戸隠神社・地蔵堂

 

言い忘れましたが、love Me Do(ラブちゃん)が18日に戸隠神社に来ていたみたいですね。二人して同じタイミングとは~!?

 

(参考) 長野県へ。戸隠神社 中社(5/19 黄金のリンゴ)

 

さて、前記事の文末でご紹介しました奥社社務所での宮司さんとの会話ですが、その続きがあります。

 

(ア)

「役行者が開山したということは、どこかに役行者の像があるのではないですか?」

 

(宮)

「えぇ、ありますよ。宝光社を降りて行った先に地蔵堂というお堂があります。そこに役行者の像が安置されています~」

 

 

 

冒頭でご紹介した写真が地蔵堂です。アップ写真を撮影してこなかったのですが、地蔵堂の横に「弘法大師」と書かれていました。

 

「えぇ?弘法大師ですって!」

 

車中にいた主人を呼び出し、鍵が掛かっていましたが、中に安置されている仏像を窓越しに撮影してきました。

 

 

最も左に安置されているのが「役行者像」、右隣が「学問行者像」です。役行者(634~701)が開祖で、 嘉祥2年(849年)学問行者が入山し、地主神である九頭龍神を守護神として岩戸で封じ、寺を建てて自ら別当となったと伝えられています。 両像ともに神仏分離の際にここに移されました。

 

あちこちで戸隠神社の歴史を拝読しましたが、学問行者という僧が開山したようです。役行者は修験道の開祖ということで像が安置されているようですね。他にも様々な仏様が安置されていましたが省略させていただきます。

 

天岩戸伝説

 

【戸隠】という名前は読んで字の如く「戸を隠す」という意味が込められていますが、神道系と仏教系の二つの説が戸隠の由来となっています。

 

◆天の岩戸説

天手力雄命が天照大御神を引きずりだした際に岩戸を放り投げた。その岩戸がこの地に落ちたことにより戸隠山となった。(天照大神が岩屋に身を隠した経緯については省略)

 

◆戸隠山を開いた学問行者が九頭龍を閉じ込めた説

前述を参考に

 

(参考)

戸隠神社五社の歴史や信仰及び修験道場の戸隠山についてお伝えします 

 

もう一度、地蔵堂内部の写真に戻ります。右端に背の低い仏像らしきものが見えますね。なんだか奇妙ですよね。延命地蔵菩薩像といって、弘法大師空海が開眼したと云われているそうです。

 

「あぁ、だから表の看板は『弘法大師 地蔵堂』なのね~」

 

それはいいとして、なんだか中途半端な背丈だと思いませんか?

 

その理由は、地中に半身が埋まった状態だからで、天変地異が起きる時に全身を現すと言い伝えられているそうです。つまり、天変地異の前に少しづつ地中からせり出し、そのうち全身が露出してきたら・・・??

 

先ほどの【二説ある戸を隠す意味】ですが、わたしとしては両方あると思うんですよ。遠い将来、太陽系に異変が起きる時(天岩戸伝説の再来)、封印された九頭龍大神が目を醒ますということを、役行者、学問行者、そして弘法大師空海は知っていた。

 

封印するということは、いつかその封印を解く時が来るということです。その必要がないのなら、永遠に表に出ないように抹殺するはずです。封印が解かれる時・・・それは中央構造線、フォッサマグナが動く時ではないでしょうか?(謎)

 

(参考)

戸隠古道を歩こう!手軽に楽しむためのルートや距離、所要時間