日ごとに暖かくなる今日この頃

花粉もますます多く飛び回る今日この頃

それでも春はやってくる

先日の21日に、高知県では染井吉野の開花が見られ、全国一番のりをあげたらしい。

今年は寒さが厳しかったから平年よりは遅れる見通しと言われても、自然はそんなこと気にせず、咲きたいときに咲くようだ

昨年は全国一番だった静岡も、24日に標準木の開花が見られ、南国宮崎とそろって開花を発表した。

南国といわれる地域、宮崎、高知に負けず劣らず、地元静岡が開花するのは嬉しくもあり、ちょっぴり複雑だったりする。

そりゃ燦々とお天道様が照らし続ける温暖な地域なのは分かるけど、宮崎、高知ほど暖かくもないんだよね・・・

静岡市は遠州のような強い風が吹かないし、比較的日照時間が長いので早く咲くのだと思うよ。

さてさて、今年はどこへ見に行こうかあれこれ思案中

行ってみたい場所は山ほどあるんだけど、押さえておきたい場所はここかな

『天下第一の桜』と称される信州【高遠城址公園】の高遠小彼岸桜

遠い江のほとりで

日本一の桜の名所である奈良【吉野山】の白山桜

この二つは桜の三大名所とされるもっとも有名なところ
※あと一つが奥州青森の弘前城公園

甲州にある、日本武尊が植えたとされる日本最古の桜【山高神代桜】

遠い江のほとりで

美州にある、継体天皇お手植えの【根尾谷淡墨桜】

この二つは三大桜とされ、共に樹齢1000年以上を超す巨木
※あと一つが奥州福島の三春滝桜

駿州にある、頼朝くんゆかりの【狩宿の下馬桜】は、上記の三大桜と合わせて五大桜の一つとされる桜
※あと一つが武州北本にある石戸蒲桜

木花之佐久夜毘売を祀る富士山本宮浅間大社は桜を御神木としており、境内は桜がいっぱいなんだと
近くの身延山でも枝垂れ桜が有名なので行ってみたいところ

岡崎城の夜桜も見てみたい
どのさくらも綺麗で見てみたいんだよね

とりあえず、岐阜、長野、山梨までは行けそうだけど、箱根から東、諏訪湖より北、逢坂の関より西は日帰り不可だね
 
ドライブ中はもちろん桜ソング
個人的な桜ソングを集めてみた

さくらさくら ~ Japanize Drea/上海アリス幻樂団
SAKURA/いきものがかり
さくら/ケツメイシ
SAKURA ドロップス/宇多田ヒカル
桜援歌(Oh!ENKA)/関ジャニ∞
サクラサクミライコイユメ/yozuca
サクラ咲ケ/嵐
サクラサク/北乃きい
桜/コブクロ
サクラ色/アンジェラ・アキ
桜/河口恭吾
花は桜 君は美し/いきものがかり
桜坂/福山雅治
桜色舞うころ/中島美嘉
さくら(独唱)/森山直太朗
夜桜お七/坂本冬美

個人的には『夜桜お七』がお勧めかなニコニコ
意外なところでは滝廉太郎の『花』

春のうらゝの隅田川
のぼりくだりの船人が
櫂のしづくも花と散る
ながめを何にたとふべき

見ずや あけぼの露浴びて
われにもの言ふ櫻木を
見ずや 夕ぐれ手をのべて
われさしまねく青柳を

錦おりなす長堤に
くるればのぼるおぼろ月
げに一刻も千金の
ながめを何にたとふべき



隅田川とは都内を流れる汚い川ベストテンに入るあの川ですか・・・
マナーのない花見客によってゴミが流され汚れてるあの川ですか・・・
現代の隅田川では、さすがに滝廉太郎も素晴らしい曲は作れないだろうなガーン
花粉がやってくる
杉花粉

この時期だけは出歩きたくないの

地元の北方には日本三大人工美林の一つの天竜美林、天竜杉があるので否応にも飛んでくる

この天竜杉は地元の名士、金原明善翁によって暴れ天竜を鎮めるための植林した杉なので切り倒すなんてことはできない

仕方なく耐えるしかないのだ

耐えながらも車で出かける時、車内にかかる音楽はもう春仕様

春歌で思いつくのはやはりヒスブルの『春~spring~』

ヒスブルが通じる年代はそれなりの年齢でしょう(笑)

若い子にヒスブル言っても通じなかったしorz

そんなこんなで個人的な春歌をまとめてみた

春一番/キャンディーズ
赤いスイートピー/松田聖子
春を愛する人/GLAY
a little waltz/DREAMS COME TRUE
チェリー/スピッツ
春よ、来い/松任谷由実
蒲公英-たんぽぽ-/19
明日、春が来たら/松たか子
春風スニーカー/嵐
春~spring~/Hysteric Blue
春の歌/スピッツ
たんぽぽ/たんぽぽ
Love so sweet/嵐
さくらんぼ/大塚愛
春風/ゆず
CHE.R.RY/YUI
蕾/コブクロ

松田聖子とキャンディーズが入っているのは世代的に疑問符がつくところだけど気にせず。

とりあえず異論は認めよう。
昔々あるところにそんな名前の馬がおったなぁ

その馬は走るのが遅く、負けてばかり

そんな馬でも懸命に走る姿からじわりじわりと人々の注目を浴び人気者になったそうじゃ

引退してからどうしているかのぉ

小話終了

三寒四温により、しだいに暖かくなる季節

木々の芽がほころび始め、春がもう近くに来ているようだね

今年の桜は全国的に遅めなのらしい

見に行ってみたい場所が多いけど、日程的に調整できるのか

そうそう、来月の四月から三カ月間、平日休みになるよ

変則的な交代制になり、土日休みが平日の週二日になるわけなのだが個人的には何も問題ない

単に以前の休日体制に戻るだけだし

でも会社としては極めて異例の措置らしい

なんでも、部品供給が遅れているための措置で、部品を作る機械の操業ラインをとめずにぶっ通しで動かしたいからなのだが、そういうことをしたら逆に機械が逝かれるのではないかと思う。

壊れたら壊れたで機械メーカー呼べばいいと思っているのだろう

生産効率よりも品質がすべてだと思うのだが、品質二の次での量産
株主様と経営陣の思惑だと思うのだが、このままならリコールのフラグが立つんじゃない
これだから大手企業のやることは解せぬ

宗一郎君がいたらなんと言うだろうね

あんまり大きな声で言えないし、ただの下っ端なので知らない事にしよう(笑)
経営陣にとって所詮、社員は奴隷、家畜で歯車なのだから

そんなこと言ってもきちんと品質の良い部品を造るよ
直接的に命にかかわる仕事ではないけど、造っている部品が巡り巡って人の生命にかかわるのだからね
それが今の自分のできることなのだから

そうそう冒頭の小話のハルウララは、現在馬主に虐げられて金儲けの駒にされているらしいよ
昨日は例の震災から一年たったのですね

震災により失われた多くの人々に深く哀悼の意を表します。

もう一年
まだ一年

感じ方は様々ですが、あの日を境に歴史は変わった気がします
でも何も変わらない事も多いですが・・・

そういえば各地で追悼と訓練が行われていました
地元静岡県でも訓練や様々な催しが行われていたようです
例の地震(東海大地震)がいつ来るかわからないですが、備えはしておきましょうね

そんな特別な日に俺様は何していたかというと、ちょっと伊豆半島の端っこに行ってきました
不謹慎とか言わないでね

日本人が大好きな花が咲き誇っているのを見に行きたかったんだよ
花の咲く時期なんて天候に左右されるから仕方ない
特にこの花は開花時期が予想できない「人騒がせな花」と地元サイト様に公表されているぐらい咲く時期が読めない花なんだよ

その日も朝から雨で、現地に着くまで天候が不安だったのだよ
まぁ、俺が出かけると天候には恵まれる事が多いので、そこまで心配してなかったのだけどね
ただ昨年の剛君ライブ雨天中止があるからなんとも・・・

朝5時起きして4時間半かけての運転、今回は友人を拉致ってドライブです
ひたすらボケしかいない会話をしながら目的地に到着

あの濃桜色の花が川辺に咲き誇っていたんだよね

河津桜(学名:Prunus lannesiana Wils. cv. Kawazu-zakura)
遠い江のほとりで

遠い江のほとりで

ちょうど満開時期だったのか、あたりは桜色の染まっていた
河津川の堤には河津桜が植えられていて桜色の道が出来ていたね

遠い江のほとりで

遠い江のほとりで


根元に咲く菜の花の甘い香りがしていいね
黄色の菜の花が河津桜の桜色をよく引き立てていてとても綺麗な景色だったよ

遠い江のほとりで

観光客もわんさかいて、花を観に来たのか人を見に来たのか分からない(笑)
駐車場には関東圏のナンバーが多かったけど、やっぱり伊豆半島へは箱根関から東の民が近いんだろうね
構成として地元県民が4割、関東圏が4割、その他2割っていう感じ
もし天候もよく暖かかったらその日は人だかりで動けなかっただろうな

河津桜は、1月下旬から2月にかけて開花する早咲きの桜なんだ。
花は桃色ないし淡紅色で、ソメイヨシノよりも桃色が濃く、開花時期が1ヶ月と長いのが特徴。
もともと地元河津町田中の飯田勝美氏(故人)が1955年(昭和30年)頃、偶然発見したのが最初で、農業試験場南伊豆分場が調査をした結果、新品種と分かり、地元の河津の名をとって「河津桜」と命名されたんだ。
その原木は今も飯田邸の庭に植えられているよ。

遠い江のほとりで

咲き誇る桜を見て春の訪れと変わらぬ自然の美しさを堪能した気がする
本格的な春の訪れはもう少し

力強く咲く桜のように、被災地の方々が震災に負けず生きてほしいと思ったのはエゴでしょうか

こんばんは
最近、某アニメにハマっています

数年前に放送されていたアニメで、当時はそれほど熱をあげて見てなかったけどね

とあるきっかけで再び見始めたのだけど、ハマるほど熱を上げるとは思わなかった

ダブル主人公の黒さが際立って面白い

マキャベリも驚くほどの黒さ(笑)

まぁ世界に覇を唱え、世界を統べる君子たるもの多少の黒さと冷酷さは必要だと思うがなぁ

簡単に言うと世界中を巻き込んだ家族喧嘩っていう話

その喧嘩で何十何千何万何億との人命が失われる鬼畜ぶり

机上のゲームのように人様の命をもてあそぶ素敵な内容

あくまで上記は冗談だけど、浅からず遠からず

世界一の優しい嘘吐きが仕組んだ人生をかけた願いっていうことで

クランプの絵はとっても綺麗で素敵だからね

一度は見てもらいたいかも

黒と白を選ぶなら何者にも染まらない黒だね

遠い江のほとりで

遠い江のほとりで
このニュースを聞いてやっと終わったのかと云う事が正直な気持ち

この事件といい、97年に起こった神戸の猟奇殺人事件といい、当時の報道によってひとつの社会問題として取り上げられてたのを思い出す。

これらの凶悪犯罪において少年法の壁、死刑制度の賛否について大きく話題になったのだが、なにか、かわったことがあったかといえば少年法が少しだけ変わっただけで、特にめぼしい変化がなく終わるのが残念でならない。

これらの加害者と同年代である私は、彼らのした罪は憎むべきことで、死刑も当然だと思う一方、
これらの事件から何も学ばない司法関係者や警察検察当局ならびに報道機関に深い憤りを感じる。

当時、凶悪な少年犯罪がセンセーショナルに報道されて、このような罪深き事をするのはごく一部であるのに、同年代である私たちを「キレる17歳」というレッテルをはりつけ、何かするたびにその言葉によって辱められた。

確かにその当時少年犯罪がクローズアップされていたが、実際の数値では年々減少傾向にあったことを報道せず、さも同世代の人間が悪いかのような偏向報道をしていた。
一番多いのがその報道を担っていた世代である1958年から1966年であることを隠して・・・

個人的には、死刑制度賛成であり、少年法の厳罰化は賛成である。
アメリカのような長期的な懲役年数だと、それを管理する当局に負担がかかる。
無期懲役の場合、長い年数を養うべき税金がかかる事、模範囚にて出所してからの再犯の可能性、被害者の心理的考慮を考えれば死刑制度は有効な刑罰であると思う。

いかなる年齢でも法のもとに平等な権利を持つという建前がある以上、凶悪な犯罪を犯した者に対して相応の罰を科すことも厭わない。

死刑による犯罪の抑止力についてはあまり影響があるとは思えないが、現状ではたくさんの死刑囚を無意味に養い続ける状態であるため、死刑制度がきちんと機能しておらず、法が侵され犯罪の多発化に影響しているという意見にはうなずける。

やはり法治国家である以上、相当の罪を犯した者に対して求刑をし、それが確定したなら速やかに執行して範を示すべきである。

事件については報道機関等での情報でしかないので詳しくないのだが、加害者の人格云々はさておき、二人の人間を亡きものにし、ネクロフィリアでさらに辱めをした事は万死に値する。

私が被害者の立場だったら、法を無視しても加害者を八つ裂きにしたくなるほどのことだ。
最愛なるものが、わけのわからん男に殺され、なおかつ辱めを受けるなんて、けして許せるものではない。

被害者の旦那さんとってこの判決は、求めていた求刑通りで満足していると言っていたが、気持ちの上ではまだ事件が終わったわけでもないのだろう。
ただ、気持ちの整理ができるひとつのきっかけになればと思う。


■光母子殺害事件、元少年の死刑確定へ…上告棄却
(読売新聞 - 02月20日 15:12)
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news-spe/20080404-1867149/news/20120220-OYS1T00795.htm

山口県光市で1999年に母子2人が殺害された事件で、殺人や強姦(ごうかん)致死などの罪に問われ、差し戻し後の控訴審で死刑となった元会社員大月孝行被告(30)(犯行時18歳1か月)について、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は20日、被告の上告を棄却する判決を言い渡した。

 死刑が確定する。

 判決によると、大月被告は99年4月、排水検査の作業員を装って近所の会社員本村洋さん方を訪れ、妻弥生さん(当時23歳)を乱暴目的で襲って、抵抗されたことから両手で首を絞めて殺害した。泣きやまなかった長女の夕夏ちゃん(同11か月)も、ひもで首を絞めて殺し、財布を盗んで逃走した。

 最高裁によると、記録が残る66年以降、犯行時少年で死刑が確定したのは12人。60~70年代は被害者が1人のケースもあったが、連続射殺事件の永山則夫・元死刑囚(犯行時19歳)の判決確定(90年)以降は、いずれも被害者数が4人だった。

         ◇

 ◆おことわり

 読売新聞は、犯罪を犯した未成年者について、少年の健全育成を目的とした少年法の理念を尊重し、原則、匿名で報道しています。しかし死刑が確定すれば、更生(社会復帰)の機会はなくなる一方、国家が人の命を奪う死刑の対象が誰なのかは重大な社会的関心事となります。このため20日の判決から、光市母子殺害事件の被告を実名で報道します。
今回は地元浜松から北西の方角にある古刹鳳来寺に行ってみたよ

国道257号線をひたすら進み、県境を越え、山道を走り続けると、いつの間にか迷った

昔行った記憶があるので、なんとなく行けるだろうと自信があったのだけど、青い道路標示には特に記入されておらず経路不明な状態

仕方ないので、一旦近くにあるコンビニに停めて、現代文明の利器携帯を片手に場所を確認

知らないうちに国道151号線で愛知と長野の県境方面へ向かっていたことが発覚

しょうがないので一路南下

途中から曲がりくねった山道を通り、アスファルトがボロボロででこぼこな鳳来寺山パークウェイという元有料山岳道路を走り、頂上付近の有料駐車場へ

この道から行けば千五百段近くある階段を登らないで済むのだけど、やっぱりカーブはきついので、どっちもどっちな気がする。

国の名勝にも指定されている鳳来寺山は火山活動によりできた山で、古来より霊山として信仰されており、山中にある鳳来寺は大宝2年(702年)に開山したとされる古刹。
鎌倉時代には頼朝君が寄進し栄えたのだが、本格的に栄えたのは江戸時代からなんだと。
松平広忠に嫁いだ伝通院が、この寺に参詣後、某狸を身ごもった話から、狸の孫の家光君が寄進をし、幕府の庇護から大改造を行って大いに繁栄したらしい。

往時は山中に多くの塔頭が並んでいたのだが、明治の廃仏稀釈と度重なる火災によってほとんどが消失したんだ。

遠い江のほとりで

本堂も何回か燃えてるらしく、現在は昭和に再建されているんだと。
お堂前から見る景色は格別に綺麗だったね。

遠い江のほとりで

お寺の隣には、鳳来寺山東照宮があり、日本三東照宮の一つとされているんだ。
創建は四代将軍家綱とされ、社殿は国の重要文化財にしていされているんだ。
久能山よりもこじんまりとした社殿でも、やっぱり葵の御紋があちこちにあったね。

遠い江のほとりで


この鳳来寺山は紅葉の名所でもあるらしく、いたるところに紅葉の木が植えられていたね。
秋に来たら赤朱とした紅葉が見られて綺麗なんだろうな。

鳳来寺山は野鳥の宝庫でも知られ、愛知県の鳥である木葉木菟が生息している場所でもあるんだ。この鳥、「ブッ・ポウ・ソウ」と鳴く事で有名なんだ。

山を後にし、一路車で山を降り長篠へ
教科書では必ずと言っていいほど出てくる長篠の古戦場もとい長篠城址に行ってみた。

思ったより、小さな広場のような場所だったが、地形を考えるとなかなか考えられて作られているのがわかる。
それと同時に、周囲が山がちな地形のため、攻められたらひとたまりもないのもよくわかる。
長篠の合戦の前哨戦でもある長篠城の攻防の際、当時の兵士は周囲の山々に陣取る武田軍を前に戦々恐々で生きた心地はしなかっただろうな

時間もあったので城から少し離れた場所にある設楽原歴史資料館へ
この資料館は地域で起こった歴史的な合戦に関連する資料を展示しており、貴重な火縄銃が多数展示されていたよ。

トカレフと比べでかくてごついのだけど、それがまたいい味を出しているんだよね。
葡萄の国から伝わって数十年で模倣できてしまう日本人の技術力は素晴らしいものがあるね。
他の国だったら作ることもできなかっただろうに…

日本刀にしても火縄銃にしても、カッコいいから欲しいと思うけど、現実に飾る場所もなければ、手に入れるために許可取ったりが面倒だったりと難点があるから難しいだろうな。

資料館を後にして帰る道中大事なことに気付く
せっかく奥三河に来たのに五平餅食べていない事に…
道の駅に立ち寄り念願の五平餅を購入
赤みそが香ばしくて旨い
五平もち意外と好物なんだよね。

腹も満たされたので、再び帰宅への道中
思いっきり近場で、昔来たような記録があったりなかったりのところなんだが、時とともに風景は変わるもので、途中途中第二東名の工事現場があったな

静岡県のみ出来上がった第二東名、西の方はまだまだ完成までは程遠いようだね。
これができればまた周囲の風景も一変するんだろうね。
それでもそこにある人々の思いや、つわものどもの夢は変わらないんだろうね。
先週の日曜は伊豆半島へ行ってきましたよ

【静岡の城攻め携帯GPSスタンプラリー】の残っていた5城制覇を目標に朝4時半から行動開始

国道1号線を東征してひたすら進み沼津、三島を通って国道136号線(通称:下田街道)をするりと南下して、朝8:00ぐらいに韮山地区に到着

伊勢新九郎盛時の晩年を過ごしたお城である韮山城址に登ってみた

小高い丘のような場所で、なんなく登れたのだけど朝ということですこぶる寒い

近くに頼朝君が流された蛭ヶ小島公園があるのでそこへも行ってみた

城を降りて散策路を歩いていくと学校の裏側に出てきた

若々しい高校生が日曜日なのにグラウンドの掃除をしていたよ。

部活動の何かだと思うけど、気にせずとてちて歩いて行くと、大きな声で「おはようございます」って挨拶してきた

いきなりなのでちょっとびっくりしたけど、挨拶してそそくさと逃亡
でも、なんかほっこりした気分だね

日曜の朝に現れた変なお兄さんは俺です。作業の邪魔してごめんなさいm(+_+)m

てくてく歩いて5分もしないうちに蛭ヶ小島公園に到着

大河もやっていることだし、それなりに観光スポットにはなってるようだけど、なにぶん周りの風景が田舎のため、なんだかさびれた感じも否めない

もっともこの蛭ヶ小島という場所は、江戸時代の学者が独断と偏見で適当にきめたの場所なのだから、実際に頼朝君が住んでいたとは言い切れないのもあるわけで・・・

文献も伊豆の国に配流としか書かれていないようだし
まぁ伊豆のどこかには居たのだろうよ。

一路車に戻り、南下してすすみ、韮山の反射炉へ行ってみた
時間的に開いてなかったけど、外から見る姿から、幕末の動乱期に先人達が残そうとした思いを感じた。

この反射炉、地元の代官である江川英龍が造らせたもので、当時では最先端の技術である反射炉を用いて大砲などの鋳造を行っていたんだ。

幕末期は薩長土肥だけでなく、いろんな地域、場所でさまざまな人たちが新しい日本を創るため支えていたんだよ。

今は温泉しか然したる産業のない伊豆だけど、その当時は開明的な代官の下、先進的な技術をもって栄えていたんだね。

ちなみに、韮山高校を創立したのも、パンを日本で初めて作ったのも江川英龍なんだと

反射炉を後にして、再び南下開始
15分ぐらい走って狩野城へ到着
狩野川の中流あたりの山中にあるお城で、全国の狩野さんのルーツらしい

比較的整備されている山城でハイキングにはもってこいな場所だね。
近くに流れる狩野川は、多くの釣り人がいて釣りを楽しんでいたね。
狩野川は太平洋側の中で唯一北に向かって流れる川なんだよ。
狩野川水系には清流、柿田川や後述する某滝もあり、伊豆半島を縦断する大河川なんだよね。

狩野城を後にして、ちょっと寄り道
せっかく伊豆に来たのだし、温泉地である修善寺へ
とりあえずノリできたものの、駐車スペースがないし、道狭い
仕方なしに、ショップの有料駐車場にて停めて散策

まずは修善寺を参拝
修善寺は鎌倉幕府と関係が深く、蒲冠者と二代鎌倉殿幽閉場所として名高い古刹

遠い江のほとりで

実際行ってみるとどこにでもありそうな普通のお寺なのでちょっと残念
近辺を散策すると、蒲冠者と二代鎌倉殿のお墓があった
兄、頼朝君に疑われ謀反人の烙印を押された蒲冠者
母、政子に廃された哀れな青年二代鎌倉殿
どちらも時の女神に愛されなかった不憫な人たち
歴史にIFがあるなら、彼らが生きていれば鎌倉幕府自体も盤石でより強固なものになっていたのだろうと思うとものさびしい気持ちになる。

散策途中(修善寺川の川中)にある伊豆最古と言われている独鈷の湯へ行ってみた。
温泉なのであったかい湯が張っているんだけど、残念ながら入れない
一説には弘法大師が杖でえいやぁと地面を突いたら温泉がわいたらしいのだが、このような話は全国津々浦々にあるのでよもやま話の一つなのだが、それでも千年近くもの歴史ある温泉地であることは変わりはない。

ちなみに弘法大師は高野山にて生きているってことになってます。
今年で1238歳になるはず…

温泉地をはなれ三度南下
険しい山道を道なりに進んでいくと山奥に広々とした駐車場が現れる
その駐車場に停め、谷を下っていくと
そこにはあの滝が観えてくるではないか

遠い江のほとりで

豊富な水がものすごい勢いで流れ落ちる迫力ある姿は観ている人々を圧倒させるね。

ただ、寒い
ひたすら寒い
こういう場所は夏に来た方がいいと激しく思ったよ

滝のそばには『天城越え』の歌碑があって、あのメロディーが五線譜に刻まれていたよ。

遠い江のほとりで

常連の滝から天城隧道を抜け天城峠を越えるまで車の音楽は『天城越え』だったね。
『天城越え』を聴きながら”天城越え”を行うというネタに走った行動です。
一度やってみたかったんだよ

滝周辺で『天城越え』を口ずさみ、峠への道中『天城越え』を奏でていた赤い車に乗っていたのは私です。
反省も後悔もいたしません(笑)

戻れなくても もういいの
くらくら燃える 地を這って
あなたと越えたい 天城越え

峠を越えてひたすら南下していったら、大きなループ橋のついた。
ぐるぐる回りながら抜けたけど、目が回って走りにくい。
九十九折りの山道も走りにくく苦手だけど、ひたすら回るのもちょっとね・・・
(どちらも景色はものすごくいいんだよ)

そうこうしているうちに、いつの間にか桜の名所河津町へ
500円払って駐車場に停め、河津城という山城へ
頂上からの景色は、遠くは相模湾と伊豆大島、近くは河津の街並みがみえて良かったね。

河津桜はまだまだ蕾が固く全然咲いていなかったけど、最盛期にこの頂から街並みを観ると赤みがかった桃色が青い川辺に沿って見えて綺麗かもね

河津桜は早咲きの品種で、本州では一番早く開花する桜なんだ。
だいたい2月から3月ごろまで見ごろなんだけど、今年は寒さが厳しく予定通りに咲かないみたいね。

ちなみにこの時の道中はもちろん『夜桜お七』ですがな(笑)
『夜桜お七』を流していた赤い車は私です
また三月ごろに桜を観に再来するのでよろしくです

桜が残念だったので、カーネーション見本園を観に行ってきた
温室内には色とりどりのカーネーションが咲いてなごませてくれた。
変わった形のカーネーションもあって面白かったね。

見本園からちょっと歩いて来宮神社というお社に行ってみた
そこにはトトロが住んでいそうな大きな楠が生えていて、なんと樹齢が千年以上もするらしいんだ。

遠い江のほとりで

国の天然記念物にも指定されており、地元からは「来宮様の大楠」と親しまれているんだ。
千年もの長い間人々を見守り続けたこの木はどんなことを思っているんだろうか…
植物と話が出来たら面白い話ができるだろうにね(笑)

河津を後にし、一路下田へ
幕末期には貿易港の一つとされ、動乱期の端緒になった地
街中は地方の田舎街ゆえ道が狭いのだけど、観光地のため、多くの人が街を散策してたね。
車は坂東のナンバーが多く、地理的に考えても東京や横浜などの人々が遊びに行きやすい場所なんだろうね。

タウンゼント・ハリスが領事館を構えた玉泉寺はひっそりとした所に建っており、ここが米国(笑)の初代領事館だったと考えると、なんだか複雑な思いがあったりなかったり
ちなみにタウンゼント・ハリスは生涯独身を貫き、女と夜を供にしたことがないんだと、俗に童貞界の大御所であるんだな

せっかく下田に来たので下田バーガーを食べてみた
冬が旬の金目鯛がふんだんに使われたフライを挟み、ボリューム満点なバーガー
とにかく旨いので一度は食べてほしい一品だな

個人的には席がもう少しあれば、店内で食べれたのだけど、残念ながら全席埋まっており、テイクアウトで車の中でもぐもぐ

金目は静岡県民ならよく食べるお魚なのだが、世間にとっては割と高級な魚だったみたいだね。地元を出るまで知らなかった事実

腹も満たされたので、下田の爪木崎に行ってみた。
ここは一番のお楽しみだった日本水仙の群生地で、日本三大水仙の一つでもあるんだ。
時期になると海岸いっぱいに甘い香りが漂うんだよ。

が、しかし
全滅
水仙が咲いてないじゃん
てか葉っぱが枯れているじゃん
なにこれ
いったい何が起こった

地元の方に聞くと一月末ごろにあった寒波と、海岸からの冷たい潮によって全滅したらしいんだけどなんだかショック
天候のこととはいえこの憤りはだれにぶつけばよいものやら
まぁ水仙がダメでも、エメラルドグリーンの海と、澄みきった青い空の壮大な景色が見れただけでも良しとしよう。
来年こそは俺様の大好きな水仙を見に行こう

下田の後は北上して伊東市の松川湖へ
松川湖は伊東市の水源と治水目的に作られた奥野ダムのダム湖で、周辺には公園で整備されており、野鳥の観察や四季折々の植物を楽しめる場所なんだ。

今回は蝋梅を観に行ったのだけど、時間的都合もあり、そんなにゆっくりと観れなかったね。
釣りを楽しむ人も多くいて、釣果を競っていた太公望達が楽しげに会話していたね。

そんなこんなで伊豆半島グダグダの旅は終了
松川湖から県道を通り、下田街道まで出て、来た道をひたすら北上し、国一にて帰ったけど、ほとんど車の中で過ごしていた旅だったのは気がつかなかったことにしておこう。

西の端っこから東の端っこ、南の端っこまで行くのは結構大変なのと、静岡県が無駄に東西に広いのを再確認したよ
いっその事、少し前の時代みたいに遠駿豆の三つに分裂した方がよいのかもしれない。

それか伊豆半島を縦断できる高速道路を切に希望するよ。
スカイラインはいらないけど、まっすぐ貫く道路が欲しい
まがりくねった山道、海道を通ってつくづくそう思った。
便利になる分観光客が多くなって人ごみが増えるのもちょっと萎えるけど、地元の起爆剤としてでなく、災害時への交通手段の一つとして、伊豆半島への高規格道路建設は急務なんだと実感したね。

そうしたら西の端っこからできたばかりの第二東名使っていきやすくなるだろうし、温泉つかり放題になるからな

また暖かくなったら温泉とか行ってみたいなぁ
昨日の大河をみて思ったのだけど、意外と東海地域ならびに静岡県は源平にちなんだ場所が多いんだよね。

伊豆半島は岡田将生扮する鎌倉殿が青年期を過ごし、杏扮する政子と出逢い、恐妻家となり疑り深く根暗な性格になってしまう悲しき場所(笑)

桜梅少将がこてんぱにされ戦わず逃げ帰った富士川の合戦

屋島大臣に寵愛された熊野御前(ゆやごぜん)のお手植えとされる熊野の長藤

タッキーも演じた卑怯な弟、九郎判官においしいところを持っていかれ、根暗な兄岡田鎌倉殿には謀反を疑われ、不憫な一生を送った蒲冠者に関係する蒲神明宮

玉木宏扮する左典厩の墓があるのは知多半島美浜の野間大坊

田中麗奈扮する由良御前に関係する熱田神宮

平家の数少ない勝戦である墨俣川の合戦などなど

地元を探せばいろいろありそうな気がする
広島や瀬戸内、近畿だけに関係するわけでもないんだよな。

大事なとこなので二度言うけど清盛=兵庫だけではないのだよ
残念だったね兵庫県知事さん(笑)

そういえば牡丹の花に形容された美男子、三位中将に仕えた千手前も駿河出身だったね

平家物語での名場面の一つである『重衡被斬』での正室大納言典侍との哀しきエピソード
三位中将が斬首される前に妻に逢いたいと願い、束の間の夫婦の時間を過ごせた二人の切ない話は涙なしには語れず

もとは横暴な奈良の僧兵が悪さをして、それをやっつけるため1181年1月15日に三位中将が奈良ハイヤーではなく奈良ファイヤーしちゃったのが原因(南都焼討)

東大寺や興福寺の伽藍がほとんど全焼しちゃったのだからなぁ
戦での事とはいえ、大仏まで燃やしちゃうのは残念すぎる
もっともこの火災は失火らしいのだが、三位中将は一切弁明せず堂々と鎌倉殿に首をはねるよう言ったらしいので、器量のある優れた方だったのだと思う。

同じ相国殿の息子で総大将だった屋島大臣とは違いすぎる
暗愚な屋島大臣は壇ノ浦で入水するとき、デブであることで浮き上がり入水できず、鎌倉殿には弁解と命乞いをして嘲笑される情けない最後に比べるのは失礼すぎるか

三位中将の器量に感服した鎌倉殿は、厚遇して政子の侍女だった千手前を仕えさせたんだ。

この千手前さん、三位中将に恋しちゃって三位中将が亡くなると、恋の病で亡くなったとも、出家して菩提を弔ったとも言われているんだ。

この場面は能の演目の一つ『千手』でもあり、こちらも悲しくも美しい舞台になっているんだ。

華やかな恋愛小説の源氏物語に比べ、暗く悲しい話が多い平家物語。

今一度じっくり読んでみようかな
先ほどまで、大河見てましたよ

りょうの局の歌った和歌いいね。

りょう扮する待賢門院堀河の一首

長からむ 心も知らず 黒髪の
   乱れて今朝は ものをこそ思へ

意訳
末永く心変わりはしないとおっしゃっいましたが、どこまでが本心か心をはかりかねて、お別れした今朝はこの黒髪のように心乱れて、いろいろ思いにふけってしまうのです。

小倉百人一首に選ばれているこの歌は、契りを交わした男の愛情が不安に想う切ない女心をしたためた歌なんだよね。

そういえば今回の大河の時代は平安時代後期なのだから、百人一首に選んだ御子左家の権中納言定家も生きていた時代でもあるんだよね。

俺様、百人一首でかるた競技するなら、かなり自信あるね
坊主めくりも少々弱いのであしからず
新年の初めに近江神宮で競われるプロの方々には負ける可能性があるけど、そこそこいい試合できる自信はある。
百人分の和歌のほとんど覚えているし、ごちゃごちゃある人物名だけでも下の句はとれるからね
漫画の『ちはやふる』のメガネ君のようにもっと楽しめばよかったと思う今日この頃
『ちはやふる』少女マンガだけど、いい漫画だと思うよ。
こういう感じの漫画は俺好きだな

今回の大河に出てくる人の中に、りょう堀川局以外にも百人一首に選ばれているんだよね。
しかも主要キャラで

ARATA扮する崇徳院

瀬を早み 岩にせかるる 滝川の 
   われても末に あはむとぞ思ふ

この和歌は激しい男女の恋を歌っていて好きだね。
さまざまな困難があっても、いずれは一緒になりましょう・・・
こんな恋をしてみたいものだね。

藤木直人扮する佐藤義清

嘆けとて 月やはものを 思はする 
   かこちがほなる わが涙かな

この和歌は想い焦がれた女性への未練たらたらの和歌なんだ
その女性とはタフマン法皇をも虜にした壇れい璋子なんだよね。
当時の感性なら身分違いも甚だしいところだけど、好きになっちゃったら身分とかも関係ないだろうね。
もっとも璋子からは拒絶されているけどwww
藤木君残念

堀部圭亮扮する法性寺入道前関白太政大臣

わたの原 こぎいでてみれば 久方の
   雲いにまがふ 沖つ白波

大体74番目以降が平安時代後期から鎌倉前期の歌人たちに当たるんだよね
・源俊頼朝臣
・藤原基俊
・法性寺入道前関白太政大臣
・崇徳院
・源兼昌
・左京大夫顕輔
・待賢門院堀河
・後徳大寺左大臣
・道因法師
・皇太后宮大夫俊成
・藤原清輔朝臣
・俊恵法師
・西行法師
・寂蓮法師
・皇嘉門院別当
・式子内親王
・殷富門院大輔
・後京極摂政前太政大臣
・二条院讃岐
・鎌倉右大臣
・参議雅経
・前大僧正慈円
・入道前太政大臣
・権中納言定家
・従二位家隆
・後鳥羽院

最後の首である順徳院は源平合戦(治承・寿永の乱)の頃には生まれていないため、大河との関連性は低いので省くけど、25名の人たちが関連しているんだね。
まぁもっとも源平合戦が激化したのは松ケン清盛が亡くなった後なのだけど・・・

時の波が大きく揺れ動く中で生きた歌人たちは、歌にいろいろな思いを込めて後世に伝えようとしたんだね。

清盛の生きた時代の背景を読み取るには、こういった和歌から入っても面白いのかもしれないね。

さて、今回の大河でミキプルーン忠盛が闇にまみれ暗殺されそうになる殿上闇討の話
平家物語での最初のエピソードになるんだよね。
『祇園精舎の鐘の声・・・』はあくまで前置きみたいなつかみの文なので違うんだよ。

このエピソードで、ミキプルーン忠盛が内昇殿を許されたのを妬む貴族が計画した闇討ちを華麗に防ぐ話なのだけど、忠盛が出世できたのは、当時の一流貴族や皇族方にせっせと賄賂を贈ったリ、高貴なる方々の薄い本(BL)が書ける夜伽を仰せつかったからなのだよ。

忠盛にそれだけの富があったのは、宋との密貿易による莫大な利益と、富める国へ国司として赴任した事だね
豊原功補扮する平忠正の所領は、弱小の荘園しかなかったらしいので、いかにお金儲けと世渡りが上手であったかが分かる。

今の世で考えれば、法の目をかいくぐり荒稼ぎしたお金を、政治家に送って便宜を図ってもらう。
こういうと現在とあまり変わらない、実際はそんなもんだ。

ちなみに武家で昇殿を許された方はミキプルーン忠盛以前にもいて、酒呑童子をやっつけた源頼光や八幡太郎義家がいるのだけど、当時としては異例中の異例なんだね。
八幡太郎を引き立てたのがタフマン法皇なのも面白いところだね。

まぁ平氏、源氏も元をたどれば皇族なので、高貴なる血筋なのだからなんら不思議ではないのだが、それにいちゃもんをつけるのが中央でうざいほどいた藤原さん達
國村隼扮する大相国・富家殿がなかなか暗躍して面白いところ

この藤原さん達もいろいろ一族があって、嫡流である御堂流(五摂家に連なる一族)、院政時に力をつけた閑院流、善勝寺流などなどあってまとまりに欠けていた状態
こんな状態なら一族で争うようになるよな。

さてさて、来週はどのようになっていくのか楽しみじゃ