2006/10/31
それは調度、征夷大将軍が蝦夷を討伐に行く頃の時代だった。
歴史書には記されていないが、今でいう神奈川県に当時を全盛期としたクニがあった。
その名を、月璽国~つきのたまのくに~と言った。
異様な風習を持つクニだった。異様すぎた。何でも、月を神として崇拝し、満月の夜には生き血を全て抜き取った18才の女の死骸を、都の北にある聖壇と呼ばれる場所に置いてくる。
そのような風習をもつクニであった。
聖壇に捧げた死骸は、次の日にはキレイさっぱりなくなっていた。死体があった場所には代わりに正体不明なものがおいてあった。それは都へ持ち帰り、「シサイ」と呼ばれる者たちに管理された。
正体不明なものは、何かの部品のようだった。組み立てることができた。完成してみると巨大な像のようだった。
人々は、それを月に生け贄を捧げている褒美だと直感的に理解した。
像が完成した日から、生け贄はなくなった。像への崇拝に変わっていった。
その像は月の神という意味からツクヨミと呼ばれた。
………その後、遠征中の坂上田村麻呂率いる朝廷軍により月璽国は壊滅。クニは歴史に名を残すことはなかった。
しかし、まだ絶滅したわけではなかった。
物語はその世界から約2500年ほど先の物語である……。
歴史書には記されていないが、今でいう神奈川県に当時を全盛期としたクニがあった。
その名を、月璽国~つきのたまのくに~と言った。
異様な風習を持つクニだった。異様すぎた。何でも、月を神として崇拝し、満月の夜には生き血を全て抜き取った18才の女の死骸を、都の北にある聖壇と呼ばれる場所に置いてくる。
そのような風習をもつクニであった。
聖壇に捧げた死骸は、次の日にはキレイさっぱりなくなっていた。死体があった場所には代わりに正体不明なものがおいてあった。それは都へ持ち帰り、「シサイ」と呼ばれる者たちに管理された。
正体不明なものは、何かの部品のようだった。組み立てることができた。完成してみると巨大な像のようだった。
人々は、それを月に生け贄を捧げている褒美だと直感的に理解した。
像が完成した日から、生け贄はなくなった。像への崇拝に変わっていった。
その像は月の神という意味からツクヨミと呼ばれた。
………その後、遠征中の坂上田村麻呂率いる朝廷軍により月璽国は壊滅。クニは歴史に名を残すことはなかった。
しかし、まだ絶滅したわけではなかった。
物語はその世界から約2500年ほど先の物語である……。


