サイレン後、再会はまだだけど
連絡が再開してすぐの頃に
私が体験したことです。
欲しいものを受け取れないなんて
私にはそんな一面はないと思っていた。
家庭環境が良かった悪かったという話ではなく、
物に対しては不自由なく、
むしろ十分に与えられていた。
大人になってからも
様々な形で物質を与えられることが多く、
受け取れない自分がいるとは
想像もつかなかった。
しかし…
ある時、受け取れない自分に気が付いてしまった。
『私なんかが彼にふさわしくない』
『私なんか価値がない』
『私なんかが彼に愛されるわけがない』
そんな私の奥底にある気持ち。
だから、彼に会うのが怖いんだと。
好きなのに、怖い
矛盾のような自分の内面。
それは、
自分のことをかなり過小評価し、
自己卑下していることからきているとわかった。
自己卑下している自分が
どんどん表面化した。
その頃、彼とのことだけでもなく
他の面においても
実は自己卑下していた自分に
気付かされることが重なった。
その時に私がしたこと。
①無条件に自分を褒める
何か特別なことを成し遂げたから褒めるとかでなく、
朝起きられたこと、
ご飯を作って食べたこと、
人に優しく出来たこと、
なんでもいいから自分を褒めることをした。
→自分てこんなに日々頑張ってるんだって実感できる。
②自分の出来ることを沢山書き出す
当たり前って思うことでもなんでもいい。
出来ることを書き出す。
→こんなに自分て色々出来るんだって思える。
③条件なく、自分を甘やかす。
講習とか、仕事に繋がるからと
お金を自分にかけるのではなく、
ただ自分がやってみたいという理由で
自分に好きにやらせてあげる。
→自分て価値があるんだって思える。
④鏡の前の自分、
他にもどんな時も自分に対して
愛してるよと話かける。
→自分のことが前よりも愛おしく思えてくる。
⑤自分に話しかける。
お風呂に入って気持ちいい時、
自然の中で空気が気持ちよくて
細胞が喜んでいる時とか
『気持ちいいね、姫ちゃん』って
自分に話しかける。
姫ちゃんは今すごく気持ちいいって
感じてるんだって感じながら。
他にも自分自身に色々話しかけてみる。
嬉しかった時も
『嬉しいんだね、姫ちゃん』て。
そして嬉しいって感じてるんだって感じてみる。
逆に悲しかった時は
『何がそんなに悲しかったの?
聞かせて』って。
→自分との対話がどんどん出来るようになる。
こんなことを続けていったら
自分の意識が少しずつ変わっていった。
そしたら、
彼から会おうと言われて
再会する流れとなった。
これらのことって
いくら他人にしてもらってもダメ。
(してくれるのは有難いけど、
そういう意味ではないです)
自分で自分に対してする方が
実は大切なことだと思った。
他人にしてもらうだと他人軸のまま。
その相手から愛されてる、
その相手から大切にされてる、
それだけなの。
それも嬉しいのですが
ツインレイの相手には
自分で自分を愛せている前提で
これが成り立つのだと思います。
自分で自分を愛する、
自分で自分を大切にする、
自分で自分をどう扱うか?が
まずは大切だってこと。