夕食を食べ、僕は帰路に着いた。
そこがどこだか分からないが、どこか懐かしい景色だった。
何の変鉄もない、普通の日。
突然携帯電話が鳴った。
メールだとすぐ分かったが、僕は手に取りメールを開いた。
件名「no subject 」
「おひさしぶりです。」から始まるメールは、絵文字や顔文字のない淡白なものだった。
内容は、過去のことにはほとんど触れられず今のことが中心だった。
仕事のこと、体調のこと…云々。
今、夢と現実の狭間で苦しんでいるという珍しく弱気な内容だった。
淡々とした内容だが、そこにはらしさが滲み出ていた。
メールの最後は、やっと過去の話として「プレゼントありがとう」と綴られ、新しくなった住所が虫食いで書かれていた。
いたずら心に満ち、次に僕がどうするべきなのかあの時のように直感で行けるものだった。
僕は急いだ。
バス停があったがそれを無視して、自力で追いかけたかった。
雨が降りだした。
地面を叩きつけるような大粒の雨。
僕は走り出した。
たくさん歩いた足には堪える登り坂だ。
次のバス停がすぐ見えた。
そこでバスに乗ることを考えたが、僕にはお金といった類いは何も持ち合わせていなかった。
バス停を一瞥して、坂を登る。どこまで続いているか分からない、曲がりくねった坂を。
目を見開くと、聞き取る気にもならないスウェーデン語のニュースが流れていた。
そこは夢と現実の狭間だった。
最後の夜だからと、一人ワインを飲み、そしてなでしこJapanの放映を見ていたことを思い出した。
結局試合なんて見ていない。
やることがなく、つけたテレビがそれだっただけだ。
こっちに来て以来、歩き疲れた身体に注ぎ込まれたアルコールは、気持ちを軽くさせるどころか、僕の身体を支配し現実世界に引き戻すようだった。
もう軍資金も底をつき、あとは無事に帰ることを願うだけ。
帰りたいかと聞かれたら、それもまた分からない。
ハッキリしないのが自分らしいが、本当にハッキリしないのだ。
そういうリスクはわざと残してある。
迷ったときによくする賭けみたいなものだ。
帰ればまた仕事がある。
時間に追われ、上司の弄りにstressを覚え、そして不安ばかりが僕を支配する。やらなきゃいけないタスクに追われ、片付かない手元。でも、それをどう処理していくかを楽しみに思うのだが。
家がある。
両親がいて、また下らない言い争いがあって、そしてまた親族の死に直面した話が出てくる。逆に浮いた話はいつも遠くにある気がする。
何の変鉄もない毎日。
流れている時間は同じなのに、とても同質のものだとは理解できない。
今ここは、夢と現実の狭間。
カメラ片手に千数百枚撮りました。
小さい日本人一人、英語も話せないのに何も決めずにここまで来た。
必要に迫られないと何も話さないし、話せない。
しかし、そこにあるコミュニケーションは単純明快で、話しかけられたり目が合うと世界共通言語smileで応えることのできる世界。
だからこそ、色眼鏡をかけず見つめられる。
会社ではもはやネタにされる「自分探しの旅」。
それは大人になれずにもがき苦しむ自分の悪あがきでしかないのだろうか。
そんな哲学的に自我を問いながら、今日と明日に足をかけていた。
歴史の色濃く残るこの街で、過去というものに向き合うことができたのだろうか。
あの日から僕の中で時計の針は止まったまま、僕はまだ動かせずにいる。
2012年8月10日 ストックホルムにて
Android携帯からの投稿
そこがどこだか分からないが、どこか懐かしい景色だった。
何の変鉄もない、普通の日。
突然携帯電話が鳴った。
メールだとすぐ分かったが、僕は手に取りメールを開いた。
件名「no subject 」
「おひさしぶりです。」から始まるメールは、絵文字や顔文字のない淡白なものだった。
内容は、過去のことにはほとんど触れられず今のことが中心だった。
仕事のこと、体調のこと…云々。
今、夢と現実の狭間で苦しんでいるという珍しく弱気な内容だった。
淡々とした内容だが、そこにはらしさが滲み出ていた。
メールの最後は、やっと過去の話として「プレゼントありがとう」と綴られ、新しくなった住所が虫食いで書かれていた。
いたずら心に満ち、次に僕がどうするべきなのかあの時のように直感で行けるものだった。
僕は急いだ。
バス停があったがそれを無視して、自力で追いかけたかった。
雨が降りだした。
地面を叩きつけるような大粒の雨。
僕は走り出した。
たくさん歩いた足には堪える登り坂だ。
次のバス停がすぐ見えた。
そこでバスに乗ることを考えたが、僕にはお金といった類いは何も持ち合わせていなかった。
バス停を一瞥して、坂を登る。どこまで続いているか分からない、曲がりくねった坂を。
目を見開くと、聞き取る気にもならないスウェーデン語のニュースが流れていた。
そこは夢と現実の狭間だった。
最後の夜だからと、一人ワインを飲み、そしてなでしこJapanの放映を見ていたことを思い出した。
結局試合なんて見ていない。
やることがなく、つけたテレビがそれだっただけだ。
こっちに来て以来、歩き疲れた身体に注ぎ込まれたアルコールは、気持ちを軽くさせるどころか、僕の身体を支配し現実世界に引き戻すようだった。
もう軍資金も底をつき、あとは無事に帰ることを願うだけ。
帰りたいかと聞かれたら、それもまた分からない。
ハッキリしないのが自分らしいが、本当にハッキリしないのだ。
そういうリスクはわざと残してある。
迷ったときによくする賭けみたいなものだ。
帰ればまた仕事がある。
時間に追われ、上司の弄りにstressを覚え、そして不安ばかりが僕を支配する。やらなきゃいけないタスクに追われ、片付かない手元。でも、それをどう処理していくかを楽しみに思うのだが。
家がある。
両親がいて、また下らない言い争いがあって、そしてまた親族の死に直面した話が出てくる。逆に浮いた話はいつも遠くにある気がする。
何の変鉄もない毎日。
流れている時間は同じなのに、とても同質のものだとは理解できない。
今ここは、夢と現実の狭間。
カメラ片手に千数百枚撮りました。
小さい日本人一人、英語も話せないのに何も決めずにここまで来た。
必要に迫られないと何も話さないし、話せない。
しかし、そこにあるコミュニケーションは単純明快で、話しかけられたり目が合うと世界共通言語smileで応えることのできる世界。
だからこそ、色眼鏡をかけず見つめられる。
会社ではもはやネタにされる「自分探しの旅」。
それは大人になれずにもがき苦しむ自分の悪あがきでしかないのだろうか。
そんな哲学的に自我を問いながら、今日と明日に足をかけていた。
歴史の色濃く残るこの街で、過去というものに向き合うことができたのだろうか。
あの日から僕の中で時計の針は止まったまま、僕はまだ動かせずにいる。
2012年8月10日 ストックホルムにて
Android携帯からの投稿