この題名を知っている方々は、特に教会長様方は前回のブログを読んで頂き、この旬に、誰のためにおやさまが、苦労の中、教理をおふでさきやおつとめに書き残して下さったのか、なぜ、教祖伝や逸話編に、おやさまの、御心溢れる書籍を勉強したのか、誰のためにこれらのものがあるのか、考えて頂きたいと思います
私には上級教会のためだけや、自分達が大教会内での立場を守るために信仰しているふりをしている教会長を知っているからです。
私は躁鬱病の人と見合い結婚させられました。
相手が躁鬱病である事を隠して3度も私ひとりの時にだけ、話を持ってきました。
この結婚をやめるように意見して下さったのは、同じ大教会内の教会に嫁いだ父の従姉だけでした。その時はもう結婚の日も決まっていました。
よく考える時間なく、早過ぎる結婚でした。
相手が普通の人なら、よくある事です。
相手側の教会長様も、結納の時に、彼が躁鬱病である事を私達に、なぜ話して下さらなかったのですか?
うそとついしょうこれきらい
おやさま逸話編では、預かった子供の命と引き換えに、みき様のお子様が出直しました。
躁鬱病の彼を助けるなら、自分の年頃の娘を嫁がせるのが、おやさまひながたに添った信仰ではないのですか?
それが、できないなら、苦労する私達家族に、頭を下げて、お互いに助け合いをするので、彼と結婚させてあげてください。と言って、私達に考える時間を与えてくれなかったのですか?
中山みき様がおやさまになる時に中山家親族で、話合う時間を3日、親神様は与えてくださいました。
知らないはずはないですよね。
全国の教会長様、
これでは教理が伝わらないと思いませんか?