雲の柱、火の柱

雲の柱、火の柱

私にとっての奇跡、神さまの御業を記録します ~人は「偶然」というかもしれないけど

しばらく前、コンビニで使えるポイントをスマホのアプリにもらった。

 

…もらったはいいが、さて?

使い方が分からず放置していた。

 

だって、混んでいるレジで使い方を教えてもらうのは悪いから。

そもそもコンビニでほとんど買い物をしないし。

 

 

だが、気になるコンビニスイーツがあって、

ついにポイントでの買い物にチャレンジした。

 

スマホの画面を出して、レジに並んだ。

緊張したが、あっという間に会計は済んだ。

 

 

簡単すぎて、逆に怖い。

財布の現金が減らないので、自分がいくら使ったか自覚できない感じ。

(今回使ったポイントはプレゼントでもらったものだから自腹は痛まないが)

 

昨今は現金払いが少数派になりつつあるかもしれない。

私は大きな買い物にはクレジットカードを使うが、

普段使いにキャッシュレスだと絶対に使い過ぎる。

だから現金払いを続ける。

ずっと気になっていた自室を少し片付けた。
目標とする片付け全体からすると、1割くらいだけ。
それでも、ごみ袋4つ分の不用品があった。

いや、どんだけ物を溜め込むんだって話だ。
「いつか使うかも」は危ない言葉だ。

児童館の仕事の流れは、各館で違う。

 

異動前の館でしていたことと、違うことが多々ある。

なんでそうやっているんだろう? と思っても、

今の館のやり方を非難していると思われたくなかったので、

質問できなかったことが何度かあった。

 

だが、それはもうやめる。

そういう変な遠慮が原因で、失敗を繰り返したからだ。

 

同僚にどう思われるか余計な心配せずに、

疑問点は素直に聞く!

どんどん今の館に食い込んでいかなければだめだ。

いつまでも「お客さん」みたいな職員じゃだめだ。

 

2か月経って、ようやく私の令和6年度が始まった。

新年度になって2カ月が経とうとしている。

私は4月から着任した館で、ちょいちょい失敗しながらやっている。

 

失敗しないと覚えられないのが恨めしい。

 

今日こそ、今日こそしっかりしようと思いつつ、

さらに思ってもみなかった失敗を重ねている。

 

 

でも一つ、対策できることがある。

性根を据えて、真正面から物事にあたることだ。

 

私には変に遠慮する面がある。

子どもの時に出しゃばって失敗して、叱られた経験がたくさんあるからだ。

だから未だに自分のやることに自信が持てない。

余計なことをするな、と誰かに言われないかびくびくしている。

 

職場でも、新しいことにはおっかなびっくり行動しがち。

どこまで踏み込んでやったらいいのか常に悩んでいる。

これは自分の領分でいいのか? 或いは相手の領分に踏み込み過ぎていないか?

 

その結果、全てにおいてもう一歩の確認が疎かになる。

毎晩、馬鹿なことやってしまった、と後悔ばかり。

 

そうならないために、もっと堂々と仕事をすべきなのだ。

疑問点は同僚に率直に質問し、

仕事がのろいと思われているかな、などと気にせずに

落ち着いて取り組めばいい。

 

神さま、この弱い私に上からの力を与えてください。

神さまの万能の力のほんの一部を賜りませ。

昭和生まれの私が子どもの頃、

ランドセルの色は、男子が黒、女子が赤だった。

 

今にして思えば、生まれてきた性別に違和感を持つ子にとってはつらかったろう。

 

 

やがて、徐々に違う色が出てきた。

最初の頃は限りなく赤に近い濃いピンクで、

そのうち、薄いピンク、水色、パープルなどが出てきた。

 

寒色のランドセルを背負った女子を見かけた時はびっくりした。

 

 

令和の今は、派手な原色、淡い中間色、大人びたアースカラーなど、

ありとあらゆる色がある。

縁取りやステッチの糸が、地色と違うランドセルもある。

 

そんな中、今年の1年生女子のランドセルを見て虚を突かれた思いをした。

真っ白!だったのだ。

 

…確かに、白いバッグはある。私も夏用に持っている。

考えてみれば、白のランドセルがあってもおかしくない。

 

だけど、扱いの荒い子どもに持たせるランドセルに白なんて、

汚れや傷が目立つんじゃないだろうか。

機能面でいうと、やはり黒と赤は最強だと思う。

大した学も職歴もない私。
仕事があるだけで幸運なのだ。

でも休みたくなる。
一晩寝ただけでは疲れが取れない。
だるい体をそのまま職場に持っていく。

NHK連続テレビ小説「はね駒」は、1986(昭和61)年放送。

主演の斉藤由貴さんが好きだったので、夢中になって見ていた。

 

その作中で、女中になった主人公が、

桶の水で雑巾をすすいで絞って、廊下を拭くシーンがあった。

すると年配の女中が

「こんなに桶の周りに水を撥ね飛ばしてはだめだ」

と叱った。

水面でバチャバチャ雑巾をすすぐのではなく、

水の中で静かに雑巾をすすぎ、

絞る時は桶の縁より高いところでするのではなく、桶の中で絞りなさい、と教えていた。

 

なるほど、と思った。

当時の私は、バケツの水を使って水拭きしたことがなったから、

勉強になった。

 

それから数十年経ち、私は毎朝、職場の床を水雑巾で拭いている。

ドラマで教わった通り、周りに水を飛ばさないように気を付けている。

 

NHKさん、あのエピソードは役立っていますよー!

身バレが怖いからケガの詳細は書けないけれど、

あの日から3か月経った。

 

月に一度通院している。

ゆっくりだけど、回復に向かっている。

今は日常生活に大きな問題はない。

焦らずリハビリしていこう、と医師には言われている。

 

本当のところ、リハビリしていれば元通りになるかどうかは分からない。

でも教わったリハビリの動きを、バスの中、職場での昼休み、自宅でYoutubeを見ている時に

やっている。

諦めたら終わりだ!

 

それにしても、私はケガしてすぐに治療を受けられたのでラッキーだった。

 

先日リハビリに行った時、

担当してくれた先生が、ずいぶん前に会った患者さんの話をしてくれた。

その方はA病院から転院して来たが、なんと負傷後3か月経っていたとのこと。

A病院では積極的な治療はなく、

見かねたそこの看護師さんが、セカンドオピニオンをこっそり勧めてくれたそうだ。

しかしすでに遅く、こちらの病院でリハビリしても、ほとんど改善はなかったとのこと。

 

A病院恐るべし…!

いや、そこだけではない。

病院や医院に関するよくないうわさはよく耳にする。

知り合いになった元消防士から聞いた話は、

救急搬送した時、「○○病院だけは行かないでくれ」と懇願した人がいたとか。

 

もちろん医療従事者の皆さんは、みんな命を削るようにして働いていらっしゃる。

難ある人はほんの一部だろう。

しかし切羽詰まって受診する患者からすれば、

前もって医師の腕前を知ることはほぼ不可能だ。

 

私は今までの人生で、それほどひどい医師に出会ったことはない。

きっと私の知らないところで、神さまが導いてくださっている。

私が昨年度までいた館に来ていた小学生たちは、

互いに暴力暴言が多かった。

職員二人がかりでけんかしている子を引き離すこともしばしばあった。

 

それと比べると、今の館の子たちはそれなりにトラブるが、まだおとなしい。

(一人だけ強烈な子がいるが、毎日利用しない子だ)

 

そのせいだろうか。

ちょっと何かあっても、このくらい見逃してやろう、と私は思ってしまう。

これが現同僚との温度差なんだな。

 

しかし、郷に入っては郷に従えだから、私が合わせるべきなのだ。

もっと口酸っぱく子どもを注意しなければならない。

 

 

でもな。

それが子どもの心に届くのか?

子どもは表面上「はい」と言うだけで、改善しないじゃないか?

何が最善なんだろう?

職場で小学生と過ごしている時、

私は否定的な声掛けをしなくないと思っている。

 

それは正しい事か? むしろこうした方がいいのでは?

と提案する言い方をしている。

(危険行為に対しては、ビシッと怒るが)

 

だが、他の職員は言動の細かいところまでストレートに注意している。

遊び方のルールも、以前勤務していた児童館より細かくて厳格だが、

私個人としては、子どもが自分自身で考える力を奪うのではないか、と感じている。

 

逆に、現職場の同僚たちは、私のことを(子どもに甘い)と思っているだろうな。

 

 

だけど厳しく言い聞かせることが有効なら、とっくに子どもたちはおとなしくなっているはず。

それが未だに同じ注意を繰り返さなければならないというのは、

方法として間違っているか、

動線が悪い、館内が狭くてパーソナルスペースが取れない等の

環境が整っていないからじゃないだろうか。

 

…などとえらそうなことを書いた。

実際問題、毎日トラブルが起こってそれを仲裁するだけで精いっぱいだ。

だからトラブルの目を摘む意味で、細かく注意することになっていったんだろう。

私は自分の主義と、今の職場の雰囲気をすり合わせるのに神経を使っている。

だから疲れる。