先日のわたしのブログには
バシャールが言っていた

バイブレーションが高い人が
目を醒ますことを選択しているとは
限らない

そして、その反対も同じく

バイブレーションが高くない人であっても
目を醒ますことを選択している意識も
存在している


ということは?
わたし達は、バイブレーションの
高さや低さに意識を向ける必要はなく

まずは、選択するだけ?


というようなことを書いていた、わたし

でも、それはちょっと違っていた、、、
と、👇のブログアップ後に気づきました


目を醒ます、選択してからは
それぞれの日常での


在り方


目を醒まして生きる在り方、を
実践していなければ


やっぱり
目を醒ますことを選択しているとは?
言えないのでしょう


そう、それってつまりは

日常でどんなに
目を醒ますことを話していたとしても

その人が日常で
目を醒ました在り方を実践していなければ


目を醒ますことを選択している、わけでない
ということにもつながっている


それは、もちろん
どんなに素晴らしい話を話していても

その話がその人の日常に
活かされていなければ


実際の目を醒ます、選択とは
結びつかない


もちろん、わたしも含めて



それは、以前?
関野あやこさんから
聞いたことがあるかも?の


ヒーラーやチャネラーが

どんなに能力ある
ヒーラーやチャネラーであっても


その人の日常で
目を醒ます在り方を実践していなければ

目を醒ます、ことを選択している
意識とは言えない


というような話ともリンクしているかも?


能力ある
チャネラーやヒーラーであることは

バイブレーションが高い?ことには
リンクしていても


それこそ
バシャールが言っていた

バイブレーションの高い人が
目を醒ますことを、選択しているとは限らない


そして
能力ある
ヒーラーやチャネラーではなかったとしても


スピリチュアルのこと知らなかったとしても

ナチュラルに日常で
自分自身を生きている意識は


力みなく
当たり前に


目を醒ますことを選択し
目を醒ましていくのでしょう


良い話を
素晴らしい話を

いくら話していても
いくら聞いていても


それを自分自身の日常に
どんだけ活かしているのか?


すべてにおいて
今この瞬間瞬間
選択し
日常において実践し


在り方に、つながっていく


耳がいた〜いようではあるけども


何回も言うけども

例え
目を醒ますことを選択しなくても


生死に関わる問題ではないし〜

ある意味での
日常がかわってしまう訳でもなく


すべては

これまたまた
意識、の問題?みたいな?感じなのかも?

って、なんだか〜
ミラクルで

おもしろさを感じている、
今のわたし


そしてそして
結局は、すべてにおいて

今こここの瞬間瞬間に
意識をおいていれば

今この瞬間瞬間を大事に生きていれば

何を選んでいたとしても

余りカンケーないかも?の感覚🌏