シングルマザーでも大切な人の為、大好きな音楽の為に生きる♪ -96ページ目

1/17放射線治療からの火事場の“バカ力”


17日放射線治療一回目をしました。

事前説明で考えられる副作用は、脳がむくみ視力、運動、思考…

まあ脳全然に放射線を当てる訳だから 簡単に言えば体の機能のどれになるかわからないという訳だ


そりゃそうだと納得目


副作用を抑える薬があるから、そんなに酷く出ないであろう事 説明受ける。



放射線治療は副作用が軽い治療法の為通院で行う事ができる。


母は入院は暇で嫌だというので、通院で行く事にする。


一回目だけは副作用が心配なので、「付き添って欲しい」と言われたが


とんでもない!

あたしゃ毎回付き添いますから!!


よろけて転ばれたら、大変ですからあせる



その前にこの治療に入るまでに、解決したい大きな問題があった。   




ずーっと毎日一緒に過ごしている、母の友人の事。


2人の関係は私からしたら、気持ち悪いくらいいつも一緒で

その友人は母に対し独占的が強く、小さい時は娘の私に嫉妬し 実は陰で嫌な思いをしたりしてた


それがあって、私はいつも一歩ひいた立ち場でいた。 


癌が見つかってからの診察は全部一緒に来てくれていた。

  
入院中だって毎日来てくれる。洗濯もしてくれる。 
時には1日で二回来てくれる事もあった。

 
母は私とその友人が鉢合わせするのを恐れていた。

子どもの時に嫌な思いをしているんだから、その理由はすぐ分かった。



私は母のストレスを減らす事を一番に考えてる。



だから入院中あまり会いに行かなかった。

現実を目の当たりにするのが怖くて、病院へ行けなかったのも事実。



母にとってもその友人が側にいる事が一番嬉しい事も事実
だから敢えて全てを任せてた。



正直体力的に物凄く助かったのも事実。



それがその友人の目には
“娘なのになんで何もしないの?”
という、思いをいつの日からか抱かせてしまっていた。



それを知った時正直私はあ然としてしまった。


「だって私に会うの嫌でしょ?」

と普通に思ってしまった。


何もしていない訳ないじゃない…


母は友人の機嫌を損ねるのを恐れて、家の話を一切しなかった。


いや…しなさすぎだ。


話を聞いてそりゃ誤解するわ…私普通に納得。。。



正直に書く。


めんどくさいと思った。

そんな2人のせいで今更色々と言われても
そのせいでの子どもの時のトラウマずっと抱えてた。

母さん自身が招いた結果だ。。。今更そんな泣き言知らん!



ただ今状況になって私は更に母のストレスを少しでも減らす事を一番に考えるようになった。



そして私自身、他の事情で治療中の父は勿論 兄にも誰にも弱音吐けなかった。

家には2人の娘がいる。
家も泣ける場所ではなかった。

外で泣いて、友人の前で泣かせてもらってた。


1人で抱える苦しみ、吐き出し場がない辛さが理解できた。


だから私が母の友人に対し思った事は…


“本当に私が行っていいの?家で何もできず待ってるの凄く辛いよね?

もしかしたら副作用で会う事もできなくなるよ?
そんな辛い思い3週間も続いたら、おばちゃん…狂っちゃうよ…”



色々理解できたから、不安になった。



母は「何を言っても話を聞いてくれない」という



私は「だったらとことん向き合ってやる」と思った。



15日に放射線治療の準備の為病院
17日治療開始


↑この話聞いたのは、15日。



治療まで時間がない。

唯一空いた1日は、私の別の手続きで終わってしまう。


15日の帰りに電話したが「お母さんから話を聞くからいいよ。」と断られる。

話し方が明らかに、私に怒ってる。


とりあえず少し時間置いて、再度かけるが出ない。
やむなく「会って直接話したい事がある」と留守電を残すが 折り返しの電話は来ない。。。


16日 私にとって唯一自由な日、今後どうなるか分からない為


今後の為に必要になる手続きを全て終わらせた。


午前中から始まり、終わったのは16時過ぎ


実は精神的にかなり辛い内容の申請だった。


終わった時「今日は家に帰ったら、何もできなくなるな…」と思った。


携帯をみたら、その友人から着信が来てる!


役所の外ですぐかけ直すが出ない…その友人の家は近所


電話待ってるより、行った方が早い


もしいなかったら、帰るの待っているつもりで その友人宅へ自転車走らせる。



向かいながら思った。

私こんなんだから、潰れるんじゃん。


“良い加減”全然出来てないじゃない…



でも初めて思ったんだ。


もしかしたらお母さんを見送った後私潰れるかもしれない



でもね



私にはゆっくり治せる“時間”があるんだよ…



母さんの“時間”は限られている…



だったらこれのせいで潰れてもいい



私は終わってからゆっくり治せばいいんだから…


幸い母の前だと、別スイッチが入ってしっかりしてる自分になれるから



友人宅に着いた。家の電気ついてる!

落ち着かせる為、myコーヒーを飲み
インターホン押した。

向き合って話をするのは初めて
今思い返すと自分かなりびびってた…



私的に無理矢理家に乗り込んだ気分あせる


ひとまずリアルタイムでやってきた、役所での手続きの事

動けなくなった時の為の介護の勉強をしようとしてる事


おばちゃんが側にいる事がお母さんにとって一番嬉しい事だったから
今まで敢えて病院へ行かなかった事


癌が分かってからの、私の母への想い

そのためにやってきた事、今やっている事



そして母にとっておばちゃんが一番である事


家で待ってる事の辛さを私が心配している事



全部話した



そうしたら、ちゃんと理解してくれたよ。



理解というか“初めて知った”と。。。



うちの母さんが何も言わないんだから当然です汗



向こうは本来子どもである私がしないのがおかしい、だからこそ子どもの役目として


今回の放射線治療は自分が行かないようにと思っていたと


だが 私の本当の事知った。


娘はちゃんとお母さんの為にやっていたんだねって…


「それが分かったなら、治療の付き添いは私が行きたい!」


やっと言ってくれた…その時のおばちゃんの目輝いてたよしょぼん



安心した



「もし不安なら3人で行こう」と提案もした



そしたら


「2人がいい!!」って



私はこれ聞いて本当に嬉しかったよ。



この事母さんに電話で報告した時の歓喜の声。。。小学生かよあせる

まじツッコミ入れてやろうかと思ったわ(笑)


すんごい精神力使ったんだけど

まとめると
話しをしない母→友人誤解する→私が全部話す→友人納得→3人みな笑顔


なんて単純なんでしょうガーン


話をしないのも母なりの思いがあっての事で



単純だからこそ難しいのかもしれない


単純だからこそこじれるのかもしれない



でも今回の事で“対面で本気で向き合う事”の大切さを再確認できたよ



私はこんなに母を思ってくれている友人に


血がつながっていないからと遠慮しないで欲しかった


だから「2人がいい!」って言ってくれた時本当に嬉しかった。
遠慮なく主張して欲しい…



前に書いた“患者の家族は第二の患者”



私は家族だけでなく


“患者を大切に思っている人全てが第二の患者”


だと私は思う


血のつながりなんて関係ない。


みんな泣いて、苦しんで受け入れられないでいる。



こうやってお母さんを中心とした第二の患者が協力しあって、連携とって行けば

私達もお互い同じ気持ちなんだから、分かり合える。

分かり合える人がいるのといないのとでは天と地程の違いがある


それで私達が少しでも笑顔でいられる事が
母の笑顔に繋がるから…



このブログのサブタイトル



“自分が笑顔なだけじゃ嫌 みなが笑顔じゃなきゃ意味がない”


この想い再確認した。



本当は抗ガン剤が効いているうちに自分の体調戻して…という計画がずーっとあった。



でも今の現状になって思う


もし計画どおり私の体調が戻ってからの
この現状になっても…きっと変わらない


病気どうのではなく、誰しもが不安定になるんだ。


これをきっかけに病気になる人だっている



確かに早すぎると思う



でもこれ言った所で変わらない



だったら“今”でよかった。


だって今なら私まだ若いもん


気が済むまでお母さん、お父さんの面倒見て


それから社会に戻っても間に合うもん



今の私の役割は私しか知らない事、感じられる事を伝える事だと思う



今回のように伝えて、少しでも後悔のないように皆がやってくれたなら…悲しみはかわらないけど、ちゃんと見送る事できるでしょ?

後悔しないで済むでしょ?


私だって、早く伝えていれば…なんて後悔したくない。



向き合わなければならない人がまだまだいる。



人間て複数な生き物だよね。。。ガーン





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生の希望から死の準備へ

今日病院へ行き検索の結果と今後の治療方法の説明を受けてきました。


2012年8月 母は肺に癌が見つかりました。リンパにも転移が見られました。
ステージにすると3。


ただ母の体は元気だった為、体力的に厳しい抗癌剤治療と放射線治療を併用し


2013年4月 先生から「このまま五年何もなければ大丈夫」と初めて前向きな言葉を頂いた報告を母から聞き、嬉し涙が止まりませんでした。



2013年8月 脳に転移。大きいのから小さいのも合わせて、9個くらいあるとの事


束の間の喜びだった。



先生より
脳は他の場所と違い、放射線治療に限りがある事。

専門的にいえば脳の場合
全体放射という、脳全部に放射線を当てる治療と

部分放射という1つの腫瘍にピンポイントで当てる治療


の二種類がある。



ただし全体放射は一回しかできない




だからまずは抗癌剤で小さくしていく事に。


ただ個人差がある為、本当に小さくなるかは投与してみないと分からない


小さくならなければ全体放射の一発勝負



と説明受ける。



※ここからは私だけ知ってる事。


全体放射で一度は小さくなっても、完全にはなくならない可能性が高い事
(当たり前だが先生は絶対という言葉は使わない。可能性という言葉を使う)


一度全体放射してしまえば、それ以降の完治に向けての治療法はない事。



ここで治療法の限界を自覚する。



だから抗癌剤が効いてくれる事 祈り続けた。


数週間後の結果を聞き、腰が砕けそうになったの覚えてる。



そしてこのまま抗癌剤が効き続けてくれる事祈るしかなかった。



2014年1月 脳の中の複数ある腫瘍のうち4つ程大きくなっている事がわかる。



早すぎる…………



その結果が前々回のブログ


だって

母が肺がんが見つかる1年前の2011年5月 父が直腸がんがみつかり、ステージ4だった為、人口便となった。

その後2011年もう何月だったかわかんないや 肺に転移がみつかり抗癌剤治療始めた。


ただ副作用が弱い薬の為、入院の必要はなく 今も仕事へ行き一度薬は変わったけれど 今も落ち着いている。



父が癌と分かった時、半端なく辛かった。
一度生死をさまよった時もあったから尚更


ただ父の場合は母がいた。
悲しいけれど、悲しむ母のサポート…


これが娘である私の役割だった。


時には一緒に泣いた。


父への思いがお互いぶつかって喧嘩もした。




だから私の中では母の癌が見つかっても、父が先だと思ってたんだ。



でも気づいたら、あっという間に父さん追い越した。




抗癌剤が効かない事=他に完治させる治療はないという事



だから自分でも驚く程心が取り乱した。


放心状態


何も感じない


なんでだろう?寒くない


人の言葉が理解できない



翌日私の診察日だったのが救いだった。


先生から
“現実を受け入れる事”

私に分かるように何度も何度も説明してくれた

放心状態だった頭を先生は私に質問をしながら 私の頭ん中整理してくれた。



理解した。


私は完治(生)を願っていたから取り乱した。
その可能性がなくなっから、今こうなっている。


病状は何をしても変わらない。


これからは母の“死”を頭に入れて行動しなければ



今あるのはどうする事もできない ただただ悲しみの涙


こう思えた時、やっと母の死を受け入れる“準備”ができたように思う。



あくまでも心の準備でしかない




今日の母の治療について先生の説明は



全体放射でも完全になくならない事


すでに9個見つかっているという事は
CTやレントゲンでは見えない腫瘍が確実に複数あると言う事


その後大きくなったら部分放射でやっていくと

それと併用して抗癌剤投与は続けて行く事。



来週から全体放射15回を始めます。



先生の話聞いて感じたよ


これからは生きられる時間を延ばす為の治療なんだと…




すでに効果がない結果が出ている抗癌剤を使うのは、
抑えられるものがあるならば続けようと言う先生の意志



私は思う


抗癌剤が効かない腫瘍は必ずまた出てくる。


部分放射?脳なんだから、場所によっては無理だろう



冷静に考える。



今はまだ治療できる可能性があるから言われない。



治療しても効果が出ないと分かった時



余命宣告を受けるだろう



私先生と母のやり取り聞いて分かったよ。



母さんは先生の話聞いて何とか、前向きに捉えようとしてたから



私は何も質問しなかった。



脳だから…寝たきり、意識障害多分悪くなったら一気に来ると思うから

一気に障害者一級になるだろう。



それまでの準備は私がやっとくから


介護の勉強をしようと思う。


自分の逃げ場として
それといわゆるがん患者家族の集いにも行って見ようと思う。


その他知らなきゃいけない事いっぱい。



生きていても、まともに会話できるのはあと何年あるだろう。
最悪年単位じゃない可能性も否定できない。



頑なな兄にもう一度話をしよう。
お兄ちゃんに後悔させたくない。
母さんだって息子に恨まれたままだって嫌だろう


娘達にももっと沢山の思い出作ってあげたい。


娘達には可哀想だけど、この辛い経験が将来の為になるよう あなた達をサポートするから
その為に母さんと向き合う私の背中見せられるように頑張るから。



お母さんは感情的な人で、父さんは口数の少ない人。
「父さんね。ああ見えて、凄く知りたがってるから話してあげて」
病院で待ちながら母さんに話した。

娘だから分かる、お互いの気持ち。



とにかくいつ来るか分からないその時の為に心、環境、その他必要な準備しとくから



できるのはあくまでも準備

現実を目の前にしたら全く自信ない。

どれだけ準備しても、自信はないだろう



心折れそうになったらこのブログ
読み返すと思う。




とにかく私がしたい事は


後悔したくない

出来れば私だけでなく父や兄にも後悔してほしくない



それと自然と「私が何があっても側にいたい」思ったんだ。



今までの家族の中での、私しかいない…という孤独感は不思議と今はない



もし孤独感を感じたら、潰れないように逃げ場に逃げるから




変な話だけど、私休職になって良かった。




何より脳でよかった。



だってあとどれくらい~て悩まずに済むでしょ?



お母さん不安な気持ちにならないでしょ?



良かった。



お母さんの精神的負担が少ない事



私にはそれが何よりの救いだから




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お詫び

前回のブログ申し訳ありませんでした。

完全に取り乱し、ご心配おかけした事
本当に申し訳ありませんでした。  



あのブログ私的には本当に大人としてみっともない事をしたと思います…



本当は消して、これから出会う人や私をまだよく知らない人に読まれるのは恥ずかしいです。



はっきり言って、かっこつけたいです。



でもそれよりも…こんな弱虫でいきなり取り乱してみっともない後先考えずブログ書いて…こんな駄目な部分を持っているのが本当の私です。


それも知って欲しいと思います。



離れる人はいるでしょう。


ぜひ離れて下さい。



私は人間はみなこのような生き物だと思っています。



ただ冷静だから感情表に出さないだけで


誰もが持っている感情だと思います。


“考える”だけで罪なのか?


「それは言ったら駄目だよ」

と言われる言葉、思考が存在します。
 



これはあくまで私個人の考えです。 



完全な人間なんて存在しないと思います。。




人間は様々な場面で“口に出してはいけない事”を
思います。感じます。



だって生きてくって、楽しい事ばかりじゃないから。。。




それを理解してくれる人がるならば


口に出して…吐き出して…泣きまくって…


ぐちゃぐちゃになる事


ぐちゃぐちゃになれる事




私は凄く大切だと思っています。




だって“口に出すだけで”すっきりするでしょ?




“言ってはいけない”“考えてはいけない”という理性


でも考えてしまうのが、感情です。



この両極端の思考能力があるのが人間



そこで大抵の人達は
「こんな事考えてはいけない」

と葛藤し自分を責めます



私はその“感情”を責めずに受け入れて欲しいと思います。



考えてもいいんだって思って欲しい。



そしてそれを受け入れて聞いてくれる、誰かがいるならば…吐き出して欲しい




今回私がしたミスは


公共の場でそれを吐き出し、沢山の方々に心配をかけた事です。



冷静になれば


私にはこの駄目な部分を受け入れてくれる人がいる。


駆けつけて来てくれる人がいる。


吐き出すの我慢しても、敢えて吐き出させようとしてくれます。



ちょうど昨日は私の病院の日でした。



先生に母の状態を泣きながら説明しました。


先生に


「側にいてくれる友人等はいる?」


と質問され


「ありがたいくらい、沢山います」



って今度は嬉し涙で泣きじゃくって…



先生に笑われてしまいました。




いっつも言ってますが、私は本当にみなさんに生かしてもらっていると思います。



本当に本当に幸せなんだよ…私



ありがとうって何回言っても、気が済まないくらいって思うから…



本当の笑顔を見せたいと思っています。



みんな…私と出会ってくれてありがとう



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