コロナ前、通っているスポーツクラブで、エアロビクスを担当する先生の本職は「ダンサー」だった。
地元のとある居酒屋で、たまたま伝兵衛さんに出会った先生は、伝兵衛さんの演奏に合わせて踊ることになったそうだ。
地元のリング・ライブと、ライブハウスでのライブ映像を目にする機会はあった。

その時は知らなかったのだが、実は伝兵衛さんは、透析をしながらの活動だったようだ。
先生も、ずいぶん後になってそのことを聞かされたらしい。
しかも透析に行った先の病院は、地元を代表する大きな病院だったようだ。
…昭和を駆け抜けたミュージシャンにはよくある過ごし方(酒にタバコに夜型の生活)の典型を続けていたであろうことは、いやでも想像がついてしまう。まぁ、これがないと味わいも何もあったものでない、という側面があるから、致し方ないと言えばしょうがないか。

それにしても、せめて、一度でいいから生でその演奏を見てみたかった。先生とのコラボも…
というのも、うちのスポーツクラブは、コロナ期間に突入した途端に、外部のエアロの先生のレッスンを削ってしまったからなのだ。
今では、先生との時間は想い出になってしまった。
週末に身体を動かして、運動後に先生と何気ない会話をして過ごしていたけど、
あんなつややかな記憶が包まれていたとはね。
 

 

「自己満足」ということについて、考える時がある。
いわゆる、「これくらいなら十分だろう」という読みで、学校や職場に臨んでも、周囲の水準というのは自分の思っているものとは全く違うため、常に「周囲の実態」の相場を見ないことには始まらなかった。「自分のやりたいことは」と聞かれても、その相場と引き比べて初めて使い物になるため、自分の思っている通りをそのまま言って、通用するかどうかわからないという不安がある。
学校に通う者の不安というのは、大なり小なりこれに類するのではないか。同調圧力という言葉で言い表されることもあるだろう。下手をすると、これが原因で不登校になってしまうこともあるかもしれない。当の本人から理由を聞こうにも、言葉で言い表しにくいことであるはずだ。認識の文脈が、自分と周りとでは異なるかも知れないということに、端を発するものだからだ。

「自己満足」を、どこに置くのか。
「この程度でいいや」なのか。「自己愛を、あますところなく存分に発揮すること(11/14編集済)」なのか。
そして、周囲がどのくらいの水準を望んでいそうかをリサーチし、微妙にコントロールできることをよしとするのか。

例えば主婦業のような、答えのない性質の活動を、自分の水準でやっていくことこそに価値を置くのか。

最適解がどこなのか。

悩みに悩むということが、人生なんだろうか…

超絶お久しぶりです。

片付け系統のネット記事なんかを見ていると、

「いつか使うから」という題目を思わず脳内で上げてしまって、思わず置いておいてしまい…

というくだりをちょくちょく目にします。

 

この「いつか」って、すご〜く厄介者なんですよね。

ただ、私はこの「いつか」が、具体的になるか否かが、結構なポイントになると思っています。

 

私の場合、この「いつか」がいつになることが多いかというと、

 

  • 予定している旅行
これが結構多いです。そして、何に対してなのかというと、
  • 化粧品店とかでもらう試供品
なんですね。
 
この試供品、モノがデイリーなのか、それともデパートとかでもらう少々リッチなものなのかで、役割も変わってくるんですが、多くは「旅先での使い捨てスキンケア」だとか、「スポーツクラブの運動後のスキンケア」の役目になります。
 
あくまで私の場合なんですが、パウチ一回分とかだと旅行用、小さめのボトルなどに入っていたらスポーツクラブだとか連泊用に充てるのを想定します。
そして、旅なら誰と行くのかなんかを想像して、その人にそれとなく見られるであろうことを加味して、どれを持っていくのか最終的に決める、みたいな感じにしてますね。
 
だから、自分が今、どういう試供品をどのくらい持っていて、いつ頃旅行に出るのか。
また、スポーツクラブに持って行くのなら、スキンケアのどのアイテムを試供品で賄い、譲れないアイテム(美容液など)はどれを買うのかをはっきりさせておく必要がある、というわけですね。
 
あと、別パターンで、
  • 経済的な突発的事情
なんてのもあります。「おカネが足りない!」というヤツですね。
また、「ものが無くなったのに、今日は天気が悪いから買いに出られない」なんてこともありますよね。
これは突如として到来するため、ものすごい危機感なわけです。
 
こんな場合、「火事場の馬鹿力」的な記憶力が発動し、「あそこであれをもらった!」みたいなことが思い出されたりして、
何はなくともとりあえず見てみるかと、押入れを探して、何とか間に合わせる、なんてこともあります。
この「足りない!」は、発想が柔軟になる機会だったりもして、「こういう使い方もできるんだ」みたいな発見につながることもありますね。特にスキンケア系は、お決まりのものを使って安心していることが多いのですが、美容液だとかアイクリームとかの試供品は、「買いに行くのもままならない」時には、威力発揮です。本当に、「何を持っているのか」を常々と把握しておくことが大事になってきますね。
 
また逆もあります。「取っておき過ぎて、旬が過ぎていた」というヤツです。
私の場合、これはパウチ入りのヘアケア系の試供品がそうでした。
次の大きなボトルのシャンプーやトリートメントを用意するには大仰だから、とりあえず間をつなぎたい、と思って押入れを覗き、これは使えるかもというパウチをいくつか出して、スポーツクラブへ持って行ってはみたけれど、中身は使えなかった、ということがありました。
 
実に、試供品には「旬(鮮度)」があるから、時々中身はチェックしないといけない、というわけです。
 
とすると、いろーんなジャンルのものに対して、「いつか使うから」と何となく取っておくのは、日数を経るごとに「いささかキケン」ということになってくるのは、想像に難くありませんよね。細かいモノ一つ一つについて「あれはいつ使えそうかしら」とシーンを想定して、どれもこれも管理をするのはタイヘンです。
私なんて、試供品一本に絞っていても、目を行き届かせるのは手一杯ですから…。
いかに、「いつか」を具体的に思い描けるかが重要かを痛感しますし、目を行き届かせるのは一筋縄ではいかないかを思い知らされますよね。