私たちの友人Kは大の親日家です。そんな彼は寿司が大好き。特にタマネギスライスの載ったサーモンが好物のようです。友人Kと、そのまた友人たちはこれまでに数回(厳密に3回)寿司パーティーを主催し、私たちをゲストとして招いてくれます。それは本当に嬉しい事です。初めは私たちが何度かすしパーティーをし彼らをもてなしていました。夫は学生時代に某大手寿司チェーンでアルバイトをしていたため、こちらでは「寿司マイスター(自称)」と呼ばせています。厳しい妻の目から見ても、彼の握る寿司はまあまあです。このドイツ人の友人たちに、「自分の寿司は100点中何点だ?」と問われ、本物の寿司職人を立てて「自分の寿司は70点だ」と言いました。それでも他に日本人がいたら気恥ずかしい気持ちになったでしょう。しかし、それがすべての歯車を狂わせることになるとは、当時思ってもいませんでした。

さて、今回彼らが用意したのは、マグロと、サーモンの握り、そしてのり巻きと、いなり寿司です。見た目も良く、味も◎でした。酢飯はそのままお酢だけを入れたそうですが、悪くないです。
しかし、困ったことに、最後はいつも寿司マイスターとして採点を要求されることです。
招かれた側として、出された食事を採点することはまず常識外です。彼らを讃え、招かれた感謝を表す意味で、私は「100点よ!」と調子良く答えました。しかし、それでは引いてくれない。。。寿司を極めたい彼らは、常に向上心をもっています。彼らはまた聞いてきます。「キミの以前握ったあの寿司が70点として、我々の寿司は何点か?」と。.......これには答えずらいものがあります。さすがに、夫の握った寿司はシャリの握りかげんも酢飯の味も、ネタの鮮度もドイツで食べるにしては上出来です。それに比べると、申し訳ないが多少劣るのは当然。彼らもそれは承知の上です。彼らの熱い視線の中、夫は答えました。「.....65点?」その瞬間、彼らから安堵の息が。調子にのった一人が言います。「ノードゼー(魚のファーストフードで最近は寿司に手を出している)の寿司は何点だい?」。ノードゼーの寿司はさすがに真似の域をでていない出来映え。ご飯は水っぽいのです。しかし1船7ユーロもする寿司を相手に、夫は言わなければなりません。「40点かな?」。彼らから勝ち誇った笑みが溢れます。

しかし、招かれた食事に65点と採点しなくてはならないゲストは、とても痛い気持ちになります。大手ノードゼーを引き合いに出した捨て身の採点。もう少し高い位置で採点すればよかった。90点とか。でも、そうすると日本の伝統食文化のレベル(?)が低くなる、、、と、実は娯楽範囲でしかない出来事に、心を痛めてしまう気が弱い私たちでした。
私たちは、町外れの森際に住んでいます。3週間前から、3年間愛用していたGOLF2の廃車を決めたため、全ては徒歩の生活です。神学校は敷地内ですから問題はありません。礼拝は、エーバスバッハ村の教会が増築中のため現在はForm(神学校とAMの総合建物)のホールでもたれています。教会の集会の手伝い、アウスランドヒルフェ(過去ログ)他の参加者に乗せてもらえます。しかし、買い物は大変です。人から車を借り、村のスーパーに出て1週間分を買いだめるのは慣れたのですが、急なお客様のときに、食材が。。。

例えば、今日。特別授業をしてくれている懐かしい友人(元日本の宣教師)を、夜に夕食に招いているのです。買い出しは先週の金曜日。冷蔵庫にあるのは、白菜と人参、タマネギです。鶏肉も少々。なんか、全部白いです。ああ、しょうががあれば!「日本食ですか?」と言われても、私たちの日頃の日本食はとは おにぎり、ふりかけごはん、じゃがいものみそ汁、日本では見た事の無いなんちゃってどんぶり、なんちゃって日本食なのです!!とりあえず米があって、とりあえず醤油とだしを入れているようなもの。しかし、間の悪い事に先日最後の醤油を使い切ってしまいました。お特用のしょうゆはデュッセルドルフかギーセンに出た時買います。しかし、今は。。。
せっかくだから、日本食でもてなしたいのが、欠陥はあれど日本人主婦の私の思い。車を借りて、スーパーに行きたいが、今月の食費の残金は、来週を含め、9ユーロ!!今、へたに調味料や余分な食材を買い出したら、来週は生きられません。

。。。開き直って、ドイツ式に、パンとバターとジャムを出すかな....?
余談ですが、ドイツで軽く夕食に招かれると、日本の感覚では「朝食?」が出てきます。保存のきく黒いパン類、ハム、ジャム、チーズ、そして紅茶です。はじめは、「あら?食事に呼ばれてると思ったけど、勘違いして早くきてしまったのかな?急遽用意したんだわ!申し訳ないことをしたわ!」と内心あせってしまったことも。日本の主婦なら「まあまあ、こんな有り合わせの物で、ごめんなさいね。急だったもので買い物にもいけなくて」などと言い訳もするのでしょうが、こちらでは、平然とパンとジャムをだされます。それも、ジャムは手作りだったりすると、ちょっとした自慢付きで。このとき旦那さんは奥さんの頬に「きみは素晴らしいよ」をこめてチューまでします。

よし!わたしもこれでいこう!
今日は、白ご飯と白菜のみそ汁。味付け海苔でどう!?
夫が言い訳せず、頬にチューをしたら完璧です。

私たちは、ドイツ中部の山間部に住んでいます。
この季節は、雪が降ればそれなりに楽しい毎日かもしれません。
森の坂道を15分も歩けば簡単なスキー場があるからです。
しかし、昨年も今年も、いっこうに雪はやってきません。
しかも、晴れていればもっと楽しいのに、いつも雨曇りなのです。
私は「冬眠」「冬ごもり」できる体質なので、構わないのですが、
犬のアメリはそれでは納得できません。
毎日定期的な運動が必要です。
それでも、ひどい雨が降ってれば、平気で「今日は無理ね!」といってあきらめさせます。
だから、最近は三日間、アメリは寝てばかりの生活です。
部屋の中で少しでもはしゃがせようと、
「探し物ゲーム」「コットンひっぱりっこ」「ちょっとしつこいスキンシップ」をしています。
少しでも雨が上がれば、どろどろ覚悟で、目の前の芝生でサッカーをします。

以前「ドイツの犬はなぜ幸せか」を読みました。そこに犬を飼う人に課せられる責任について書かれていました。最低2時間は犬のために時間をさく等、書かれていました。
初めは、「そんなにも必要!?」と感じたのですが、考えてみたら、私たちはそれくらいはやっています。食事の世話や抜け毛のケア、スキンシップや散歩を合わせれば、なんとか2時間になるのではないのでしょうか?ですから、動物虐待に関心の高いドイツ人に訴えられることはないと信じます。しかし、散歩の時間が削られると、難しいです。

今日はようやく待ちに待った晴れ間が、朝から広がりました。
でも、雲の動きも速い!今日は絶対に散歩に連れて行きたいのです。
時間が作れる午後4時まで、雨がもってくれるのを願っています!

アメリとあそぶ

写真は、家の前の芝生で遊ぶアメリ。当時は霜が降りていて寒い日でした。お気に入りはサッカーとフリスビー。上手です!
今年に入ってから、日本の私たちの所属していたキリスト教会のグループと、頻繁なやりとりがあります。それは、今年、秋に帰国したとき、どの教会に呼ばれるかということです。

ああ、もうそんな時期にきたのか、、、と、時の過ぎる早さに驚かされます。
3年前、日本のある教会を辞任するさい、私たちは新しい牧師を教会に招聘するために、この時期は心を砕きました。

日本の教会は、既成数に比べ、牧師の数が断然足りません。ドイツの国教会は、いくつかの大学に神学部があり、毎年、若い牧師たちが育っていくのでしょうが、日本では、そのようにはいきません。牧師の資質(サラリーマンではないのです!)が問われる様にもなっています。それは、ドイツの方が大きな問題かもしれませんが。

私たちは、ドイツで学んでいますが、日本に帰って働く事が常に前提です。ドイツの教会を見ながら、頭はいつも日本の事を考えています。比べたり、がっかりしたり、羨ましがったり、憧れたりという、幼稚な発想は初めから ありません。そこに、「神が生きて働いている」事を、認めるだけです。

新しい働きの場所について、考え、答えを出さなくてはならない今の時、目に見える事柄(立地、人間関係)にとらわれずにいたいと思います。。。。その前に、日本の教会が、こんな私たちを欲しいと本当に思ってくれるでしょうか???


さて、それはそうと、今週は2日間の特別講義です。9年前に一緒に日本で働いた宣教師で、現在はドイツに戻って牧師をされている、クベルスキーさんが、ヒンズー教と仏教について講義をもたれます。9年ぶりの再開です!お互いの会話は日本語かな?ドイツ語かな?楽しみです。



FeG(ドイツ自由福音教会)には、各地にある教会だけでなく、AM(世界宣教局)、福祉活動、国内宣教局など、多くの部署があります。私がよく参加するグループは、海外支援活動(アウスランドヒルフェ)です。この部署は、ドイツ各地から集められた古着や生活用品、食料品を収集、管理し、分別作業をしてから、定期的に対象となっている 支援先へ大型トラックで運び、配りながら、支援活動をする部署です。ちょうど、前任のリーダーだった方が、AMのアジア担当の奥さんだったため、この活動を手伝うきっかけを与えられたのです。
支援先は、現在はマケドニア。ヨーロッパ近隣諸国の貧困地帯がこの活動の対象です。前は、白ロシア、ルーマニアなどでした。

大きなホールのような倉庫に、無数の段ボールに分別された品々があります。ボランティアである私のような人々は、いくつかのグループに分かれており、一組20名ほど。ほとんどは、おばあちゃん、おじいちゃんたちです。私は、どこのグループにも属さずに、神学校とAM,他の手伝いのない日に、フレキシブルに入っています。

ボランティアの活動の中心は、古着の仕分けです。ごちゃごちゃに詰められたビニール袋をひらき、男物、女物、子供、ティーンズ物、幼児、乳児と、こまかく分けていきます。休憩はあるものの、4時間続く、なかなかの大仕事です。私などはともかく、おじいさん、おばあさん方の底力を感じさせられる時間です。みんな、地域の方達なので、方言がとても楽しく、私が混ざると、たいていは、自分の体験した各地の方言を披露し、みんなで笑い合います。方言って、難しいですね。なにが難しかって、ドイツ3年目の私にも、実際それが方言であるのか、判別出来ないのです。聞きにくいドイツ語だな、位です。夫は、友人から、「キミはジーガーレンダーの方言ばりばりだね」と誉められた?のですが、夫は、「え?ぼくはホーホシュプラーハ(標準語)だよ。」とボケなければならない始末です。

さて、古着の仕分けは、中々考え深い時間を与えてくれます。人の良心、思いやり、自己満足、無関心、たくさんの単語が頭をよぎります。

例えば、ドイツ人サイズのXXXLの服が大量に持ち込まれます。大きい。豊かな食料事情がありありと見て取れるそのサイズ。しかし、それを受け取るのは、明日の食べ物の保証の無い人たちだったりするのです。それでも、逞しい現地の人々はきっとこのシャツを広げて、善意のドイツ人たちの肥満をみんなで笑うのかもしれません。まだ、新品に近い状態の服を畳むときは、「まだまだ着れるのにね」と思います。でも、それを受けとったマケドニアのご婦人は、思いがけず美しいデザインのおしゃれ着が手に入り、その日は嬉しくてしかたがないかもしれません。

もちろん、支援活動の古着収集のことなど思いもつかず、どんどんと消費排出していく人々は多いでしょう。ですから、この良心に満ちた習慣は、断ち切ったらいけません。
しかし、古着として出す人の心と、受け取る人の心は、なかなか通い合わないのかもしれません。

アウスランドヒルフェのグループは、きっと、そんなこと100も承知でしょう。多くの人々が、捨てることへの心の咎めを、こういった古着回収でごまかしている部分がある事も。そんな、人の矛盾した部分をもってしても、この活動は淡々と続けていく必要があるのです。

なかなか触れ合わない 双方の心は、古着を畳みながら、破れ汚れのの最終チェックし段ボールに仕分ける作業をしていると、じわじわと伝わってきます。
「この服を本当に欲しがっていた人に渡されるといいな」とか、「この服は生地は大きいから、切るなり焼くなりして、何かの役に立つかな」とか、「もし、この壊れた靴を許してしまったら、現地で子供が1人、転んで怪我をするかもしれない!」と、ひとつ一つと対話する思いになります。

この活動の大きなスポンサーは、個人だけでなく、会社や企業もあります。新品で、在庫があふれたような状態のものや、時期を逸したものを積極的に引き取らせてもらっているのです。それは、本当に、大きな助けです。ベットのマットや、毛布、大量の食料、栄養ドリンク類、自転車、などなど。先日は、4時間靴の仕分けでしたが、ほとんどがお店の在庫処分のものでした。状態はひどい物がありましたが、新品でした!


ともあれ、このボランティアの時間は、私にとって、かけがえのない時間です。