ーまえがきー

この旅行記を書く前に、旅行中に書いたデータが2、3度消えていたので本来旅行直後にアップロードする予定が遅れてしまったこと、大変申し訳ないです。これは旅行の数日後に書き直していますが、若干記憶が曖昧なところもあります。記憶が新鮮なうちに書いたものは私のインスタグラムに書いていますので、そちらの方をご参照ください。

 

今回の旅行は3時間という短時間で練られました。6月22日(月)の昼前には草案が完成し、出発の2時間前までに準備を済ませなければならずかなりハードな旅行になりました。また、旅行中は平日だったので学校はありましたがオンラインで参加しました。

ここまで常体でお送りしました。以下は、敬体でお送りします。

 

〜〜〜1日目(6月22日 月曜日)〜〜〜

この日は早朝から忙しかった。飯田橋の銀行に行かねばならず、キャッシュカードを渡すために訪れた。この後は学校なので夕方まで一気に時間を飛ばす。友人の所用が有楽町で済ませられるということでそこまで同行し、同行している間に往復のバスのチケットと火曜日に泊まるホテルを押さえた。友人と別れたのち、速やかに準備を進めなければならない。出発は24:15だが、意気揚々と準備を進めたせいで20時には終わってしまう。初めてのバスタ新宿の利用だったので、早めに行って損はないだろうということで21時ごろから外付けのベンチに座って待ち続けていた。しかし、新宿の季節外れの寒風が襲い、中へ退避するがそこまでも風が吹き続けたのでウインドブレーカーを着るほどだった。

3時間も待つと金沢行きのバスはやってきた。新宿から金沢までの道のりは500kmほどで所要時間は6時間ほどだ。平日にもかかわらず、こんなに人が乗るのかということに驚きつつもバスは最初の休憩地の三芳PAに到着した。ここから先はバスは除夜灯以外の灯りが消え、暗闇の中をひたすら走る。道中、路面の舗装が凸凹なところがあり、大きく揺さぶられるたびに起こされ、寝心地は大変に悪かった。また、寄るPA・SAが残り2つあったのでその都度灯りが点灯するのも眠りを妨害するのを助けた。

 

〜〜〜2日目(6月23日 火曜日)〜〜〜

7:45に金沢駅西口に着いた。到着した金沢は想像を遥かに超える暑さで、バスの空調が効きすぎていたせいと、前夜の季節外れの寒さで上着を着ていた私は金沢の人たちに異邦人を見るような睨まれた。その視線を察するや否や、上着を脱ぎ出し金沢駅を東西に横断しているコンコースを歩き始めた。

鼓門

5年ほど前にも金沢を含む、北陸には来たことがあったし、その時も北陸新幹線は存在した。鼓門や東口のもてなしドームも存在したが、何か駅前が違っているような気がした。

では、朝のうちに金沢市内を観光してしまおうということで、まずは金沢城へ向かった。途中、近江町市場を見つけ、あわよくばここで海鮮丼でも食べられないかと想像しながらアーケードを歩いたが、コロナウイルスの影響もあって鮮魚店しかやっていなかった。

近江町市場アーケード入口

雰囲気だけ感じ取り、アーケードを抜けて金沢城公園へ着いた。金沢城の城壁は漆喰で塗られているため雪のように白いのが特徴だ。また、金沢城には天守がないのも特徴として挙げられる。本丸近くに行くと往時の雰囲気を偲ばせるものがある。この城は加賀百万石を1代で築き上げた前田利家の居城であったが、歴史や説話などを知って訪れるのもまた一興だと思う。

この後兼六園と21世紀美術館をみたが、特にお伝えすることはないので飛ばす。きっとパンフレットなどで見たものと同じことを伝えてしまうからだ。金沢市内の有名どころは巡ったと思い、金沢駅に戻って旅行の計画を練り直した。能登の方に行くのも面白いと思ったが、せっかくの機会なので行ったことのない福井県に行ってみることにした。福井までは鈍行で向かった。90分の道のりだ。道すがら福井の有名なものを考えていると寝てしまった。本当は越前ガニや鯖江のメガネなどがあるのだが、そんなことを考えているうちに福井駅に到着した。

駅前には福井ならではのフクイザウルスの動くモニュメントがあった。駅前の地図を見ていると「北ノ庄城(福井城)」という表記に目が留まった。ここは、織田信長の家臣の柴田勝家が居城としていた城だ。早速、福井駅から北ノ庄城(福井城)まで歩いてみた。距離はそこまでもないが、着いてみると「あれ?」となってしまった。本来お城がある場所には県庁と県警が存在し、ただお堀と大手門(?)のようなものが存在するだけだった。歴史が好きなのでそこにはがっかりしてしまったが、たった一つのことに挫けていてもしょうがないので、また福井駅に戻ってきた。福井駅脇の複合商業施設で昼食を摂るために、その建物の目の前にあったインフォメーションセンターのようなところに行って「福井名物が食べられるレストランのようなところはないか」と聞いてみた。すると、中にそのようなお店があるということだった。そのお店は福井の郷土料理を提供するお店だ。私はそこで「越前おろしそば」という福井名物のそばを食べた。越前おろしそばは福井県の嶺北地方でハレの日に食べられているそうだ。そばの太さは不揃いの手打ちで、漬け汁には大根おろしが入っていた。

越前おろしそば

一口食べてみると、大根の辛味がよく伝わるように粗くおろしてあるのがすぐ舌先に伝わった。麺つゆが薄い分、薬味が盛岡のわんこそば並みに用意されているので飽きない味となっていた。〆に蕎麦湯にして飲み干すので何も残らない。福井駅に訪れた際はこの蕎麦を食べることをオススメする。

たった1時間半ほどしか福井に滞在できず、敦賀や鯖江をみたいという気持ちもあったが金沢に戻らなければならなかったので、名残惜しいが福井を去った。

金沢に着く頃には日は傾いて影は長くなり、繁華街にはネオンサインが眩しい。

 

ひたすらに電車に乗って疲労困憊なので駅横のホテルで横になっていた。すると、いつの間にか眠ってしまったらしく2時間が経過していた。お腹が空いたので街に繰り出してみた。金沢のご飯といえば何が思いつくだろう?もちろん、海鮮丼は挙げられるが、ご当地色が強いものを言えば金沢おでんやハントンライスだろう。そこで思いついたハントンライス発祥のお店で食べようと思ったのだが、寝てしまったせいで店が閉まっていてありつけなかった。近くに片町という繁華街があり、そこにあったラーメン屋で煮干し豚骨ラーメンをいただいた。またそのラーメンの味が特濃だったものだから、完食するのに苦労した。

ラーメンを食べ終わった後すぐさまホテルに戻り、YouTubeやテレビを見たりして1日動いた分の英気を養った。

 

〜〜〜3日目(6月24日 水曜日)〜〜〜

前日、夜遅くまで起きていたので朝は遅く9時起床だった。この日は朝から行く場所をなんとなく心の中で決めていて、富山県にお邪魔しようと思っていた。金沢駅西口に降り立つと、たくさんのテレビクルーやメディアの関係者とみられる人がたくさんいた。ここの詳細は、夜訪れることになるがその際に説明する。

金沢駅に設置されている簡素な地図を見ると高岡や倶利伽羅といったような地名が列挙されていて、どこを訪れるかに悩んだが、まずは高岡駅に訪れてみることにした。金沢〜高岡は途中の倶利伽羅駅で会社線が変わるものの、元は同じJRの北陸本線だったため直通運転がなされている。両都市間は40分ほどで移動できる。

高岡駅に到着した。高岡市は県下第二の都市であり、乗り換え駅ということでかなり大きく作られてある。駅を出ると、一瞬ドラえもんがラッピングしてあったトラムが目の前を過ぎ去った。それは万葉線という路線で、富山県の西部を走っているトラムだ。と、しばらく歩いているとドラえもんのキャラクターの金属製の像が並び立ち、何かドラえもんと高岡市に関係があるのだろうかと思ったのだがその場ではわからなかった。帰ってから調べたことだが、高岡市はドラえもんの生みの親である藤子・F・不二雄先生の出身地だということだった。

駅前の通りをまっすぐ歩いていくと、目を引く看板があって「高岡大仏」という表記があった。正直、高岡大仏という名前は初めて聞いたが、どうやら日本三大大仏の一つとして数えられているらしかった。その大仏というのも町中に突如として出現し、異彩を放っている存在だ。そして近づいてみるとその大きさに頭をもたげる。

鎌倉大仏と同じように、中に入れる仕組みになっていた。早速、中に入ってみると仏画や仏像といったやはり仏教に絡んだ品々が無料で展示してあった。私は仏教のことなど、到底わかるはずもないので、そこに展示されている仏画の多くは脇に添えられてある文章を見ないとわからないものばかりで非常に不気味な感情を覚えた。不思議な気持ちのまま、高岡駅に戻ってきた。

 

高岡駅に戻ったのは2時半ごろだった。このまま東進を続け、富山駅に向かった。高岡駅〜富山駅までは20分くらいを要する。

富山駅の改札を出ると、本来晴れていれば立山連峰が見えるはずだが、峰が霞んでいて山並みは綺麗に見えなかった。富山駅は北陸新幹線と、あいの風とやま鉄道が東西に横断していて、南北に富山市営のトラムが縦断している妙な造りになっている駅だ。駅構内には歩行者用信号もある。残念ながら富山駅での滞在時間はさほど長くはなく、東京で受講している私のクラスメイトへ買う分のお土産を買う時間しかなかった。しかしながら、駅ナカの設備に感嘆したので、富山駅を再度訪れる際はもっとじっくりみたいと思う。

 

1時間かけて金沢駅へと戻ってきた。再び金沢市街を斜陽が包む。暗くなった市内にはネオンサインが灯り、往時の繁栄ぶりを思い出させるかのような賑わいが街に溢れた。そこで、朝グランドオープンしたばかりのフードエリアのような区画で夕飯をいただいた。せっかく金沢に来たので、金沢らしいものを食べようと思い、少々奮発したが能登牛のステーキをいただいた。やはり和牛と言うだけあって口溶けは柔らかく、脂もサラサラとしていてヘルシーなお肉だった。

そろそろバスの時間だと思い、駅を出るがまたしても早く待機してしまったようで、23時発のバスを2時間待つことになった。昼は暑いというほど日差しが差し込む日本海側だが、夜になるとその日差しはなくなり一気に冷え込む。その寒暖の差のおかげで米などが生育するのだが、そんな話はさておき、またもウインドブレーカーを着込み日本海側の慣れた寒さを耐え抜く。日本海側のほうが若干湿っている分風が冷たいものの、都会の風はあまり湿っていない風でどこか気持ち悪く感じる。

23時という定刻を過ぎてバスはやってきた。定刻通りにもし来なかったら次の日の授業に参加できなかったので、その不安から友達にLINEを送った。バスはどうやら金沢駅西口が始点じゃないらしく、すでに先客がいた。車内の男女比は9:1の様相を呈していて、野球部の遠征さながらの空気だった。またあの眠れない悪夢が続くのか、と思っていたら案の定ほぼ眠れずに新宿に着いてしまった。4時間後には学校だ。とてもじゃないけど仮眠をとる余裕さえその時の私には持ち合わせていなかった。

こういう過酷な旅は頭がフレキシブルでないといけないので、旅をしているととても楽しいことに遭遇することが多い。行き当たりばったりな旅を好んでやったりするので旅の道連れは伴わない。北陸を一瞬にして巡る旅も良かったが、今度は山陰・瀬戸内・四国の旅も面白いだろう。