終戦記念日に寄せて 2 | ぽち太の寝言は寝て言え

ぽち太の寝言は寝て言え

その日、その時、思ったコト、したコトをありのままに書いてます 気楽にやりましょー(^-^)/

結局今日までフツーにしてたぽち太ですガーンダウン

今日は終戦記念日と言うコトで、テレビテレビや新聞等でも色々特集が組まれているようです

戦争の悲惨さや戦没者の方々への哀悼の意を表すのは勿論ですが、今年ぽち太は『終戦』という事実について考えてみました

太平洋戦争は、半ばヤケクソのような形で始めてしまったため、終らせ方については深く議論されていなかったように見受けられます

いよいよにっちもさっちも行かなくなって、組閣されたのが鈴木貫太郎内閣です

首相本人もそうなんですが、この内閣の海軍関係者を中心に講和への道筋を探ります

元々海軍には軍令部等の一部を除き、日米開戦反対の立場を採る者が多かったのですが、首相鈴木貫太郎、海軍大臣米内光政、海軍次官井上成美等がその中心を担いました

米内光政は、従前からその主張が一貫していたため、東京裁判でも被告とされることもありませんでした

井上成美に至っては、日本の独立さえ保たれるなら、どんな条件も呑むという方針でした
その根底には、日本の若者を救わなければとの想いが強かったらしく、戦後高熱にうなされた際に「早くしないと、若者が大勢亡くなってしまう」と叫んだそうです

一方の陸軍ですが、陸軍の総意としては、本土決戦による徹底抗戦であり、当然大臣の阿南これちか(変換できない…)もこの主張を展開します

しかし、この時の阿南陸軍大臣の行動は不思議で、内閣の総意が講和にまとまりつつある中で、辞職せず徹底抗戦を主張し続けます

当時の法律では陸海軍が大臣を引き上げてしまえば、内閣は辞職に追いやられます

それをしなかったのは、主張を続けることで陸軍の暴発(実際にクーデター計画があったらしい)を抑えつつ講和に持ち込む事を狙ったとも言われています
この方は、ポツダム宣言受諾が決まった後、割腹自殺を遂げています
この直前に挨拶を受けた米内光政は、「もう阿南君とは会えないんだろうね」と語ったそうです

こうして見ていくと、戦争と言うものは、関わった人々の人生を全て変えてしまいます

勇ましい掛け声だけでは、どうにも出来ない事を知って行動しなくてはいけません

さて、明日からは疎開生活のご報告ですニコニコ