恋愛意識は

愛と性、愛と情、愛と条件など

癒着して張り付いている状態。

愛しているから○○、

愛してるなら○○してくれるはず、など。


ある程度論理的にそれらを理解することは

そこから抜け出すためには

とても大切である。

まずはきちんとそれぞれを理解する。

愛は愛。性は性。情は情。条件は条件。

愛に対して、

性や情や条件が張り付いている状態。

それが悪いということではなく、

それは純粋な「愛」そのものではないという話。

きちんと張り付いているものを剥がして、

それぞれを理解し、機能させていく。

そうすると真実の愛が見えてくる。


愛だけでなく、人間関係でも言える。

色んな物事が張り付いていると、、、

こうしてくれないから嫌とか

争いや分離生む。


一見、

波長が合わない人に

無理矢理合わせて取り繕うことが

調和と考えられがちな世の中ではある。

その人の前では取り繕って合わせても、

陰で不平不満を言う姿も目にすると思う。

それ自体が分離であって、

真の調和とは言い難い。

「あの人がああ言ったから」とか、

争いを生むことになる。

だからと言って、拒絶する必要はない。

ただお互いを尊重する。

違いを認めるだけ。

あなたは右へ行くのね、

私は左へ行くねということと同じ。

そこに良い悪いはない。

否定するわけでもなく、

ただただお互いを尊重する。

それは真の調和であり、

争いを生まない。


愛に対しても、

愛と色んなものをごちゃごちゃにしているからややこしくなる。

愛は愛、性は性。

愛しているから

性行為をするというのも違う。

だからと言って、

性に罪悪感を感じる必要もない。

悪いものでもない。

自分の中に性欲は元々あったもの。

自分から湧き出ているもの。

そこに愛を乗せる必要はないし、

愛に性欲を乗せる必要もない。

ただ、性行為をするのなら

愛している相手がいいという話。

条件に対しても同じ。

そばに居てくれるから

愛してる・愛されてる、

優しくしてくれるから

愛してる・愛されてる、

生活を面倒みてくれるから

愛してる・愛されてる、

結婚してくれるから

愛してる・愛されてる。

それらの条件を愛に乗せる必要はないし、

それらの条件が満たされることで

愛を測ろうとする必要もない。

愛は愛、条件は条件。

ただ、愛されたいとか

優しくされたい、

そばにいたい、

大事にそれたい、

それらの自分の気持ちを

否定する必要はない。

愛とは別ってだけの話。


これって、愛だけでなく何でも同じ。

血縁のしがらみとかにも言えること。

血縁は血縁。情は情。義務感は義務感。

「親だから○○」

「子どもだから○○」と

血縁関係に対して

情や義務感を乗せる必要はない。

そのごちゃごちゃの状態が

ネガティブを生み出し

カルマを作り出すきっかけにもなっている。