吉岡愛オフィシャルブログ「吾輩は愛である」
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こんな放置しまくりのブログでも意外とアクセスがあったりして
何でかと思ってたら、角膜潰瘍の記事を読んでくださる方が多いみたい。
検索でもこのワードがいつも多かったな。




↑よく読まれている記事






当時、闘病記を書こうか迷ったけど、もし誰かのお役に立ててるなら書いて良かったな。





幸い私は左目が少し曇って見える程度まで回復しましたが
それでもその状態での生活に慣れるまで何年かかかりました。



今では日常で困ることはあまりなくなりました。
段差とかの距離感もなんとなく分かります。
たまにミスってコケるけどこれはただのドジという噂も、、笑


車の運転だけは極力しないようにしてます。
実際何度か事故って色んな人に迷惑をかけたので。。






バンド活動もほぼ不自由なく出来てます。



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でもライブの照明や日光はやはり苦手。
強い光は痛いし視界の白みが増す感じ。

ギターの指板が見えないから、耳はだいぶ鍛えられたかも?
良い面も、きっとあるよね。








何で急にこんな事を書いたかと言いますと


今日ママがfbで5年前の自身の投稿をシェアしててね、
5年前の今日、私は島根での治療を終えて当時住んでいた横浜に帰ったみたいなんです。


めちゃくちゃ辛い日々だったけど、ママかが毎日病院まで私の目となって寄り添ってくれたこと、ほぼ片時も離れず側に居てくれたこと
美味しいご飯やパンを作ってくれて、痛くてうずくまるだけの私を毎日励まし、祈ってくれたこと

なんだか人生で初めてママを独り占めしてる気がして、ちょっと嬉しかったりして。(^^;



当時の気持ちを思い出して、ちょっと一人エモーショナルになってこの記事を書いた次第です。笑






当たり前だと思っていることは決して当たり前でないこと、何かを失ってみないと気付かないもので。
普通に生きていることが何よりの幸せだということ、たまに見失ってしまうけど、忘れたくないね。















広島に帰ってきて4年半ぐらいか。
帰ってこれて本当に幸せ。
あんなに人が怖くて、噛み付いては逃げていた私が、今では大好きだと言える人が沢山居る。
愛する両親とグミにすぐ会いに行ける。
何という贅沢だろう。



大袈裟でなく、病気は人生を変える何かのキッカケをくれたんだと思えています。