アフィリエイトを模索しつつ色々呟きます -2ページ目

アフィリエイトを模索しつつ色々呟きます

自分が出来る事をアフィリエイターや始めたい方だけでなく
一般的な方等様々な人たちに楽しめるような工夫をしたいと思っています

こんにちは
タイトルを見て大げさに思ったでしょうか

けれども私は発見したんです

何でも知っている全知全能の存在
その名も「知ってる君」

彼に聞いてしまえば何もかも解ってしまいます

そんな「知ってる君」とはいったい何者なのか
説明していこうと思います

さて、まあぶっちゃけ盛ってます
余興だと思って結構です、でももしかしたら凄い事かも・・・
どうですかね

あらためて説明しよう
「知ってる君」とは何者か
「知ってる君」は私の中にしかいません
そしてあなたの中にしかいません

彼は私が思いついた(ここ大事)
脳内で作られるキャラクターです
そしてたとえどんな事を尋ねても
「知ってるよ!」としか言わない
究極の知ったかぶりです

でも彼が言う事は不思議と間違いがありません
その理由の一つとして

例えばあなたが、じゃあコレって知ってる?
と「知ってる君」に聞いたとしましょう、
でも自分で知りもしない事を質問して確かめたりしないですよね
だって自分が知っている事でなければ、
答えを聞いた所でそれが合っているかどうか解りませんから

大抵の場合問いかけをする時は自分が知っている事を尋ねる
だから自分の中にいる「知ってる君」は答える事ができるのです

ではちょっと意地悪して自分が解らない事を聞いてみたとします
それでも「知ってる君」は答える事ができます
なぜなら「知ってる君」は知っている、としか答える事ができないのです
だから自分が知らない事を聞いた場合
あなたはそもそも答えは何なんだろう
とか勝手に思って
「知ってる君」に答えさせるために
調べ物をしたり、答えを考えたりします
そして理を解した時、満を持して彼は答えます
「こういう事でしょ?知ってるよ!」ってね

「知ってる君」が何故全知全能なのか?
それは彼の正体、その本質が探究心にあるからです
言ってしまえば、この世に解けない謎なんてないんです
あなたが謎に思う事はあなただから解くことができるのです
時には難解な問題に直面する事もあるでしょう
でも「知ってる君」に質問をぶつけ、
彼をより有能な存在として育んでいけば
そんな問題も解決できるようになっていくでしょう
いうなれば「知ってる君」は探究心を呼び起こすためにいる存在
と言えるかもしれません

もしなるほどと思ったのなら
たまに思い出してみて下さい
「知ってる君」という存在を
彼は問題を与える事によって成長します

私も思い出した時はたまに
「知ってる君」を育んでみようと思います


では

ねえ知ってる君、君っていったい何者か知ってる?
「知ってるよ!さっき説明してたじゃん!
その通りだよ、とりあえず今はね・・」




実用性とか多分皆無な話です

でも多分壮大な話なんで退屈しのぎには丁度いいかもしれません

退屈しのぎには壮大な宇宙とかの事を考えるといいのかもしれないなんて
ちょっと思います、星や宇宙を見て漠然とした事を考えていれば
些細な事などどうでもよく感じられて、心をニュートラルに戻して
また新たになにかする気になるかもしれないし、ならないかもしれないし

まあそんな感じで暇な時適当にメモしてた「運命についての考察」が
以下になります



世の中には様々な理論がはびこんでいる

蔓延るとは悪く増殖するという意味があるらしいが
わるい物ばがりではないだろうが
ただでたらめに多く存在しているという意味では正しいかもしれない

自分もなんらかの理論を展開している

それは正しいのだろうか

本当に自分に必要な事なのだろうか

ただ幸せに過ごす事ができればいいはずなのに

どんなに多くの理論を展開して言った所で
幸せになれるとは限らない

なんらかの行動を起こす必要性はあるかもしれない

ただどんな行動にしても幸せになれるとは限らない

幸せとは、努力して勝ち取るものではなく
ただ運のいい人に与えられる特権のように思える

自分にしたって楽しい気分になれる事は
自分が行動したから起きた現象である事はあまりない

天気が良かったり 体調リズムのタイミングが良かったり
誰かに誘われたり  

能動的である事は大抵苦痛を招く 

能動的に行動し上手くいく事があったとしても
突き詰めればその原動力は環境に委ねられた受動的な物である

環境に身を起き、細胞の集合体である生命は
完全に能動的に動く事は出来ない  
単細胞生物ではないのだ 

社会や脳は多様性が集合したものであって
行動の発生は運命に左右されている

人間には選択する力があるというが
選択をする事自体がなんらかの環境に影響されているとしたら
そんな権利があるのかどうかすら定かではない

二つの仮説をたてる

人間(自分)には魂が存在し 
それは環境、全体、神、運命、
それらの枠を超えて選択する事が可能である
たとえばどんな環境、運命であっても
中核となる魂しだいで異なった選択を取る事が可能

あるいは全ては運命、環境、神によって定められていて
川がながれていくように時間軸が決まっていて
意思によって運命を変えていく事は出来ない

未来は予め決まっていて抗う事はできない

あるいは魂の選択によってその結果を変える事ができる

どちらにせよ未来が見えない以上は
その事に結論をつける事は難しい

選択によって望んだ人生を歩めるかどうか
それは未来になってみないと解らない
そしてその未来がきた時それは今に変わり
はたしてそれが魂の選択によって変化された現在なのか
あるいは到達する事が決まっていた運命なのか
知るよしはない

脳の連鎖反応を言語でなく映像としてイメージする
結局言語化することにはなるが

沸いてくる感情は
宇宙に散らばっている星や星雲に似ている
もやもやしていて、
近づいて組み立ててみるとなんらかの理論や
言語、具体的な映像に変わる

そのふわふわ浮いている星屑のどれを掴み取り
どのように組み立てるか 
それがイメージによって解る選択の仕組み

どれを掴み、それを認識し、何を組み立てるのか
それが解らないから迷いが生じる
適当に掴み取る事もできるし 
掴み取るものが外部に影響される事もある

散らばっているアイデアが何なのか
それ自体にあまり意味は無いのかもしれない
見えてきたアイデアが素晴らしく感じれれるのなら
それ自体が幸せなのでそれを感じていればいい
行動によってさらなる幸せが誘発されるななおいい

やはりこういった抽象的な感覚にばかり頼っていてもしかたがない
発揮できる機会があればそうすればいいだけの話で

やはり具体的になにかをやればそれでいいかもしれない
別に計画しなくても惰性で取る行動でもいいだろう
考えているだけでは仕方が無いのだから
何でもいいだろう、水を飲む事かもしれないし
アイスを食べる事かもしれない 
トイレに行く事かもしれない、
起きる事は勝手に起こる
幸せもそんな風に勝手に起きるかもしれない
そんな幸せを感覚的に選べるように意識してみるといいかもしれない
不思議な感覚の事をセンスオブワンダー
と言うらしいがどうでもいいだろう
むしろその言葉に意識を取られると
オカルトよりの発想を生みがちだ
もっと捉えどころのない感覚として意識しよう
神秘的なものかもしれないし
実用的なものかもしれないし
下らないものかもしれない
自分という動物がそれらしい事をする
それはどんな事であっても正しいのかもしれない
私は昨日カラオケに行きました
そしてジョイサウンドのうたスキ動画という機能を使い
歌った動画を投稿してみました、特に批評があった訳ではないのですが
批判されたりしないか不安になったり、評価に期待したりして
批判されている人や掲示板でギスギスしている所であったり
オーディション番組で落とされる人等をみて共感し
悲しい気分になりました

蛇足ですが
私みたいに、はじめ自分の歌を聴いた時はテンションも上がっていて
良く聴こえたのですが、次の日落ち着いて聴いてみると
どうって事なく聴こえて虚しくなる
なんて事あった人は他にもいるんじゃないでしょうか

さて本題に移りましょう、
まず劣等感とはどういったものかを振り返ってみます
私は常日頃劣等感を感じながら生きているタイプの人間です
私は世の中にとって必要ない無価値な人間だ
そんな風に思う事によって誰かに批判された時
「そんな事知ってるよ、解り切った事だからたいしたこと無い」
といったように自己防衛するように
潜在意識的に思考パターンが出来ているのでしょう

だからといって批判されても悲しくならないとは限りません
例えば借金を抱えている人が更に金を失う事になったとしたら
今までの苦労にくらべたらたいした事ない、と思う事もあるでしょうが
「またかよ!いいかげんにしてくれ!」と苦しくなる事もあるでしょう
そして調子が上がってきた時に挫けてしまうというのも
温水の後の冷や水のようにより辛く感じられるのだと思います

私の場合、面と向かって批判される事はそんなにないのですが
調子が上がってきている時に、誰か批判されている人を見て
あれは辛そうだ、あんな思いしたくない、こんな世の中悲しい
と勝手に辛くなる場合のほうがが多いですね

劣等感を克服するためにはどうすればいいか
劣等感の反対は優越感、だからもっと自分を好きになればいい

そんな簡単な事ではすまないと私は思います
「俺はダメな奴だ!」と思っている人がむりやり「俺は最高な奴だ!」
と思い込むようにするのも、荒治療ではありますが
自己暗示としては使い道があるかもしれません
しかし
自己暗示という物はようするに自分自身に催眠術をかけて
洗脳するようなものですが、簡単な事ではありません
暗示に対して反対の感情も働きますし、リラックスしている必要もあり
上手くいっても効果が一時的であったりします

そのようなやり方は例えば
駄々をこねて聴く耳を持たない幼児にたいして
ただ「ああしなさい!こうしなさい!」
と怒鳴るだけで喧嘩してる親子のようです
客観的にみれば、
大人なんだからもっと理性的に解決するべきだ
と思うのですが、
自分を見失ってしまうとそれにも気がつきません

人間の感情的な部分は駄々をこねる幼児のようなものです
それに対してアプローチしていく権利を持っているのは
理性であって、
そんな感情に対して理性はただ理路整然と、パズルを解くように
何故そんな感情がでてきているのか、その背景を分析して把握
その上で、ではどう考える事ができるか、
今すべき事は何で、できる事は何なのか、
これもまた散らばっているパーツを集めて
答えを完成させていけばいいのです

例えば今の私の場合は簡単なのですが
感情の発生源や背景は上記の通り
別に歌手でもないし、そもそも私は批判されていない
運よく歌手にでもなれれば、という期待はない訳ではないが
好きで歌っていればそれなりに上手くもなるだろうし
単純にそんなに気にする必要はない
ではすべき事、そして出来る事は何なのか
今日は天気が悪くジメジメしていて気分が落ちがちだ
運動不足に気をつけて体を動かすようにしていればいい
こういう時は辛い物でも食べたくなるから
買い物に行くといいかもしれない

といった所です

では










私はモチベーションを維持し何かを続けるのが苦手な人間
つまりはめんどくさがりです

けれども何か事を成し遂げる為には継続する事が重要なのは解り切った事です

では何故「めんどくさい」が発生してしまうのでしょうか

何か特定の事をするのがめんどくさいと感じたとします
例えば部屋の掃除がめんどくさいとしましょう
しかし部屋の掃除けさえすれば、
全てが満足し幸せに生きていける人間はそういません

でも中には掃除をするのが大好きでそれで生きていける人もいます
そんな人が掃除をするモチベーションを維持できる理由は
「集中しているから」です
いったい何に集中しているのか、これは掃除に限った事ではありません
掃除に関連する事に意識が集中していて、
思考パターンが掃除に関連する部分を中心に集結して
「掃除好きな人間の脳」が形成されていきます
そして上級者になると思考パターンだけでなく生活パターンまで
掃除に関係する事に集中していきます

例えば掃除名人として生きている人がいたとして
そんな人は、
掃除をして生きていく思考パターン、
そして生活パターンにまで集中している人です

さてでは、継続できる人間の事を把握した上で
私のようなめんどくさがりの人間はどうすれば
継続できるようになるのか、それが問題です
継続できない理由、それは上記と逆の意味である
「分散してしまうから」になります

例えばそんな私は掃除をしよう、と思っても
他に大事だと思う事(潜在意識的な物を含む、この場合理論的には大事でない場合がある)
がたくさんあります、
例えば * 「→」関連思考 「・」別の思考
「掃除しよう」→(後でどうせ散らかる、あんまり意味ない)・(怠けていたい)
・(遊びたい)→(そうでもない)・(他にする事がある)→(何かあったっけ?)
と言う思考パターンになり、「めんどくさい」と感じる事も正当化されていきます

上記を踏まえ最後に提案として上げられる解決策を幾つか紹介します

・集中できる人がしている事を真似する
重要に思える事であれば生活や思考パターンを組み替えて
それ専用の人間になっていくという事です
あるいは一時的にそんな人間を演じる

・取り組む物事のハードルそのものを下げる(お勧め)
作業量自体を分割させてしまい、ほんの少しだけやればいいという事です
例えばブログを書く場合
公開する記事を書くならちゃんとした物を作りたい 
でもめんどくさい、だったらせめてメモソフトに箇条書きで思いついた事を書いておく

とか

掃除するのがめんどくさいなら、とりあえずゴミを捨てるために
目に見える所にゴミ袋を広げておくだけ

といった所です
分散型思考を逆に利用してしまい
いっそのこと作業まで分散させてしまおう
という発想です
では





私的に読みやすいと思う文、読みにくいと思う文を分析します

何か漠然とした疑問を感じ検索したとします
例えば私は、画材を買ったけど結局絵を描かいていない事を思い
そんな傾向を検索してみました
けれども検索上位にある文章が優れていて読みやすいとは思えませんでした
それは文章力とは別に検索で引っかかるようなセールス能力によって
上位に存在しているので中身は無難な物だったりそれらしい定型句を並べたものなのでしょう

それらに共通している事は「あまり分析されていない」という事です
例えば「~は~である、だから~だ」といった内容のものです。
そしてそういう物を読んだ時思う事は、本当にそうだろうか?
例えば別の場合は? 仮にある部分がそうだとしたらある部分に矛盾が出てしまう
等と思う場合がほとんどです

これはなんらかの答えを決めてから自分の中でそれはそうと決め付けていて
逆説によって展開していく、という分析がなされていないのでしょう
物事は一つの説があり、その逆説であったり別の見方を追求していく事で
より優れた答えになっていきます、会議やディベート等では複数人でそれが出来ますが
一人で書いている文章だと、偏った答えを導きがちです

そしてありがちなパターンとしてストレスを感じるのが
あっているのかどうかも定かでない理論をやたらともったいつけて書かれる文章です
やたらと改行が多かったり
「あなたはこう思っていませんか?」「あなたはこんなんだから失敗してるんじゃないですか?」「あなたは犬を飼っていますか?」
と一々どうでもいい事を聞いてきます。

つまりは優れた理論を展開していくためには、その表現ばかりに気を使うのではなく
見るべきものはその理論そのものなのです

ですからまず第一文では理論の中核となる部分「結論」を先に述べ
次にその理論の優位性を逆説を踏まえたうえでより多角的に述べていけばより
優れた文章になるのではないでしょうか
ただ今の時代はそういったものよりもキャッチーな表現が好まれているという背景もあるのでしょうね

上記を踏まえ、拙いかもしれませんが私なりに例題をだしてみます
テーマは

「やろうと思っても結局やらないのは何故か、どうすればできるか」

中核となる理由は単純、「めんどくさい」からです
もしふとやろうと思った事を一々行動していたら、山をみたら登山をして
空を見たら飛行機にのって、最悪の場合TVのサスペンスをみたら犯罪を犯してしまいます
これらは極論ですが、この「めんどくさい」
という感情は何かをやろうと思ったやる気を抑制し、危険であったり非合理的な行動を起こさないために働く理性と言えるでしょう、
挫折したり、後悔したり、我慢したりする事によって理性は強化され、
何となく思ったやってみよう、という感覚も理性のフィルターで止まってしまうから行動できないのです
 ではどうすれば行動できるか? これは上記を踏まえれば自ずと答えもみえてきます。
理性によって行動が抑制されてしまうのであれば、その理性をコントロールする事によって行動を起こしていけばいいのです。 
まずはやろうとしている事の合理性、非合理性を認め、場合によっては合理性は関係ない事を自覚します(趣味として絵を描く等)
その上で例えば絵を描くためには画材を揃える意外にも絵を描く場所が散らかっていれば片付けて場所を確保していく必要があります、まずは片付けをし、テーマを決め、雑にでもデッサンしてみる、絵の具の色合いや筆使いを確認してみる、下書きしてみる
等と小さな事から少しづつはじめていけば理性のフィルターをすり抜けていき、行動する事が出来るようになってきます、その事になれれば行動を起こしやすい人間になる事も出来るでしょう
つまり、企画し、計画し、雑務を要領よくこなし、行動に移す というパターンを強化するという事です

最後に
フォント等は殆ど使わないで書いたのでその点など含め
段落やスペース、文字サイズも小さく、
お経みたいで読みにくいと感じる人もいるでしょうね
ただ伝え方や表現よりも理論を重視したのでこのような形になりました
特に注目を集めようとはしていないのでこれはこれとします