12月7日、退院の日です。
●朝
体温36.7度、右目寝起きは特に開きにくい。
朝食の後から、退院に向けての色々な準備がありました。
手術痕に貼るテープの使い方の指導を受けたり、薬剤師さんから退院後の薬の説明を受けたり。
久しぶりに普段着に着替えて、嬉しかったです。
着替えてから廊下を歩いていたら、すれ違った看護師さんに、『もう退院なの?目のことがあるからまだ長くかかると思っていた』と驚かれました。
目は、薬を飲んで1年ぐらいの長期で見るため、入院していても仕方ないということで入院が決まりました。
おばちゃんたちも、笑顔で見送ってくれました。
母が迎えに来てくれて、会計をすませたあと、帰りました。
母の車に乗ってホッと一息。
マッキーの『花水木』が流れてきて、自分の状況を忘れていつものように口ずさもうとしました。
が、全く口ずさめませんでした。
やっと少し出た声も、一定の高さの声しか出ない。
(4ヶ月間ぐらいは声の高さをコントロールできなくて、音痴選手権で優勝できるぐらい音痴でした。)
とりあえず良かったとホッとした気持ちで退院したけど、まだ、これからが大変なんだなと思いました。
声を出すのも難しく、会話にイントネーションを付けたり、抑揚を付けることも結局3ヶ月ぐらいは無理でした。
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入院中、手術後に服用していた薬について。
12/3 チラージン25×1、アルファロール×3、乳酸カルシウム4g×3、クラビット錠×1
12/4 チラージン25×1、アルファロール×3、乳酸カルシウム4g×3、クラビット錠×1
12/5 チラージン50×1、アルファロール×3、乳酸カルシウム4g×3、クラビット錠×1
12/6 チラージン50×1、アルファロール×3、乳酸カルシウム4g×3、クラビット錠×1、メチコバール500×3
12/7 チラージン25×1、チラージン50×1、アルファロール×3、乳酸カルシウム4g×3、クラビット錠×1、メチコバール500×3
12/8 チラージン25×1、チラージン50×1、アルファロール×3、乳酸カルシウム4g×3、クラビット錠×1、メチコバール500×3
退院後~
チラージン50×2、乳酸カルシウム×2g×3、アルファロール×3、メチコバール500×3
現在は、乳酸カルシウムは無くなり、アルファロールも2錠に減りました。
術後、薬を飲むのにとても苦労しました。
今もたくさんの水と一緒に、ゆっくり飲み込んでいます。
★★★★★
これから手術をされる方にとって気になる会計について。
手術の内容、状況によって個人差はあると思いますが、参考になればと思います。
高額療養費の支払いのため、入院する時に限度額適用認定証を提出してありました。
これを前もって提出しておくと、初めから月ごとに自己負担限度額のみの支払いですみます。
これがなくて後から高額療養費を請求するとしたら、退院時の会計で一旦全額支払わなければならないことになります。
限度額適用認定証を前もって用意していなければ、私の場合で58万5590円でした。
準備していた方が絶対良いと思います。
所得によって負担額が違いますが、私は一般的な所得の負担額が適用されました。
そして11月30日~12月7日で月をまたいだので、月ごとにそれぞれで計算されました。
●11月
11,510円(食事等自己負担有)
●12月
92,392円(食事等自己負担有)
計103,902円
医療保険に2か所で入っており、合わせて10万円ぐらい出たので、最終的な手出しはほとんどなく終えることができました。
★★★★★
手術から半年が経ち、右目の見た目はほとんど元通りになりました。
右目が開きにくかったり、右目が自然と閉じてしまって気がつくと左目だけで見ていることも多いですが、ほぼ完治したと言えると思います。
退院後、予想していたよりもきつかったです。
右目のこと、首を両手で締められているかのような締め付け感、首の後ろに重いものがぶら下がり、引っ張られているような首の痛み、のどに棒が1本入ったような痛みと違和感、声が思うように出ないこと、食べ物がうまく飲み込めないこと。
24時間休みなく、それらの症状と向き合わなければなりませんでした。
4ヶ月ぐらいは首を左右に動かすことができかったため、車の運転が難しかったです。
右目のこともあったので、出来るだけ運転しないようにしました。
そして今でもありますが、朝起き上がり首を持ち上げる時に、独特の大きな違和感。
枕を頭に付けたまま、枕ごと一緒に頭を持ち上げて起き上がるといいそうですが、寝起きは忘れていて、なかなか実行できていません。(^^ゞ
今はだいぶマシになっていますが、まだいろんな違和感があります。
交感神経損傷による眼瞼下垂、身体が思うようにいかないこと、カルシウム不足、これからの不安、不妊治療のこと。
自分でコントロールできない部分で、ストレスがたまって行きました。
経験した人にしかわからないであろう、大きなストレスでした。
ストレスの限界が来た時に、声を出して泣こうとしました。
でも、声がでなかった。
声を出して泣くことすら許されない。
情けなくて、悔しかった。
今だから言えますが、右目が良くなる4月ぐらいまで、すごい精神状態でした。
床に布団を敷いて寝ているのですが、自分で床をドンドンと拳で叩きながら目が覚めたことが何度もありました。
もう生きているのも嫌だと、何度思い、口にしたことか。
その度に、入院していた時のおばちゃんたちとの会話を思い出し、マッキーの曲を聴き、耐えました。
心臓の手術の後は、再手術の可能性もあるという不安の中、肺に水がたまっていたため水分制限がかなり厳しく、毎日ほんの一口ぐらいしか水分が許されなくて干からびていました。
胸の傷がケロイド状になり何年もひどかったりで、地獄の苦しみを味わいました。
今回は短期間の入院ですんだけど、退院後の日常生活がうまくいきませんでした。
窒息しかけてから食べ物を飲み込むことがこわくなり、かなり辛かったです。
手術からの半年、本当によく頑張ったと、自分を褒めたいと思います。
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ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
自分でも引いちゃうような暗い内容でしたが、頑張った記録として書きました。
ブログ検索で、『甲状腺 手術痕 写真』や『バセドウ病 眼瞼下垂 写真』で検索してきてくださる方が多いです。
写真はたくさん撮っているのですが、アメンバー限定で載せるかどうか迷っています。
これから手術する方や、同じように苦しんでいる方が望むのなら、見ていただいても良いのではないかと思う気持ちもあります。
私も手術痕や眼瞼下垂の写真を求めて検索しまくりました。
私は内視鏡下の甲状腺手術痕で珍しい&ケロイド体質の写真なので、誰かのお役に立てればと思っています。
でも、アメンバー記事でも見たくないと思われる方がほとんどだと思いますので、どうするかしばらく考えたいと思います。
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実は、もう、書くのも恥ずかしいぐらいなのですが…。
新たな病気の可能性が出てきました。
通っている大学病院の血液・膠原病内科を紹介されて、12日に受診することになりました。
不妊治療もまた中止です。
完全に振り出しに戻った(笑)
もう、笑うしかないです。
まだ膠原病が疑われている段階で、実際は違うかもしれませんが、膠原病について知識を得ようと勉強しています。
こんなことばかりやってるなぁと自分にあきれてしまいます。
でも落ち込んでいても、仕方がない。
私以上に頑張っている方が、たくさんいらっしゃいます。
決して自分だけが辛いわけではないことを忘れてはいけない。
生きていることに感謝して、頑張ります。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。