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こんにちは。 最近、東京都議会でみんなの党の塩村議員がセクハラ的な野次を浴びせられたという「事件」が話題になっているので、私、新立大志の個人的な見解を述べたいと思う。    まず、野次を飛ばした側に関しては、最早擁護のしようがない。自分が負うべき責任を負うしかない。しかも、野次を飛ばした後に1度自分がしたことを否定したのだから、なおさらだ。それに加えて、まだ名乗り出ていない議員もいるようである。 私は彼らのような自分のしたことを素直に認めない議員に「卑怯者」だと言いたい。自分のしたことならば、自分で責任を取ることは当然である。彼らは逃げようとした。自分の責任から逃げようとしたり、或いはしているのだ。 私は彼らのような人物が政治を司っているこの現状、すなわち都民の識見の浅さとそれに代表される日本国民の愚かさを嘆かざるを得ない。野次を言われた塩村議員についてだが、私は疑問に思う点があるが、それは彼女の名誉に関わりかねないためここでは言及しない。 この「事件」に対する報道やそれに対する反応についてだが、私はおかしいと思う。例えば、「安倍総理が水を飲んだら某党の議員が『下痢するぞ』と汚いヤジ」を飛ばした時、一体どれほどの人が野次を飛ばした人を非難しただろうか?安倍首相も病気を患っている人であり、そのような人に汚い野次を飛ばすのは女性への差別同様に許されざる言動である。しかし、報道がその野次を非難することはなかった。これはおかしい。安倍首相にしても、塩村議員にしても、配慮すべき点があり、心無き言動を浴びせられたことに変わりはない。しかし、報道の扱いは「天と地ほど」の違いがある。 私は、この「不可解」な差異の大きさをある仮説で説明を試みたい。それはメディアはわかりやすい「正義」とわかりやすい「悪」を仕立て上げるなどして国民を煽り立てて、政局や世論を自分に都合の良いようにしようとするだけであり、本来問題にすべきジェンダーやセクハラについてはよく考えていないということだ。 報道は「中立公正」などと謳っているが、実態は扇動の延長線、或いは偽装された扇動に過ぎないのではないかと疑わざるを得ないということだ。 断っておくが、この仮説は確証を持って言えるものではなく、あくまで「仮説」である。  また自民党や野次を飛ばした議員を擁護する気もない。ただ、メディアの報道やそれに呼応した人々の発言に対する違和感と疑問が拭いきれないのだ。第3者が過ちを犯した者を言葉で叩きのめすことは果たして正しいことなのか?私にはわからない。結論としては、まず、野次を飛ばした議員は自分のしたことに対して責任を取るべきである。しかしながら、野次を飛ばした議員とは別の意味で、この「事件」を報じたメディアや人々の発言にも大きな問題があるのではないか?というのが私の見解のようなものである。   新立大志のブログ ...