一瞬、それ、何?って思ったのですが、

ああ、お年玉に対してお盆玉ですか。


帰省した孫にお盆玉。


母の実家は同居の孫が一人も居なかったので、

一番上の孫の私が高校生くらいまでは、

盆正月に必ず孫6人(もちろん親も一緒)が

同じ日に祖父母の家に泊まりに行って

同じ鍋をつつく晩御飯を食べ、

同じ部屋で泊まり、遊び、

祖父母からお小遣いを貰って帰っていました。

今でいえば、それがお盆玉になるんですね。


かたや、住まいは父方の祖父母と同居。

盆正月は、

従弟妹たちが3名ほどやってきます。

こちらはみんな近いので

同じ日のこともあれば、

別々の日になることもあります。


お正月は紅白が終わって

除夜の鐘が終わると、家族で挨拶するので

その時に祖父母からお年玉をもらい、

従弟妹たちは2日以降にやってきて

おせちや、ごちそうを食べて

お年玉をもらって帰って行きました。


住まいはお仏壇のまだ無い家だったので、

お盆は特に法要があるわけではなく、

夏休みの1日として、バラバラにやってきます。

そして、近いので大抵は

祖父母と適当におしゃべりして行きました。

特に勉強などにうるさいことを言う祖父母ではなかったので

そういう点ではのんびりできたんじゃないかと思います。

そして、祖母は最後にお小遣いを渡したり、

お店の品物の文具を少し持たせたりしていました。


基本、誕生日にプレゼントとしてもらう以外は

お店の商品も小学1年生から大人になって

祖父母がお店を閉めるまで、

仕入れ値で祖父母から買っていた私は

それを(外孫っていいなぁ…)と眺めていました。

たぶん、妹も同じだったと思います。


今思えば、おばあちゃんも

内孫が見ていないところであげればよかったのに…

と思うんです。

意地悪でそうしていたというより、

何も考えていなかった祖母だと思うので、

まあ、従弟妹が羨ましいとは思いつつも、

別に祖母を恨んだりとかいう気持ちはなかったです。

一緒に住んでいても、金銭的になあなあにならないように

というけじめで、お小遣いをもらうようになってから

母が仕入れ値払いを決めたと思いますが、

今は、その点は母に感謝しています。