『ブレゲ』(会長講話の要約、2007年8月販社会議にて)
私は、ブレゲという、時計のメーカーなのですが、とても素的だと思っています。
是非、皆さんもブレゲというメーカーを素的だと思って頂ければな・・・と思います。
で、ここでもし話が終わったら、ただ「ブレゲが素的でした」という旗だけです。
これで、心が震えて感動している人が居たら、何か勘違いしているだけです。
でも、現場でこういう方が多いのです。
ブレゲというメーカーは、とても古いメーカーで、世界でも2番目か3番目に入る位の、
歴史のあるメーカーです。
このメーカーの創始者のブレゲという時計職人は、貧乏で、一人で一生懸命に時計を作っていました。
そこへ、なんとヨーロッパの美しい、大金持ちがやって来て、ブレゲの技術に感動して、しがない小さな時計屋さんに、沢山の時計を発注するのです。
ある時、そんな事があって、ブレゲは一生懸命に時計を作り、沢山の発明をして、ブレゲの時計はヨーロッパの社交界で、一大ブームになりました。
ヨーロッパ中のお金持ちがブレゲを求めて、気が付くとブレゲは、ヨーロッパを代表する時計メーカーの社長になっていました。
その時、フランスが大飢饉になって、とても危なくなしました。
そして、このブレゲに最初に頼んでヨーロッパに広めた人が、かのマリー・アントワネットだったのですが、彼女は革命によって投獄され、ギロチンにかけられる運命をたどらされていました。
窓の無い部屋に投獄されていたマリー・アントワネットは、親しい人に「今まで有難う」という手紙を書きました。
今や、投獄されたマリー・アントワネットと、ヨーロッパを代表する時計メーカーの社長になっていたブレゲとは、立場が逆になっていました。
彼女はブレゲに「窓の無い部屋に投獄されているので、せっかく今まで作って貰った時計が暗くて見えません。今まで有難う」という手紙を送りました。
そして、それから数日の内にマリー・アントワネットがギロチンになると、ブレゲは知るのです。
ブレゲは、その時全ての仕事を止め、一度だけでも良いから、もう一度だけ自分の時計を使って欲しいと思って、昼夜を通して作った時計がありました。
その時計は、音で時間が分かる時計で、暗闇でも時刻が分かる時計でした。
そんな愛の形が、マリー・アントワネットが最後に使った時計と言われています。
私は、この話を聞いて、とてもその時計が好きになりました。
私が、ただ「好き」というより、「何故、好きか?」というところが、最も大切なところです。
どうか、「何故」を。
多くの方が共鳴してくれる、「何故」ということを語っていないと、人の心に入って行かないと思います。
今日の私の話で、時計に興味の無い人も、一度時計を見てみたいと思ったのではないでしょうか?