■絵を描く


絵本がいいということで、絵も自分で描くことになりました。

わたしは、絵のセンスがなく、苦手で、棒人間くらいしか書けませんでした・・・。


ですが、わたしには、NLPというスキルがありました。

NLPは望むものを手に入れる手法です。
制限(不可能)はない、という世界観ですから、わたしも挑戦することにしました。


2011年の夏、どうしたら描けるようになるのか?道を組み立てて、挑戦して、

約1ヶ月で、絵を描くことができるようになりました。

元の画力を知っていたデザイナーの友人は

わたしの描いたものを見て、


「どうしたら、この短期間で、こんなに出来るようになるの!?」と

(あんなに酷かったのに!というニュアンス)
驚いていました。


これも、宇宙の助けがあってのことだったと思います。

しかも、ただ画力が成長しただけでなく、


「あなたの絵も、すごく好きだわ」とサンプルを見せた方から、言ってもらえるようになりました。



■腕試し



作家という夢が膨らんだものの、

当時のわたしは、最初の作品はまぐれなのではないかと、思っていました。

作家なんて、この作品ひとつでは言えない、と思いました。

そこで、どれくらい書けるものかを試すことにしました。


書くと言っても、わたしが書くのではありません。

ハイヤーセルフから降ろすことが必要なのです。要するにチャネリングの要領です。それで物語を降ろすのです。

どうやって意図的にそれができるのか、分からなかったので、
思い付くままに方法を試すことにしました。

(もちろん、ここでもNLPスキルを色々と使っています。)



2011年前半は震災もあって、落ち着いた状況ではなかったので
2011年の秋になっていたと思います。

1週間、1日ひとつ、と決めて、物語を降ろしました。
通勤の電車のなかで、やりました。

なんと!

文章は時間的にも荒削りのものではありましたが、
プロットはしっかりしており、
物語を降ろすことができると、確信しました。

そして、自信を持ったわたしは、NLPの授業のなかで使う物語を
たくさん書きためました。

そして、そのあと、2014年まで、アシスタントとして師匠の授業に参加するなかで、発表してきました。

師匠はいつも、わたしの書くものを信頼してくれました。


NLPスキルとしての、こころに響く言葉の使い方の習得に対する信頼がベースとなっていました。

その技術は師匠が徹底的に仕込んでくれたものですが、

NLPの言語とセラピーの技術力において、師匠はわたしをものすごく買ってくれていたのです。



わたし自身にとっても、言語を扱うスキルは、物語のクオリティを保証する大切な基準となっていました。

そのスキルと知識があるからこそ、ただ媒介するのではなく、

媒介者としていながら、作品のクオリティを客観的にチェックし、良いものであると確信することができたのです。


そうして、いくつも、師匠の授業の中で作品を発表する(使う)機会をいただきました。

新しい物語を出すときに、師匠の期待に応えたい思いが、わたしの力を伸ばしてくれたと思います。


とてもありがたい師弟関係でした。


腕試しの場数を踏んで、わたしは徐々に自信を持つようになりました。



(続く)