不登校時代が1番勉強した。勉強のあり方と多様性


小4のときに祖母が亡くなり、鬱状態になった私の次の課題が学校でした


元々変わり者だったうえに学校で占いを女の子達相手にしていて浮いていたため、帰宅して祖母に相談…という習慣がなくなり、自分の居場所を失った気がして学校に行くのが怖くなってしまいました


不登校になりすぐに母親が連日学校に行け!!と怒鳴り散らしましたが、行こうとしても途中で目眩がしたり座り込んでばかりで、母親にひたすら責められた日々が続いてた



学校に行かなくなってから2週間後、


仕事を一区切りつけて帰国した父が私の不登校事情を理解すると


ホームスクールにすればいい。学校行かなくても学びは自由ね」


って、学校じゃなくても勉強したきゃどこでもどうぞと言われ、近所に勉強しに行ってた時期が8か月ほどあります


その間、母親はやはり学校行って欲しくて怒鳴り散らしてましたし毎日怒られてたので、たまに学校は行ってましたが、父親が「お父さんの国ではお家で勉強する子いるよ」って言ってもらったおかげで、一生懸命その間は学校以外だったけど勉強できた


(ただし、1年間学校行かないなら日本ではホームスクールは難しいという理由で父親の実家で生活するという約束でした)


幼馴染が迎えにきてくれるようになって8カ月後から学校を徐々に行き始めたとき、テストの内容が今までにないぐらいよくわかったのが凄く嬉しかった


4年から6年の間は1番勉強が面白くて成績良かった


不登校は、凄く辛い。


子供ながらに感じたことなんだけど逃げ道がない


苦しくても学校に行くか


行かずにただ自分が社会から置き去りになる感覚を何もできずに悲観するか


この2つしかなくて、不登校でも遊んでくれた幼馴染に「まー学校行かなくてもスパロボと(ゲーム)ドカポンと(ゲーム)ポケモン(ゲーム)が俺らにはある」って励まされ生きてました


その中で、頭の何処かに「バカになって勉強ついていけなかったら恥ずかしいしどうしよう」って不安が膨らむ


そんなとき「何処で勉強しても良いよ」は私にとってとてもありがたい選択肢でした


ホームスクールは、子供に寄り添って協力できる家庭環境がなければ難しく、アメリカ等合法ですが日本ではまだ許されていません


すぐに「じゃあ子供が生きやすいように環境変えよう!」は難しいけど、勉強はどこでやってもいいって思えただけで、もし学校に戻っても「先生の言ってることはわかる」ってだけで気分は少し楽でした


風の時代が来た2023年


少しずつでいいから学ぶ環境が多様化して可能性が広がれば良いなってふと思った