5月8日は母の日でしたね。


私は東京オリンピックが開催された年の

1964年に岩手県盛岡市に生まれました。



父は既に他界していますが

「胎内記憶」がある子どもが教えてくれています‥お空の上で両親を決めてくる‥と。



私は父と母を選んで

生まれてきたことになります。



今思えば、きょうだいの中で

私が一番父と気があっていたと思います。



母とは考え方が真逆で🤣✨

もしかしたら

母にとっては

私が最も、難しい子どもだったのかも知れません😆✨




この年齢になっても

母にとっては安心できない子どもで

なさけない🤣✨子どもなのだと‥言っていました(笑)




私が物心ついた時は

両親は共働きでした。


幼い子どもの頃のことです。

お布団に入る時は近くにいたのに

夜中や朝早く目が覚めると、

母がいなくで寂しかった記憶があります。

今思えば、夜勤の時だったのでしょう。



それでも

私は子どものの頃

母が働いていることに

どこかで誇りに思っていたように思います。



サラリーマンだった時の父は

母も働いていて

安定した生活をしていたと思います。




脱サラしてまでも事業したかった父の気持ちも

わからないわけでもないのですが



安定した収入になるまでは

母はまた夜勤をする救急病院へ働くようになり


子ども3人と祖母の家族のために

母は働いていたのだと思います。




ぜいたくはしなくとも

私たちきょうだいにやりたいことは

させてくれていましたから。



それも母に経済力があったからだと思います。



父の事業が軌道にのってからは

母も看護師を辞めて

事務として父と一緒に働くことになり



事務所を購入してからは

私も床のワックスがけに🤣✨

駆り出されていました😆✨


商売をしていると

人の出入りも多く、

母は自宅と事務所が隣だったため‥

夜も来客のため忙かったように思います。




その後いろいろありましたが

私たち子どもには

家を出て自由に生きていいと‥

言ってくれましたから

ありがたかったですね。




家族というかたちは

いつまでも一緒ではなくなります。


だからこそ

大切にしたい時間ですね。





家族がバラバラに暮らすことになって

形は違っても

父と母は

私たち子どもの生活を

守ろうとしてくれていたことは

よく伝わっていました。


それがありがたかったです照れ



もしかしたら

経済的にもいろいろな面でも

一般的な家庭より

波が大きな家庭だったかも知れません🤣✨



親の生き方をまざまざと見せてくれ

体験することにもなり

今は私の糧にもなり✨中々面白い‥と

思えるようになりました。




父とは息子と

好きなお酒を一緒に飲みながら

いろいろ話して欲しかったですね。


父もそのように

思っていたと思います。



3人共釣り🎣が好きなので

もっと一緒に釣りをしたかっただろうな。

息子に川遊びや釣りを教えたのは父でしたから。





私はこの父と母の子どもとして

生まれて良かった。




自分で言うのも

おかしいのですが

私は中々の🤣✨

体験したい魂のようです。



全ては魂の約束。






お母さん🌹

私を生んで育ててくれて

育ててくれて

ありがとうございます。


ずっと働いてくれて

ありがとうございます。


人のために働いて

本当はやりたいことがあったのかも知れません。


もっと自由に生きてほしかった‥

もっと楽しんで生きてほしかった‥






お父さん🌹

私のことを理解してくれて

信じてくれて

ありがとう。



お父さんがいてくれて

私は安心していました。









昨日聞いたこと‥素敵なこと。




「大丈夫」‥という字は



人という字が3つ入っていて

父と母と自分の3人のこと。




両親と自分で大丈夫なんだとかラブ





だから何があっても

父と母と私で大丈夫だったのです。




皆さんも

ご両親と自分で大丈夫なのです



「大丈夫」という意味ウインク





母の日の大きな龍神🐉雲ですニコニコ









今日もありがとうございます。



あなたに

全ての良きことが

なだれの如く起きます。



何があっても

未来は明るい。



ふわふわ〜。

このことが

ダイヤモンド💎に変わります。