自腹、紙、中古(リアル)
すべての病気は「生き方の偏り」が問題だと断言する、ワタシにとっては「そうだそうだ、そのとおり」な本。
第1章は「からだの仕組み」の解説に充てられていて、その後の説明を理解する助けになる。
とはいえ、この部分だけはなかなかに難しい。
医療系の学校で学んだ経験があり、「ちょっと忘れてきたかな」という人にちょうどいいくらい。
鍼灸やマッサージのガチ臨床をする「気合」がなくなった理由のひとつは、結局のところ、生き方を見直す覚悟がなければ、体調不良など根本的に改善しやしない、と気づいたから。
「治してください」「なんとかしてください」と縋りつかれても、困るのだ。
あなた自身が、真面目すぎる生き方、凝り固まった考え、ストレスにしかならない人間関係、等々を振り返って。
「変えよう!」と決意しなくては、どうにもならんのよ。
安保徹先生のお名前は、鍼灸マッサージ師養成校の授業中、雑談の中で知った。
専門学校の学びは「職業」に直結していて、「教養」の色彩は薄いのだけど、例外的に教養をおすそわけしてくださる先生方もいた。
実のところ、そうした「教養のおすそわけ」が、一番、ためになっている。
10数年前に学校へ入った頃、現代医学と対比して、こんなことが語られた。
東洋医学はオーダーメイド医療。
病だけでなく、ひと全体を診る。
検査データに頼れない代わりに、見て、触れて、識る。
対症療法だけでなく、体質改善も含めた根治が得意。
未病から、対応できる。
しかし時代は変わった。
これらの特徴は、今や、現代医学にも取り入れられつつある。
とはいえ、手法は相変わらずだ。
昔と比べたら、切った張ったの外科手術は減り、内視鏡下のような傷の小さい手術が増えた印象はあるが、ひとたび「病気」と診断されれば薬漬けになってしまう。
そして、患者もそれを、さほど疑わない。
親を見ていても、そう思う。
主訴の薬以外に、「夜、腰が痛いんです」「便秘がひどいんです」云々と訴えて、微妙な表情を見せながらも、医師が処方してくれれば、「ああ助かった」と喜ぶ。
安保先生の「教え」には賛同はするけれど、いささか実践が難しく思われる。
ワタシと連れ合いに関しては、80%くらいはできそうだけど。
妹(訪問看護師)も共感しそうだな。
なんだ、親以外の身内はけっこういけそうじゃん
「教え」を完璧に実践しようとするのも、よろしくないな。
その事自体が、「教え」に反している。
嗚呼、自己矛盾なり。