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アグレッシブにいこう!!

CUEさん、豊島晋作さん(前・WBSマーケットキャスター)、CHAGE and ASKAさん、気になるヒト・コト・モノにアグレッシブにいこう!!

ご無沙汰してます。


なんやかんやの日々ですが、

ぼちぼち走っております。


明日は、金沢マラソン。

いよいよ、大きい大会が動きだしますね。

自分のフルマラソンは、

愛媛マラソンになりそうです。

ワクワクします爆笑

練習しないとなー。


毎年、冬は熊本城マラソンをメインに考えていて、

来年は開催されないので、

他の都市を攻めています。


みなさんは、どこを走られますか?






コロナがこんなに長引くとは・・・。

誰も思っていなかったですよね。

 

このブログ、5月頃に書き始めて下書きのままだったので、

現状とコロナへの考え・取り組みが違ったり、

私自身の記憶が曖昧になったりしていますが、

ご了承ください。(2021年8月14日)

 

 

 

コロナ禍で親孝行できていない方へ

 

遠くに住んでいるから

移動で感染してしまうかもとか

すでに感染しているかもしれないからとか

いろんなコト考えてしまうと思います

 

できるときに、できることを、絶対にするべきです

ただ、しっかりと判断をして、行動してください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時、1年と1ヶ月実家に帰りませんでした。

とても後悔しています。

 

デイサービスに通っていた母。

県外から帰ると、1週間はデイサービスに通えないと聞いていました。

食事があたたかくおいしくて、楽しく通っていたようで、

その楽しみを奪うのは悪いなと思い、帰っていませんでした。

自分ではあまり食事をとらない人だったのですが、

デイサービスではモリモリ食べていたようです。

トレーニングしたり、スタッフさんにもよくしていただいてるみたいだし、

誕生日とか敬老の日のプレゼントを嬉しそうに見せてくれていました。

 

大型の休みのタイミング(ゴールデンウィーク、お盆や年末年始)で感染者が増えていることもあり、

自分が感染してしまうリスクよりも、

母が感染してしまったらというほうが怖かったです。

 

そんなことをを繰り返しているうちに月日が流れていました。

 

週1くらいは電話を掛けていました。

時々、2週間以上空いてしまったこともありましたが・・・。

 

どこが痛いとか、なかなか眠れない、というような話をしていました。

でも、トーンも明るかったので安心もしていました。

足腰が弱くなっていたのですが、自分でがんばって買い物にも行ったりしていると話していました。

 

「何もなくても、電話してよ」と言っていましたが、

子どもには心配かけたくないのですよね。

「忙しいだろうから」と、ほとんど掛けてくることはありませんでした。

 

 

 

 

そして2021年3月。

物忘れがひどくなってきて、居宅介護になるという話が出てきました。

また、片目のまぶたが下がってきていたので、脳を調べてみると、

正常圧水頭症のようでした。

症状として、

・歩行障害

・物忘れ

・尿失禁

があるようです。

当てはまっていたので、脳神経外科にかかることになりました。

 

水が抜ければ、今までのような生活に戻れるかもしれないという期待。

少し安堵していました。

 

入院の2日前。

実家に帰りました。

たしかに、母は今までとは違っていました。

帰ったら布団に入ったまま。

反応も鈍い。

あー、申し訳ないことしたな。と苦しくなりました。

 

その日は、施設で説明を受けました。

本来はデイサービスの日でした。

私が帰るので、母には「お休みですよ」と伝えていたそうなのですが、

分からないみたいでした。

着替えて出かけているところをスタッフさんが気付かれて、

自宅につれて帰ってくださっていました。

 

久しぶりの母との晩ご飯。

6時から食べるよ、と言って私はちょっと出かけました。

晩ご飯を買って6時前に帰ってきたら、すでにあるものを食べていて。

 

翌日もほとんど部屋に籠もりっきり。

部屋を見回すと、入院の準備は自分でしっかりしていたみたいです。

着替えや歯磨き、身の回りの品等々。

晩ご飯は早めに動いておこうと思って、いろいろ買ってきました。

普段食べることはないだろうとおっきい肉まんを買って帰ったのですが、

それをしっかり食べて、それだけでお腹いっぱいになっちゃったみたい。

 

そして、入院当日の朝。

一向に布団から出てこず、結局、朝ご飯抜き。

でも、しっかり自分で着替えていました。

そのまま病院へ行きました。

 

担当の先生から説明を受けました。

検査をして手術できれば、元の生活に戻れるのではないかとのことでした。

コロナの影響で、入院後の面会はできないそうです。

検査と説明を受けた後、入院する部屋へ。

少しならということで、お部屋で話をして「また来るよ」と手を振って別れました。

 

なんとか元に戻れたら・・・

ただそれを願うだけ。

 

 

翌日以降から、詳しい検査がスタートしました。

すると連絡が。

「すい臓に造影剤をいれて検査する」と。

さらに「すい臓に腫瘍が見つかった。転院予定。」と。

自分の中では、この瞬間に少し覚悟が芽生えました。

 

翌週には転院。

この間の記憶がありません。

 

さらにその翌週。

転院先の先生から説明を受けました。

兄と私と叔母、3人。

すい臓がんでかなり大きくなっていること、肺に転移していること。

これだけの大きさで痛みがないのは、不幸中の幸いのようでした。

治療はできるのだが、

水頭症の症状(認知症のような)から「痛い」とか「苦しい」とかの反応ができず、

本人にも良くないし、治療が引き起こす急変も考えられると。

水頭症の治療を先にすることも考えられるが、

それはお腹に水を出すという方法らしく、それが腹圧を高めてしまい、

それもできないそうです。

正直、3ヶ月かもしれないし、半年、もしくは1年かもしれない、

あとどのくらいと言えない。とのことでした。

その瞬間は、泣くことはありませんでした。

 

つまり、緩和ケアをしていく方向になりました。

私の心では、かなりの覚悟ができました。

 

先生は本人に伝えたほうがいいとのこと。

家族的には、その判断をする時間もなかったですが、良かったのかな。どうなのかな。

 

その後、母も病室から来ました。車椅子で。

腕とか足とか、めっちゃ細くなってて、

ごめんごめんごめん

と何度も心で叫んでいました。

先生が母に伝えます。

特にリアクションもなく、淡々と聞いている感じ。

そして先生が「治療がんばりますか?」と母に尋ねると、

「やってみます」というようなことを言いました。

でもね、正直難しいということを伝えると、

「先生にお任せします」と答えた母。

母は理解しているのか、いないのか、私にははっきりと分かりませんでした。

母は病室へ帰って行きました。

 

その病院には緩和ケア病棟があったので、

そのまま見学させていただきました。

退院してデイサービスを受けている施設でお世話になるか、こちらの病院でお世話になるか。

施設で受け入れていただけそうなら、施設でお世話になることを考えていました。

 

その後、看護師さんから説明を受けました。

食事はしっかり取れているようでしたが、

嫌いな魚の日はあまり食べないそうでした。

分かりやすいな(笑)

 

その日は、兄と一緒に温泉施設へ。

岩盤浴で泣いていました。これ以降、泣かないぞと心に決めて。

露天風呂では、優しい風が吹いていました。

空を見上げるときれいな星が輝いていました。

 

 

翌日、一般病棟から緩和ケア病棟に移動。

一般病棟ではおそらく面会できないのですが、

緩和ケア病棟では、制限の中で面会可能でした。

週1回、15分間、最大3人までで、事前予約。

午前中に私は生活拠点にもどっていて、兄が面会に行きました。

写真を撮っていました。

送ってきてくれた写真。

水頭症で左目は小さくなっていましたが、右目ははっきりとコチラを見ている綺麗な目でした。

 

その週末は面会できませんでした。

 

 

翌週。

右腕の痛みが強くなってきて、食欲がかなり落ちてきた

との連絡。

施設に入るスケジュール調整ができていましたが、

いったん退院が見合わせになりました。

 

その週末は、また面会へ。

ベッドに寝たままでしたが、会話しました。

マラソン大会当選したら、今度こそ4時間切るから~

なんて、話をしていました。

「あんまり無理しなさんなよ」と、いつものように言われました。

窓から見える空が、とても青かった。

母は空を見るのが好きだったような気がします。

 

次の週末は、母の誕生日でした。

その日は、私と叔母とで面会。

お誕生日おめでとうー!!とお祝いしました。

あとから、何か持って行ってあげたらよかったなと後悔・・・。

「何歳になったか分かる?」って聞いたら、

たしか「56歳」と言っていましたw

大笑いしました。

 

 

 

誕生日から2日後の夜中。

兄からLINE。メッセージに気付いておらず、電話がかかってきました。

容態が急変したと。

夜、先生から「お元気ですよ」といった連絡があったばかりだったそう。

 

いや、おととい会ったばっかりじゃん!

突然やってくるんだ。

もう、頭の中が真っ白。

 

 

 

始発の列車で帰りました。

 

兄からは、

血圧は80くらいあるけれど、呼吸の回数が減って意識がないと。

 

病院に電話すると、

看取りのときでも、短時間面会しかできないようでした。

そのため、兄と一緒に病院に行った方がいいと思ったので、いったん帰宅。

後から到着する兄を待っていたのですが、病院から電話がかかってきました。

「お会いになられていたほうがいいです」と。

 

ひとりで病院に向かいました。

こわかった。

 

病室に着くと、酸素マスクをした母。

ドラマで見るような、機械がいっぱいってことはありませんでした。

先生が丁寧に説明をしてくださいました。

親族が着くまでなんとか、と先生が薬などで対応いただいたようでした。

 

1分間にたぶん5回くらいしか呼吸していない状態でした。

でもね、一生懸命に生きている感じが伝わってくるんです。

待っててくれたんだね、ありがとう。

その言葉しか出てきませんでした。

 

看護師さんが、

「お話して上げてください。意識はないけれど、耳は聞こえていますよ。」

と教えてくださいました。

 

母の手に自分の手を重ね、

「ありがとう」を伝えました。

 

あと、恥ずかしい話ですが、

結婚もせず、孫の顔も見せてやれなくてごめんね

と。

これは、本当は言葉で伝えたかった。

 

呼吸のタイミングかもしれないけれど、

ときどきギュッと握り返してくれました。

あったかい手です。

私、父に似て手に汗をかきやすいんです。

母はそれを嫌がっていてw

べとべとになった手を重ねていたから、

「嫌だろ~」って笑いながら話もしました。

 

まもなくして、兄も到着しました。

 

短時間面会と言われましたが、2時間ほど滞在させていただいて、ありがたかったです。

その時間は、大きく容態が変わることはありませんでした。

 

看護師さんから、

「着せてあげたい服を持ってきてください」

と言われました。

 

家に帰り待機のような状況になりました。

母に着せてあげる服、探して決めました。

 

なんとも言えない時間。

 

 

 

夜19時過ぎ。

兄に電話がかかってきました。

「呼吸が止まりました」

 

兄と病院へ向かいました。

もう、酸素マスクをはずされて、静かに寝ている感じの母。

 

その後、先生が来られて診断。

「目の反応がないことを確認しました。」

「呼吸が止まっていることを確認しました。」

「心臓が止まっていることを確認しました。」

 

まだあたたかい体を触り、いっぱい頭を撫でました。

がんばったね、ありがとう。

 

入院から、あっという間でした。

早すぎるよ。

 

 

 

しばらく看護師さんたちとお話しました。

 

誕生日に面会に来たことを、とても喜んでいたらしい。

→会っているときは、そんなでもなかったよw

 

私がマラソンにのめり込んでいるネタから、

「私も若い頃は走るのが速かった。私に似たのかな」と言っていたらしい。

→そんな話、初めて聞いた。

 

前日は、食欲があまりなかったけれど、大好きなチョコレートを2切れ食べたらしい。

→好きな物を食べられてよかったね。

 

先生が毎日、椅子を持ってきてベッドの横で母とお話をしていたそう。

→ありがたいな。

 ずっと一人で生活しているようなものだったから、安心して過ごせただろうな。

 

 

先生、看護師さん、本当にありがとうございました。

コロナ禍で対応が大変だったと思いますが、県外の親族も受け入れてくださり、

ありがとうございました。

 

 

 

そのあとは、またコロナ関係で外で待機。

その間に、家族に連絡したり、葬儀社に連絡したり。

 

 

1時間後くらいに、霊安室へ。

洋服に着替えた母。きれいにお化粧もしていました。

おしゃれをすることなんてほとんどなかったから、

スカートでお出かけ用の服にしました。

実際に着ているのを見たことがあるかもしれないのですが、記憶にない・・・。

よく似合ってた。かわいかった。

髪型もしっかりきまっていました。

看護師さんが、「髪の毛はいつも短くしている」と母が言っていたそうで、

かっこいい感じに整えてくださいました。

 

霊柩車に乗り、いったん自宅前へ。

それから、葬儀社へ。

時間はあっという間に過ぎていきました。

 

 

お通夜でお坊さんのお話を聞き、

そこで糸が切れたのか、涙がたくさん溢れてきました。

コロナ禍でやってあげたいこともなかなかできなかったでしょう。

なにもしてやれなかったって後悔するほどの出会いだったのです。

そんな出会いに感謝しましょうと。

 

告別式・火葬前は、

本当に最後の別れなんだなと感じました。

空を見上げて、がんばるからねと誓いました。

 

 

 

小さい頃はたくさん迷惑かけてごめんなさい。

大きくなっても勝手ばかりでごめんなさい。

一人で生活するの大変だったよね。さみしかったよね。ごめんなさい。

母の元に生まれてくることができてよかったです。

本当にありがとう。

 

 

最後の短い時間だったけど、会えるときに会って、話をして、

ほんの少しは親孝行できたのかな。

そう思いたい。

 

 

 

 

 

 

 

ガジェット好きな私。
昨日は、EVORIDEORPHEランニングをしてきました。
まだ2回目。

何が正しくて、何が自分に合うのか。
まだまだ試行錯誤。

今のところ、走ることが楽しくて、
好きなのは変わらないです。

大会の雰囲気を、味わいたいなー。

なんと、人生初。

月間走行距離が、200kmを超えました。
全然意識してなかったから、
びっくらこいたわ。


コツコツやるということは、こういうことなんだなと。がんばったなーおねがい


リアル大会はないけど、走ることが人生を豊かにしてくれると感じています。


まあ、色んな楽しみ方があるので、
私は私のペースで、
しっかり前に進んでいくのさ。


前に進めば、ゴールに近づく。



さあ、今日も走るぞ💨




日々、走っています。

TwitterとかInstagramとか、
みんな速い人ばっかり。

自分は自分のペースでいいとは思うけれど、そして張り合える相手でもないけれど、負けず嫌いが出てきてしまいます。

走ること=楽しい
から、今はこの感じで突き抜けていきたいと思います。


と言ってますが、
本当は自信がないのですよー。
すぐ、わるい自分が出てくるグラサン
雨だし、よかろ?
疲れたけん、よかろ?
時間ないけん、よかろ?
って。

気楽にいくばい!


昨日のラン写真