私は私が嫌いだ。
私自身と私の人生が嫌いで仕方ない。
でも、なぜだか、自分のことを素直に好き、と言えるキラキラとした人たちを見るのは好き。
すごく、すごく綺麗だな
と、思う。
羨ましくも思う。
だけど、自分が自分を好きになりたいか、と言われると、そうでもない。
というよりも、私は私自身を好きになることにはふさわしくない人間だ、と思う。
私は、自分が好きになれるような、自分に恥ずかしくない生き方を、していない。
そんな事実を知っていながらも、やっぱり変わらない。
変われない。と言ったら卑怯かもしれないが、
どうしても、変われない。
それが、私がどうやっても私を好きになれない最大の理由だと、思う。
自分の生き方が、汚くて、卑怯だと思う。
でも、私はそれを知っていながらも、自分が嫌いだ、という言葉で、好きになる、変わる努力もせずに、ただただ逃げている。
本当に格好が悪い。
変わろう
とは、何度も何度も決意した。
でも、とうとう私は拒絶される恐怖に負けてしまった。
頑張れば、きっといつかは結果が変わる。
結果が出るまで頑張るんだ。
と、思っていた。
でも、ドアの前に立って、決意して、扉を開けた前に立っている、あの、拒絶、とうよりも、私の話を聞くことさえにも疲れてしまった、あのなんとも言えない表情を見るのに耐えられなくなってしまった。
何も変わらない結果を目の前にして、それをでもなお立ち向かう強さが、私にはなかった。
いつかきっと、お前はもうめんどくさいからいらない。お前の代わりになる娘だっている。と、言われるのが怖くて、だったら自分が我慢すればいい、という結論を出してしまった。何を捨てでも、あの人の望む「いい子」になればいい、と。
でも話はそう簡単じゃない。私が我慢すると結論したことで、我慢するのは私だけではなかった。
私は、私の母と弟を道連れにした。
私を迎えに来ると約束した母は、そんな約束を忘れてしまった私のために、日々頑張ってくれていた。
一番辛い経験したのは彼女なのに。
そんな母に今一番辛い思いをさせているのは、一番愛してるといいながらも、この私だ。
純粋だった弟も、唯一の兄妹にもあえず、一人取り残された、という恐怖と戦っている。
でも、まだ若すぎる彼には、父に捨てられるかもしれない、もしかしたらもう捨てられたかもしれない、という現実と向き合うことができず、そのなんとも言えない感情のはけぐちに、とうとう、私の母を使い始めた。
私が、あの扉を開けて、意見をすることができなかったから、できないから、私の本当の家族は崩壊した。たとえ崩壊したとしても、みんなの気持ちは報われていたかもしれない。
私は、自分の恐怖に立ち向かうことができず、自分の居場所を作ることで、自分の本当の居場所だった家族を、苦しめた。
せめて、せめて母に会って、助けてあげられば、と思うが、
できない。
私の選択肢は、私の本当の気持ちを、日本に行きたい、母を助けたいと、伝えてから、行けない、という答えを受け入れるか、何もせずに、行けないと、という答えを受け入れるか。
子供の本音に揺れ動かされない父親はいない、と、思うかもしれないが、残念ながら、いる。
私の目の前に。
だから、答えは決まっている。
それでも、まだ私には、伝える、ということ選択肢はある。
でも、できない。
怖い。
辛い。
嫌われたくない。
めんどくさいと思われたくない。
いらない、と、言われたくない。
そんな自分勝手な私が私は嫌いだ。
カッコつけて、いい子ぶって、被害者ぶって、現実から目を背けようとする、私の一番嫌いな人間は、私自身なのだ。
Self confidence is the most attractive and beautiful quality a person can have, which I can never have.