私は一体何をしていたのだろう。

 

気づけばもうすぐ50歳。

 

小学校時代に自分の50歳がこんなに哀れなものだなんて思っただろうか?

 

立派な家庭を気づき、世間並みの生活、いや、それ以上の何不自由ない生活を手に入れていたはずだった。

 

それは、何の努力もしなくても歳を取れば普通に手に入るものだと思っていたのだった。

しかも、私の大きな間違いの一つは時間は限られているという概念を無視して生きてきたことだろう。

時間は断然有限なものであって、「後でやればいいや」「今度やればいいや」が通用しないことに気づかずに生きてきたということだろう。

 

思えば私は幼少のころから、将来を考えて生きることができなかった。というか、そのような癖もつけなかったし、今しか見ずに生きてきたように思う。というか、そのようにしてきた。未来は未来の自分がやってくれるさと思い、全ての責任を後回しに逃げてきたのだろう。

 

というか、私は今でいう何か精神障碍者か何かだったのだろうか?

 

今だから過去の自分を引いてみることができるようになったが、当時の自分は救いようがなかった。自分のみを信じ、自分はあたかも偉人であるかのように誰の言葉も信じず、自分以外に凄い人などなく、自分がすべてにおいて絶対的に正しいのだと信じて疑わなかった。

 

だからあの時誰が私に何と言おうと、変わらなかっただろう。自分の気持ち以外に正しいものなどいやしないんだと固く思っていたから。

 

動物って今しか生きないって聞いたことがある。未来がみえないって。

私もそうだった。過去の私は未来の自分は完全な成功者だと信じて疑わず、未来の自分と今の自分がつながっていること、過去の自分の努力が未来の自分になるってことを全くりかいせずに生きていた。今思うと痛い。本当に痛い。

 

ただただその日その日をただやりたいように生きてきた結果このようになってしまったのだ。

 

それでは過去の私とはどういうものだったのだろうか。

 

と、その前に今の私はどうかというと、全くうだつが上がらない。

 

まあ世間一般にいったらダメな方の部類だろう。というかダメでしょ。

 

んー、しかしこの状態をダメというと、私のように底辺で苦しんでいる同胞もみなダメになってしまうから、あくまで自分だけに限定していうとやっぱりダメだ。

 

というのも、私は今時給1000円のアルバイターだ。

 

ダメかいいかは読み手の皆さんに任せるが、私はダメだと思う。

 

だって私は小学校の頃も、中学校の頃も、もちろん高校になっても、大学生の頃も、ほんとつい最近まで、金持ち、美人妻、大豪邸、世界を常に駆け回る男。

 

将来に対するイメージはこんなものしかなかったのだから。

 

それが50に手が届く私が、20代の方々が多数いる職場でのアルバイター。職場での私は圧倒的年上、社員よりも年上、もちろん指導者よりも年上、圧倒的醜態、圧倒的場違い、圧倒的諦めの中、それでも私は過去の私が傍若無人にふるまった結果を真摯に受け止め、これでも生きて行けるだけましなんだと生の喜びを感じて生きて行かなければならないのだろう。

 

私はこの人生に、いや、まだ終わってないから半生なのだが、私がこのブログを記そうと思ったのは、昨今過去の自分に対する後悔が多いからだ。

 

人生に「たられば」はないとは使い古された表現ではあるが、まさに今の私は過去のたらればにとても苛まれているからだ。私があの瞬間違う選択をしていれば、今頃は?とか、あんなことよしゃいいのにってことの集合体が今の私である。よしゃ(よせば)の塊が今の私であるわけで、その今思う何であんなことをしてしまったのだろうか?よしゃ(よせば)いいのにという、後悔の場面を後世の人々に同じ間違いをするなというメッセージとしてお届けしたいからである。

 

いや、夢があるなら50歳でアルバイターであることも止めやしないし、ダメともいわない。が、私はカードが尽きた状態である。皆さんにはカードが尽きる前に、ちゃんと未来を見据えて生きて行ってほしい、そのためには私のような先人の間違いを参考にしてほしいということで、いわば反面教師的な立ち位置でこのブログをリファレンスしていただければと思う。

 

皆さん、人生は長い、私のように失敗するな。これがこのブログのコンセプトである。

 

グッドラック