「竹内文書」には、天津教開祖・竹内巨麿のものと(一部は天津教弾圧事件で焼失)、別系統の「正統竹内文書」があり、第七三代武内宿禰と称する竹内睦泰氏が継承しています。

 

「正統・・・」の方は一子相伝の口伝が基本となっています。いくら記憶力が良い人でも覚えられないと思われ、やはりメモとして残してきたようです。どこまで本当かは、初代武内宿禰に聞いてみないと分かりませんね~てへぺろ

 

ただ、布施氏の研究結果は一見の価値があるかと思います。6~7年前に出版された本書ですが、古代の神々の復活を思わせる昨今ですからね~キョロキョロ

 

≪正統竹内文書が明かす、尖山を中心とした古代の光通信網≫

こうした南北のラインは古代人が光通信で利用した可能性があるのである。尖山については、竹内睦泰氏が継承した「正統竹内文書」の口伝にも記されている。

 

空を飛ぶことを捨てたペンギンと翡翠(カワセミ)(2016/9/25)より

翡翠03

 

「尖山は5000年前、東アジアの首都であったと正統竹内文書に記されている。越の国(富山・福井・石川・新潟・飛騨)にはヒスイ王朝があった。そして、尖山にはたくさんのラインが通っていた。そのライン上で鏡のように磨き抜かれたヒスイを使って光を反射させ、通信していたのだ

 

竹内睦泰氏が継承した口伝が本当なら、尖山、日輪神社、笠置山と山岡町のピラミッド石を結ぶ南北ラインが、縄文時代に当たる紀元前3000年ごろには一種の光通信網として存在していたことになる。しかもそれは、羽根ラインとわずか15キロしか離れていない平行線でもあるのだ。

 

この尖山と下田富士は瓜二つであることも偶然ではないのであろう。どちらも綺麗なピラミッド型に加工してできた山に見える。そしてとうとう、この二つのピラミッドは【山岡正〇】という言葉をヒントにして結ばれたことになる。私はこれを単なる偶然とは思っていない。

 

目に見えない誰かが、知られざる古代秘史を明かそうとしてガイドしているとしか思えない。そうでなければ、【山岡正〇】という文字が現れ、さらにその三日後に【正〇とは正中のことである】と夢うつつの中で告げられることもなかったであろう。

 

出雲国譲りライン(出雲大社~美保神社~位山~諏訪大社~鹿島・香取神宮)

 

≪原日本人の作った南北の光通信ラインを分断する目的で、大和族は東西の出雲国譲りラインを作っていた!≫

 

私の推測ではあるが、原日本人(注・出雲族や大和族が来る前から日本に住んでいた人)と見られるグループが最初にこの縦のラインを作り、大和族は横のラインを作ったのではないだろうか。

 

大和族は原日本人のグループが縦のラインを作ったことを知っていたので、それぞれのラインを打ち消すように横のラインを作ったように思えるのだ。縦の何本かの線(南中線)に対して、同じ幅で同数の東西線を引いたのだと私は見る。(中略)

 

建御名方神(神様カード)

 

私はまず、下田富士のピラミッドラインと尖山のピラミッドラインのちょうど真ん中にある場所に注目した。すると、なるほど出雲族のタケミナカタ(建御名方神)を封じたと診られる「諏訪」はちょうど二つのピラミッドラインの真ん中にあることがわかる。

 

【諏訪大社】 謎のミシャグジ神(3/19)より

湖南市02

 

諏訪地方では特に諏訪の蛇神であるソソウ神と習合されたためか白蛇の姿をしているともいわれており、柳田國男によりますと、ミシャグジ=塞の神(サイノカミ)=境界の神であると言っています。

 

大祝(神に奉仕する最高位職)は前宮境内の柊樹の下、鶏冠社の小祠の御前にある要石を内にして、周囲に幕を引いて神殿を設ける。そこで神長官が神霊ミシャグジを呼び降ろし、8歳の童子に憑依させて現人神とする儀式であった。

ミシャグジは、建御名方冨命より前から、諏訪で祭祀されてきた土着神だ。起源は縄文時代に遡り、蛇神をイメージさせる正体不明の神らしい。(引用終了)

 

つまり二つの縦のラインの真ん中に打たれたくさびのように諏訪大社があるのだ。これが意図的に配置されたのだとすると、大和族が作った「出雲国譲りライン」といった東西ラインは原日本人の作った南北の光通信網を監視、もしくは遮断する目的を持っていたのではないか、とも思えてくるのだ。

 

大和族にとっては、原日本人のグループに自由に情報を交換されては困ったのであろう。2012年になって中東各地で起きている反政府運動の波を見てもわかる。彼らはフェイスブックなどネットを通じて連絡を取り合い、集団で大きく動く。これこそ、権力側が最も嫌がる反政府運動だ。

 

 

そのため情報を徹底的に管理する必要があった。原日本人と出雲族の残党が結託したら、大和朝廷にとってはかなりの脅威であったに違いない。そのための東西ラインを作り、情報の遮断を試みたように思うのである。

 

超古代において、原日本人は山を使って光通信網を南北方向に張り巡らせた。一方、大和族は、神社や島を使って東西方向にそれを打ち消すラインを作ったのではないかと私は思う。

 

位山を中心とする16方位と羽根ライン(1)(8/16)より

 

具体的には大和族は隠岐の島を使って出雲~鹿島の国譲りラインを作り、淡路島神島を結んで三輪山のラインを引いたのではないだろうか。最も北限の東西ラインには、どうやら佐渡を利用したように思われる。

 

原日本人が作ったとみられる南北のラインは、光通信のラインであると同時に重要な輸送ルートでもあったはずだ。その輸送ルートも、大和族の作った東西のラインにより寸断されることになる。

 

空を飛ぶことを捨てたペンギンと翡翠(カワセミ)(2016/9/25)より

ペンギン04

 

鳥は飛ぶことで、さまざまな利益を得てきましたが、飛ばなくても身の安全確保と食料が得られるのなら、鳥は飛ばなくなります。(引用終了)

 

さらに、かつての原日本人の聖地には神社が配置され、そこに鳥居を置くことにより、鳥や羽根を封じ込めたのではないだろうか。つまり竹内文書で天空浮船を使って空を飛んでいたとされる原日本人を飛べなくさせたとも解釈できるのだ。(転載終了)

 

「正統竹内文書の日本史「超」アンダーグラウンド③」

「誰も知らない世界の御親国日本」より

 

 

※ 著書2冊からの転載のため、重複する部分もありましたので、多少編集しました。布施氏による原日本人、出雲族、大和族、古代イスラエル人に関する紐解きについては大変入り組んでおり、記事としては無理ですので、ご興味のある方は本書をお読みください。

 

(過去記事) 二つのピラミッドラインと白鳥羽ライン(8/26)

太陽の道と羽根ライン(8/26)

【竹内巨麿】空を飛んだ教祖(8/20)

位山を中心とする16方位と羽根ライン(3)(8/19)

位山を中心とする16方位と羽根ライン(2)(8/19)

位山を中心とする16方位と羽根ライン(1)(8/16)