静かに満ちあふれる時がある。
静謐であり、充溢である。
ここにはもう動きしかない。
静止しているようでも動いている。
すでに動きしかなかった。だから、そのことを別な形で振り返る時と言おう。

確かに動いていてた。
止まることはできなかった。止まりたくはなかった。
高まり強まる感情は必ず動きをともない、思考は停滞を嫌った。
点にいることはできない。
線をつくる。線を引く。
流れていくのだ。流れになるのだ。
私は地図作製者となり、道を確かめた。
袋小路を探し、抜けるか壊すかした。
何度も迷いながら方向を定め、顔を上げ、隙間に注意し、目的を見つけた。

途中で笑った。
途中で泣いた。
それは、人は孤独であると当時に他者が常にいるからだ。
それは、生は渾然としており、多数多様な個別化の場であるからだ。

私は外に出て、風の冷たさを感じた。
風は目を襲い、悲しくもないのに涙が出た。
小さな木に残った枯れ葉がカサカサ鳴り、小鳥が鋭い鳴き声を上げ、すべてを貫いた。

私は夢から覚め、旅先のように新しい知覚に驚いた。
ことば、音、見るもの、記憶、全てがあふれてくる。
全てが振動している。
全てが光速で反復している。
目が眩むような幸福。
経済的、地理的、歴史的条件がどれだけ悲惨なものであったとしても、不幸であるかどうかは私の自由に属する事柄だ。
条件と出来事は異なる。
条件と生成変化は異なる。
条件がどれほど私を苦しめるものであったとしても、快楽も幸福も、私次第である。
しかし、私は一つの個人ではなく、そのつどの諸々の生成変化や個体化のことであり、統一性があるわけではない。
家の近くに川が流れている。そのことを気に入っている。20年程前は近くに海があった。それも気に入っていた。
川辺には木々がある。森と言える規模ではない。林とさえ言えない。しかしなぜか森と言いたくなる。
森は私よりも大きいものだ。私の日常は小さなもの、細々したものを相手にしている。日常に大きなものもあるのだが、それは親しみを覚えるものではない。
森には優しさを感じる。また森は謎を孕んでいる。答えのない問い、何も隠すことのない明らかな秘密。規模の問題ではなく、私は森に迷い込む。見ているだけで、目眩む。それが不思議なことに私を解放してくれる。