12月2日は、甲状腺準全摘手術(内視鏡下)からちょうど1年の日でした。
私の場合は合併症の右目の眼瞼下垂があったことも大きいと思いますが、予想以上に辛かったです。
術後の鏡の中の右目は全くの別人でした。
先日母に、『とにかく目が治って良かった。今だから言えるけど、このまま治らなかったら整形手術を受けさせようとお父さんと話し合っていた。』と言われました。
父は手術後、会話していても顔をそらし、ある程度良くなるまで一度も私の顔を見ようとしませんでした。
手術後の自分を否定されているようで辛かったけど、両親もきっと同じように辛かったんだなと今は思います。
子供の頃から心臓手術したり、両親には心配ばかりかけてきました。
身体を大切にして、これ以上心配をかけないようにします。
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手術後、毎日のように自分の目の写真を撮りました。
そのうち気付いたのが、笑顔でいることの大切さです。
最初は無表情で撮っていましたが、右目のこともあって少しこわい感じに映っていました。
ある時、笑顔で撮ってみると、印象が断然良くなりました。
無表情な時の前の私より、右目が少しこわい感じでも笑顔でいる今の私の方がいいはずだから、いつも笑顔でいたいと思うようになりました。
笑顔の良さに気付けて、辛くても笑顔でいようと思えたことは、私を前向きにさせてくれました。
そして、不妊治療で一喜一憂できていたそれまでの私は、とても恵まれていたことにも気付けました。
今ある幸せを当たり前だと思わず、感謝しながら生きて行きたいと思います。
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手術後、他にも色々な問題がありました。
右目をはじめ、声が思うように出せないこと、食べ物がうまく飲み込めないこと、手術痕の肥厚性瘢痕などです。
右目は、パソコンや携帯のバックライトの光がダメで、文字がうまく読めない時期がありました。
今でも光には弱く、パソコンは目が極端に疲れるので、家ではあまり開きません。
また、右目がおかしいことに気付いて無意識にのぞきこむ人も時々いて、人前に出たくないという思いが強かったです。
ですが、5月頃には見た目がだいぶ良くなり、6月末からはパソコン入力しながらの対面接客のバイトができるまでになりました。
実際には、まだ仕事は早いかなという感じでした。
手術前に、電話などで15分以上しゃべり続けるのは苦痛になるでしょうと言われていたので、接客で4時間から6時間大きな声でしゃべり続けるのは負担が大きかったです。
声を絞り出さないといけない感じで痛いし、数分程度ですが全く声が出なくなることも何度かありました。
そうすると飲み込みの調子も悪くなり、食べることが苦痛で、3食ヨーグルトの日もありました。
最近はだいぶ良くなり、こわくてずっと避けていた『もやし』を飲み込めるようになりました。(^^)v
今も、のどや食道によく食べ物や薬がひっかかったり、つまったりしますが、『気管に入っていなければ、死ぬことはない』と先生に言われて以来、落ち着いて対処できるようになってきました。
飲み物が手元にないとこわくて絶対に無理ですが、食べたいものをおいしく食べられることに感謝です。
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あと、7月に薬(チラーヂン)を100から75に減らしたところ、一時的に甲状腺機能低下症がひどくなったみたいで、起き上がるのも辛い日々が2ヶ月ぐらい続きました。
バセドウ病の辛さと引き換えだと思えば、薬ともうまく付き合っていかないといけないと思っていますが、なかなか難しいです。
夏は、長年の付き合いの咳喘息もひどかったし、膠原病がわかったり不妊治療終了前後の子供がいないことに対する心無い言葉など、精神的にも体調的にも結構ボロボロでした(>_<)
今もまた、同じところで1月中旬までの予定で短期バイトをしています。
今日もこれから17時~21時でバイト行ってきます。
相変わらずバイト先では子供のことを毎日言われますが、今回は開き直って聞かれるたびに本当のことを言って乗り切ってます。
手術から1年、色々ありましたが、旦那さんと猫たちと穏やかな毎日を過ごせていることに感謝しています。
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そして、12月2日は、ブログ開始から4周年でした。
2008年12月2日、初めてのブログには、『いつか家族が増えて、にぎやかな様子をお伝えできるのを夢見て書いていく』とあります。
夏に子供を諦めて、色々な思いがあり、ブログをやめようかずっと悩んでいました。
でも、このブログのタイトルをベビ待ち日記的なものにせず『あい愛☆日記』としたのは、不妊治療や子育てに関わらずこのブログをずっと書いて行きたいと思ったからでした。
ブログで支えてくださるみなさんと知り合えたことは私の財産だと思っています。
いつもありがとうございます。
これからは猫2匹という家族が増えてのにぎやかな様子を綴っていきたいと思います。
これからもどうぞよろしくお願いします。