本日統括のキックオフなるものありけり。
やはり、私はタブレット拡販兼、シュナイダーなのでした。

タブレットは少し置いておいて、
自分の使命がやっと確定し、安心。
これからバリバリ仕事やろう。

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似ている二人

家族が東京へ遊びに来たので
久々に単品で会いに。

ご飯食べながら仕事の話。
社会人として大先輩ですから、
ゆっくり話を聞いてくれてすっきりしました。

それから雄一郎の話。
同棲の件なんか初めて話しましたけど、
特に何の反応もせず。
寧ろ彼の心配をして。
うちの家族としても雄一郎をなかなか気に入っているようで、嬉しい。

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もうすぐ、先輩の誕生日。
峰不二子に似ているので書いてみました。
ちゃんと書いてプレゼントしようと思って。

明日からまた一週間頑張ろう

自分には何の才能もない、何も出来ることがない、としんから思っていながら、プライドの高さはさながら山のようである。

昔からこのような気質があったように思う。

否定されたくない、見下されたくないという心から聞くことを躊躇うのだが、
結局自分を一番否定しているのは自分なのだ。

逆か。

出来ないと思っているからこそ、それを指摘されたくない。これ以上否定されたくないという心が働くのか。
自分で自分を認められないのに、第三者から否定されたら、味方はいなくなってしまう。

この思想は何処から来たのだろう。
この劣等感は。

記憶の中では、小学校の時、全く学問に興味が持てず、周りが満点をとるテストでさえ無残な点数しかとれず、自分は頭が悪いんだというコンプレックスから。
その時最も情熱を注いでいた絵でさえ、多くの犠牲を払った割に僅かな上達しかえられず(上達を阻んだのはやはりプライドの高さである)いよいよ自分に出来ることは何もなくなった、というところからきているように思うが、いや、本当はもっと昔からあったような気がする。

中学、高校と、堰を切ったように矢鱈に勉強し、人より出来るような状態になっても、思考は変わらなかった。

根が、頑固なんだろう。

いつの日か、自分を認めてやることが出来るのか。苦しい。