こんばんは!フリペ局3年、慶應義塾大学の角野です

前回のミーティングで、やはりとはいえしゃべったことない人が半分以上、ってのはよくないよな、
ってなわけでブログに急遽参戦してみたいと思います☆(絵文字めんどくさい)
○○の秋、ということで、自分にとって今年の秋はずばり
「
AKBの秋」
となっているわけですが、
そんなことを初っ端から書いてもドン引きなので、まずは昨日の日記を書きます!
まず、昨日はTOEICを受けました。
場所は広尾の日本赤十字看護大学でした。
そのとなりに日本赤十字病院があるんですが、その建物がきれいすぎて、一気に好きになって、ニヤニヤが止まらなかったです。ぐぐってもうまい画像が出てこなかったので六本木か広尾行った時にでも見てみてください。
あと、広尾ガーデンヒルズの閑静さ、きれいさはやばいです。格差社会感じます。給料高い会社に行きたくなります。
TOEICを受けたあとは西麻布の住宅街をぷらぷら歩きました。ここも非常にきれいな住宅街で心が洗われます。
ここでも好きな感じの建物を見つけました。

三田にある、クウェート大使館もすごく好きな建物です。ぜひご覧あれ。直方体を組み合わせたようなものが一つ好きな建築の系統としてあるかもしれません。フランクロイドライトの落水荘とか好きだし。
突然ですが、電線は、景観を悪くすると言われます。電柱は地中化すべき、そんな話も多々あります。
この意見に対して反論してみたいと思います。コストなど経済的な側面は論点から除きます。
まず、日本の風景の中に電線は根付いていると思います。なんとなくイメージする「昭和の風景」に、電線がなければ逆に違和感を感じることでしょう。
次に、電線だけをなくしても景観の改善とは言えないことがあげられます。日本の景観の問題として、看板や屋外広告がごちゃごちゃしていることがあげられます。その中で電線だけをなくしても、景観の問題は解決されないでしょう。日本の町並みは、西洋のような整然とした街並みは少なく、さまざまな方向への直線、曲線と路地など複雑な構成である側面も強いです。単純に西洋のように電線がなければ景観が変わるかといえばそうではないでしょう。電線は複雑系としての日本の町並みを構成する一部ととらえられるのです。
さらに、西洋のガレリアまではいかないまでも、日本の電線は「外」であるのに「内」であるような感覚をもたらしてくれるものではないでしょうか。このことによって精神的に安心感を得られるのは気のせいでしょうか。

一方、近くの六本木けやき坂を見てみます。

電線はありません。きれいです。が、物理的にも、心理的にもどこかに隠れることができない印象を受けます。「投げ出された」感じがします。人間は「世界へ投げ出された存在」と言ったのはハイデガーです。実存主義ですね。
ここで引用。ブログなので正式な文献ではないですが…
http://hobo.no-blog.jp/train/geborgenheit/index.html
> 実存哲学者たち(特にサルトルまでの人々)は、緊張感のある厳しいことを一人びとりに要求する。庶民的な生き方、すなわち世間に迎合し、これといった問題意識ももたず、平凡でささやかな暮らしを営んでいくような生き方を手厳しく批判し、もっと真剣に自分を見つめろとハッパをかける。人生や世界という、謎にみちたシロモノを直視するのはとても勇気のいることで、不安におびえずにはいられないけれど、その不安をあえて引き受けた上で、迷いながら、恐れながらも、手探りで、この大いなる謎を解き明かしていこうとする態度こそが、平凡で安楽な暮らしよりもずっと人間らしいじゃないかと、かれらは訴えた。
どうなんでしょう。こういう問題にあたるとき結局落ち着きどころは「中庸」な気がしますが、「中庸」で考えたところ、電線のある風景も捨てたものではない、とは思えないでしょうか。
所感ばっかりで論理性とか欠片もないくせに、哲学とか持ち出して妙にかっこつけた感じになったので、次はAKB書こうかね。アイウェイウェイもすごくおもしろかったのだけど。
以上。