私はいままで、さも短歌をおもしろ半分で書いていたように感じ取られていた方も多いだろう。
しかしそれは単なる解釈の違いであって、
わたしは自分の自己表現
つまりはアイデンティティをこの日記というものによって爆発させ
それを短歌という、5・7・5・7・7で区切られているなんとも閉鎖的だが規則性があり内容を要約するにおいてこれ以上ない「いれもの」に集約しているのである。

実際に
gorilla
saru
ebizou
の日記においては
彼らの気持ちになりきり、その思いをシンプルに、より確実に伝えるためには?と考察し
あのような言い回しを何度も使い彼らの心の内に秘めた寂しさを表現している。




つまり、もう短歌はいいかな。
である。
ぼく海老蔵
いたたたいった
いったった
いたたたいった
いったった
ぼくはサル
ウキキキウッキー
ウッキッキ
ウキキキウッキー
ウッキッキ