前の記事からの続きです。
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私は昨年7月の時点で、すでにLHとFSHが高いと言われていました。
7/12 D3
LH 14.52
FSH 12.96
E2 45.59
ジネコ(不妊雑誌)で某不妊クリニックの先生が、『LH10以上、FSH10以上だと更年期に向かっている』と答えていた。
また、別の先生は、『FSHは閉経前の方でも12とか13程度』と答えている。
FSH15以上だと妊娠は厳しいとネットで答えている先生も多い。
そして今回。
1/7 D2
LH 7.01
FSH 21.42
セントマザーのホームページでは、『エコーで胞状卵胞が見えていればまだ可能性はある。胞状卵胞も卵巣も見えなければ、閉経。』と院長先生が答えていました。
私は左の胞状卵胞が見えなかった。
左卵巣自体も見えていないのかどうかはわかりませんでした。
私のAMH(卵巣年齢)は40歳ぐらい。
卵子の在庫はまだある程度残っているけど、卵巣が頑張れるのはいつまでかという意味でタイムリミットを意識しなければならない段階にきたのかもしれません。
タイムリミット=早発閉経ということ。
実年齢33歳の私が閉経?と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、20代で閉経される方もいらっしゃいます。
私の場合は、ホルモン注射で卵巣に無理をさせてきたことで加速がついていると思います。
卵巣に影響あるかどうかわかないものも含めると、もう100本ぐらいホルモン注射打ってるし、ホルモンの薬も今まで何種類も飲んできた。
特に前の病院の時には、排卵させるためのHCG注射の翌日に排卵を抑えるガニレストを打ったあと採卵という医療ミスが2回。
そして、前の病院での卵巣刺激の注射が強過ぎたことが卵巣を弱らせたのだろうと、今のクリニックの先生に以前言われました。
ここまで無理して頑張ってきてくれた私の身体に感謝します。
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この2年半、全力で不妊治療と向き合ってきました。
去年は不妊治療をしながら、卵管水腫、バセドウ病と妊娠を妨げる2つの壁も壊すことができた。
我が子をこの手に抱きたい、そして両親に私の子供を見せたいからこそ頑張れた。
私が小学生の頃に心臓の手術をしたのは、心臓に開いた穴から肺に血液が逆流していて、このままでは出産に耐えられない可能性があるという理由があったから。
命のリスクがあっても、子供を望んでいるのに子供が産めない人生は送らせたくないと両親は手術を選んだ。
子供を産めないかもしれないと不安に思った自分を、今でも覚えている。
両親が決めたならと、手術で死ぬかもしれないという恐怖と闘った。
それ以来、両親も私も、私が子供を持つことをずっとずっと望んできた。
右胸をぐるりと囲んだ手術痕がケロイド状でひどく、嫁のもらい手があるかだって、ずっとずっと両親と悩んできた。
10年付き合って結婚して、やっとここまでこれたのに。
どうしても、自分の子供に会いたい。
でも、もしそれが叶わなかったとしても、受け入れていこうと今は思う。
この間の入院は、私にとって人生の転機になりました。
命のタイムリミットと向き合っている方たちと接して、不妊治療で一喜一憂する余裕がある自分は、幸せだということに気付くことができたから。
最善を尽くし、後悔の少ない形で治療を終えられればいいなと思います。
治療できる幸せに感謝して、笑顔でがんばります。
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それから、嚢腫のこと。
『右卵巣に嚢腫15mmが一つと聞こえたんですが・・・』と先生に尋ねると、卵を育てるのに影響ない大きさだから大丈夫。採卵の時に刺します。』とのことでした。
嚢腫が確認されたのは3回目。
●2011年2月採卵周期に右卵巣嚢腫。
採卵時に刺してもらう。
●2011年6月採卵前周期に左卵巣嚢腫。
卵を育てるのに影響がある大きさで中身を抜いたが固い部分が残り、嚢腫だけではなく『できもの』もあったとのこと。
卵巣出血で1泊入院。
●そして今回、採卵前周期に右卵巣にまた1個。
今回は小さいから良かったけど、採卵周期が近づくたびに嚢腫が出来てる。
元々、子宮が片側に寄ってる(たぶん子宮後屈)ので生理痛がひどいですが、嚢腫がある時は余計きついです。
卵管水腫がひどかった頃も、生理痛はもちろん、常に痛かった。
でも、子宮内膜症の方はもっときついんだろうなぁ。
これぐらいで弱音吐いてたらいけませんね。
頑張ります。