話が少し前後しますが、手術翌日の話です。
★★★★★
この日、肺がんのおばちゃんと話していた時、『あたりまえではなく、ありがとう。病気になったことにも感謝している。悪いなりに向き合っていくしかない。』とおっしゃいました。
マッキーの『五つの文字』という曲に、「あたりまえ」じゃなく「ありがとう」という歌詞が出てくるので、全く同じことをおばちゃんが言って驚きました。
このおばちゃんは、大腸がんから肺がんに転移していて、手術が成功しなければ余命1年と言われているそうです。
抗がん剤治療したあと肺を少し切り取る手術を終えたところで、体力が回復したら今度は片肺を摘出する手術を受けると言っていました。
何があってもいいように、子供や孫に遺すものも用意して、もう身辺整理は済ませてあるとも言っていました。
おばちゃんと同じ立場になった時、『病気になったことにも感謝している』と、私に言えるだろうか。
子供ができないことや、右目が開かないことで、頑張っているのに報われない自分は不幸だと思っていました。
でも、現実を受け止めて、前向きに笑顔で生きて、こんな私を励ましてくれる人がいる。
おばちゃんは手術後、肺に水がたまり、痰がなかなか出ず、息苦しさでもう何日も眠れていませんでした。
何日も眠っていないのに、睡眠より痰を出すことを優先するようにと先生に言われ、睡眠薬は出してもらえなかった。
こんな毎日がいつまで続くかもわからないなんて、どれだけ辛いだろう。
おばちゃんは常にしゃべっていたのですが、しゃべり続けることで精神の安定を図っているように思えました。
それなのに、笑顔で『病気になったことにも感謝している』と言い、励ましてくれる。
甘えていた自分を思い知らされました。
命の心配もなく、子供を望んで不妊治療できるだけの健康があったこれまでの自分は、幸せだったんだ。
見ること、しゃべること、食べることがうまくいかなくなって、これまで出来てあたりまえに思っていた全てのことに感謝しました。
入院中は、色々な病気の患者さんたちとお話して、たくさん勉強させてもらいました。
この経験は、右目のことで自暴自棄になりそうな自分にとって退院後も支えになりました。
子供を諦めた時にも、きっと私の心のよりどころになってくれると思います。
思い通りにいかない時、どういう心を持つか。
それは私次第なんだということを、いつも忘れずにいたいと思います。
槇原敬之『五つの文字』
繰り返すだけの毎日と
勝手に思い込んでいたけれど
明日が必ず来るとは誰も
言い切る事など出来ないと知って
こんなふうに僕の1日が
何事もなく終わる事さえ
こんな僕に起こった奇跡のようにも
思えるんだ
なんでも当たり前に見える
心のメガネを外したら
今日という日は神様からの
素敵な贈り物と気付けたんだ
最後に付けた五つの文字を
僕はやっとかきなおせたんだ
「あたりまえ」から「ありがとう」と
繰り返すだけの毎日と
勝手に思い込んでいたけれど
今日が必ず来るとは誰も
言い切る事など出来ないと知って
こんなふうにぼくの一日が
希望に満ちた朝の光りの中で
今日も始まっていくことは
奇跡のようにも思えるんだ
なんでも当たり前にみえる
心のメガネを外したから
今日という日は神様からの
素敵な贈り物だと気付けるんだ
だから最後に付ける五つの文字を
僕はもう間違わずに書ける
「あたりまえ」じゃなく「ありがとう」と
なんでも当たり前にみえる
心のメガネを外したから
今日という日は神様からの
素敵な贈り物だと気付けるんだ
だから最後に付ける五つの文字を
僕はもう間違わずに書ける
「あたりまえ」じゃなくて「ありがとう」と
★★★★★
この日、肺がんのおばちゃんと話していた時、『あたりまえではなく、ありがとう。病気になったことにも感謝している。悪いなりに向き合っていくしかない。』とおっしゃいました。
マッキーの『五つの文字』という曲に、「あたりまえ」じゃなく「ありがとう」という歌詞が出てくるので、全く同じことをおばちゃんが言って驚きました。
このおばちゃんは、大腸がんから肺がんに転移していて、手術が成功しなければ余命1年と言われているそうです。
抗がん剤治療したあと肺を少し切り取る手術を終えたところで、体力が回復したら今度は片肺を摘出する手術を受けると言っていました。
何があってもいいように、子供や孫に遺すものも用意して、もう身辺整理は済ませてあるとも言っていました。
おばちゃんと同じ立場になった時、『病気になったことにも感謝している』と、私に言えるだろうか。
子供ができないことや、右目が開かないことで、頑張っているのに報われない自分は不幸だと思っていました。
でも、現実を受け止めて、前向きに笑顔で生きて、こんな私を励ましてくれる人がいる。
おばちゃんは手術後、肺に水がたまり、痰がなかなか出ず、息苦しさでもう何日も眠れていませんでした。
何日も眠っていないのに、睡眠より痰を出すことを優先するようにと先生に言われ、睡眠薬は出してもらえなかった。
こんな毎日がいつまで続くかもわからないなんて、どれだけ辛いだろう。
おばちゃんは常にしゃべっていたのですが、しゃべり続けることで精神の安定を図っているように思えました。
それなのに、笑顔で『病気になったことにも感謝している』と言い、励ましてくれる。
甘えていた自分を思い知らされました。
命の心配もなく、子供を望んで不妊治療できるだけの健康があったこれまでの自分は、幸せだったんだ。
見ること、しゃべること、食べることがうまくいかなくなって、これまで出来てあたりまえに思っていた全てのことに感謝しました。
入院中は、色々な病気の患者さんたちとお話して、たくさん勉強させてもらいました。
この経験は、右目のことで自暴自棄になりそうな自分にとって退院後も支えになりました。
子供を諦めた時にも、きっと私の心のよりどころになってくれると思います。
思い通りにいかない時、どういう心を持つか。
それは私次第なんだということを、いつも忘れずにいたいと思います。
槇原敬之『五つの文字』
繰り返すだけの毎日と
勝手に思い込んでいたけれど
明日が必ず来るとは誰も
言い切る事など出来ないと知って
こんなふうに僕の1日が
何事もなく終わる事さえ
こんな僕に起こった奇跡のようにも
思えるんだ
なんでも当たり前に見える
心のメガネを外したら
今日という日は神様からの
素敵な贈り物と気付けたんだ
最後に付けた五つの文字を
僕はやっとかきなおせたんだ
「あたりまえ」から「ありがとう」と
繰り返すだけの毎日と
勝手に思い込んでいたけれど
今日が必ず来るとは誰も
言い切る事など出来ないと知って
こんなふうにぼくの一日が
希望に満ちた朝の光りの中で
今日も始まっていくことは
奇跡のようにも思えるんだ
なんでも当たり前にみえる
心のメガネを外したから
今日という日は神様からの
素敵な贈り物だと気付けるんだ
だから最後に付ける五つの文字を
僕はもう間違わずに書ける
「あたりまえ」じゃなく「ありがとう」と
なんでも当たり前にみえる
心のメガネを外したから
今日という日は神様からの
素敵な贈り物だと気付けるんだ
だから最後に付ける五つの文字を
僕はもう間違わずに書ける
「あたりまえ」じゃなくて「ありがとう」と