奈良・大和盆地に「太陽の道」 一直線上に遺跡・社寺(2011/8)

 

「太陽の道」は80年にテレビのNHK特集「知られざる古代~謎の北緯34度32分をゆく」で紹介され、多くのファンを生んだ。

 

卑弥呼の墓説もある箸墓古墳、檜原(ひばら)神社、大坂山(穴虫峠)、長谷寺、室生寺をはじめ、大和盆地を中心とする著名な遺跡、社寺などが北緯34度32分の線上にほぼ一直線に並び、東は三重県の伊勢斎宮跡、西は堺市の大鳥大社(さらに淡路島の遺跡や古社)まで延びるという。(続きは元記事でお読みください)

 

グラストンベリー04

 

イギリスでも太古の遺跡や塚、由緒ある教会など「聖地」を直線で結ぶことができる。しかもその直線上には「LAY」「LEY」「LEE」などレイという語尾が付く地名がまるで鎖でつながっているように並んでいたのだ。やがてイギリスだけではなく、ヨーロッパ各地でも似たようなラインが見つかり、一定の規則性を持って配列された先史時代の直線を「レイライン」と呼ぶようになった。

 

(過去記事) 気になることには意味がある(15)(4/21)

渦巻きは重要な聖なるシンボル(4/23)

 

日本でも、写真家の小川光三氏や作家の故松本清張氏、NHKのディレクターだった水谷慶一氏らが主唱した、「北緯34度32分の太陽の道」というレイラインが知られている。大和の三輪山に近い箸墓を中心に、東西に延ばしたその線上に古代遺跡が連なっているのだ。

 

「グリニッジはなぜ経度0なのか?」より拝借

 

位山を中心とする16方位と羽根ライン(1)(8/16)より

 

しかし羽根ラインは、それが南北に一直線であるという点できわめてユニークであり、画期的だ。東西の直線(緯線)ならば太陽や星を使った方位の測定(南中における影の長さの測定や北極星を見上げる角度の測定)などにより、ある程度の限られた距離は比較的簡単に引くことができる。

 

ハリソンが製作したH4(グリニッジ旧王立天文台保存)

 

 

ところが南北の直線(経線)は、同様な天体観測技術の他に時間を正確に計る技術を必要とする可能性が高い。しかもその直線が、富山湾をまたぎ、山を越え、谷を越え、日本海側から太平洋側にまで達するとなると、かなり高度な測定・測量技術が不可欠だ(経度を正確に測る技術は、精密な時計が開発された18世紀になるまでなかったとされている)。

 

(参考) 経度の歴史(Wikipedia)

 

いったいそのような直線を、だれが、いつごろ、なんの目的で引いたのか。ここに出てくる羽根の地名は、江戸時代以前からあることがほぼわかっているが、いつの時代から羽根と呼ばれているか判明しない。かなり古く、それこそ「神武天皇以前の神代」にまでさかのぼらなければならないかもしれない。少なくとも、謎の古文書である竹内文書にはそのように書かれている。

 

フリーメーソンのシンボルマーク(コンパスと曲がり尺)

 

もしそうならば、太古の日本において位山を中心に飛騨王朝、もしくはそれ以上の巨大な「王朝」を築いた人物が、高度な文明が存在していたことを後世に伝えるために測定・測量し、羽根のラインを残したのではないだろうか。(引用終了)

 

「竹内文書の謎を解く①・布施泰和 著」より

 

※ 飛騨王朝の他に白山王朝、富士王朝の存在も指摘されています。