私は、3人の子供を持つ母です。

 

中学3年生の長男が不登校になってから、ちょうど今日で、1か月が経ちます。

長男は、小学6年生の時に、軽度の自閉症スペクトラム障害(アスペルガー)と診断を受けたことがあります。 

今日に至るまでの約1か月を振り返りながら、書き記していこうと思いました。

 

不登校になった前日のきっかけ

 

不登校が始まったきっかけは、進路について、私と意見がぶつかったことでした。

長男の進路希望は、通信制の高校に進学したいとのことでした。

理由は、自分の時間を有意義に使いたいから。

 

うん、なるほど。 

頭ごなしに否定するのもいけないと思い、理由を聞いてみました。

 

有意義とは、具体的に何に時間を使いたいのかを聞くと、録画のアニメを見たり寝たりしたりする為と返答が返ってきました。 (この時点で十分過ぎるほど、アニメは見れていました)

 

子供の進路にレールをひくつもりはありませんでしたが、まさか、まさか、通信制と言われるとは想像外でした。  ここでぶつかった訳です。

  

その夜、長男は、完全に切れて、学校にはもう行かないと宣言したのでした。

 

不登校になってからの数日

 

ついに不登校に突入です。

息子の将来はどうなってしまうのか・・・

真っ暗なトンネルに入ってしっまった様な感覚、

不安に押しつぶされそうな毎日でした。

寝ている時間以外は、考えない時は1秒もありませんでした。 

 

息子の担任の先生には、家庭訪問をして下さるようにお願いをしました。

担任の先生は、ともて信頼できる先生だったからです。 

 

そして、家庭内暴力が始まりました・・・

長男は、切れる一方で、私には、「くそばばぁ死ね」「ぶっ殺してやる」「今すぐ死ね」「おまえが作った腐ったご飯なんか食えるか」と言っていました。

私は、私で、「中学校には行くべきで、子供が間違ったことをしていたら、分かるまで説明するので親の責任だから」と、学校へ行くように説得を続けていました。

数日は、キッチンの包丁を隠して寝ました。

 

 

不登校になってからの1週間

 

長男が不登校になってからの1週間は、涙の出ない日はありませんでした。

 

泣きながらも、私は、不登校の原因や不登校の解決策について、毎日勉強しました。

有りがたいことに、ネットで検索して簡単に情報が得られる時代に感謝です。

 

そして、長男の今の状態を変えるのではなく、親の私が変わるしかないことを知りました。

よし! 自分が変わる! 息子のことを全部受け入れてあげる! 学校に行かないことも!

と決意したのでした。 


私が変わるゼロからのスタートです。

(そんなに簡単にはいかないわけですが)

 

続く