送ってきてくれては やりとりを楽しんだものだった。
そんなおじさんとおば様が共に病に倒れた。
おじさんはもう長いこと闘病しており、
いよいよ悪くなった。
ホスピスに転院したのだと連絡を受け、昨日会いに行ってきた。
おば様もそのホスピスから遠くない場所の自宅で一人寝ている。
息子であるヤス兄ちゃんは横浜で忙しくしている。
娘であるレイコ姉ちゃんは京都で家庭を持っているため、姉ちゃんが一人でおじさんとおばさまの面倒を看ている状態。
それなのにお姉ちゃんは恨み言1つも言わず
逆にそれを楽しんでいるかのようだった。
私の中の記憶のお姉ちゃんとまったく変わっていないことに驚きを隠せなかった。
頑固で我儘な伯父は、ホスピス内の個室でも
「餃子食べたいなぁ」
「なんか甘いもの食べたいなぁ。でもこれは違うねん。喉につくやろ?こんなんじゃないねん。もっと軟らかいのがええ」
「醤油かけてくれ」
「魚肉ソーセージみたいなん食べたい。そんないらんけどな」
全ての要望を、窘めるように「はいはい」と聞いているお姉ちゃん。
その横には、お姉ちゃんを大きく包み込むように、お姉ちゃんのご主人がいらした。
寡黙だけど威圧感を与えず、佇んでいるだけだけど雰囲気のある、
寡黙でありながら不信感を一切与えない、なんとも上品な雰囲気を纏った男性。
うちの主人とは正反対の雰囲気を持った人だった。
お姉ちゃんも、30年ぶりくらいにまともに会った私を見て
「ふゆちゃんや!全然かわってへん!!!ww6歳のときに遊んだままのふゆちゃんやん!!」
と大笑いしている。
私も同じことを思った。
あぁ・・・レイコ姉ちゃん変わってない。
伯父さんもおばさまも、想像以上に衰え、痩せていらした。
うちの長女が3歳の時には、伯父さんはおばさまを連れて広島に会いに来てくれた。
昨日も、
おぼつかない発声で
「ふゆちゃんがあんなことになって(死別して)、心配で心配でかなんかった。でも何もしてやれなくてすまんかったな。でも今はこうして・・・幸せそうでほんまに、おいちゃん安心した。会いに来てもらえるとは夢にも思わんかった、ありがとうな」
と言う。
涙を流しながら私との対面を心底喜んでくれた。
私は初孫で
それはそれは多くの親族に可愛がられた。
私も私で、子供のころから、おじいさんおばあさんと接することが好きだった。
昨日も、車いすを押して庭に出たり
おじさんの体を起こしたり、
我儘を言うおじさんのいう事をおもしろおかしく聞いたり、
すごくいい時間だった。
そうか、私にもお姉ちゃんがいたんだった。
30年以上も会ってなかったことに対して、強い後悔の念が湧いた。
と同時に、恩義を忘れないように今後はちゃんと連絡を取り続けようと決意。
聞けばお姉ちゃんのご主人は京都でも名家の方だった。
納得した。
まるで歌舞伎の家元の血が流れているのでは?と思うお顔立ち。
上品な出で立ち。
何より、優しい。
お姉ちゃんもご主人も、私と同じく、銀行に勤めていて
お姉ちゃんは退職してから今は二条城で働いているらしい。
今後は京都に行く機会も増えるだろうな。
余命幾ばくかのおじさんとおばさまが、改めて繋いでくれた縁に、ありがとう。
お姉ちゃんからの手土産。
我が家からの手土産も何故か3つだったのでそこもどことなく似ててクスっとした。
帰りにSAで買った、事務所の方たちに配ったりあげたりするお菓子など。


















