さて、二度目の家出はしてみたものの、ネットカフェの寝泊り3日で体全体がバキバキ鳴り出し、さりとて路上生活者になる勇気も持ち合わせていない森野徹42歳は、結局、遥香のもとに出戻ることになった。A型の徹と違い、あまり根に持つという執念に欠けるB型の遥香なので、去る者は追わず、来るもの拒まず、である。ある日ひょっこり徹が帰ってくると、「遅かったじゃん、残業?」くらいの会話で、また元のさやに戻ってしまった。
しばらく平穏な日々が続き、昨日も、遥香が駅ナカで買ってきた米八の山菜おこわを食べながらニュースを見ていたふたり。傍から見れば仲睦まじいDINKSに見えたかもしれない。
が、結局のところ、会話しなければ仲睦まじいふたりも、口を開けば、100km、200kmオーダーの距離感を互いに確認しあうことになる。今回の発端は、「岩手県警に初の女性本部長就任」のニュースであった。
「ずいぶん県警も遅れてるのね」
スーパーのパートリーダーを務める遥香である。よその組織のこととはいえ、女性の進出が遅れている組織に対しては容赦ない。
「だけど警察だからね。なかなかベテランのデカをまとめるのも簡単じゃないと思うよ」
ちょっと前に自分も女性管理職の部下になったばかりの徹は、女に何ができる派である。
「あんた、よく考えてみなさいよ。学生時代から成績上位は私たちのような女性ばっかだったでしょ。それを社会人になったらいきなり男女逆転だもの、これまでがどうかしてたのよ、そう思わない?」
遥香が成績上位であったかどうかは知らないが、まあ、一理ある。
「くっくっくっ・・・遥香さんはわかってないなあ、世の中は学校の成績だけで決まる、そんな簡単なもんじゃないんですよ・・・くっくっくっ」
出来ない男の言い分は大体こういう感じである。
「じゃあお聞きしますが、あんたが未だに主任どまりで、あなたの部下だった笹野さんが、と・う・だ・い出の笹野さんが、あ・ん・たの上司っていうのはどういうことかしら?お・ん・なの笹野さんが上司なのはどういうことかしら」
「・・・会社には・・いろいろ事情ってもんが・・・あるでしょ・・」
「ほー、富山文化大出のあんたが主任で、東大出の笹野さんが課長になる、特別な事情ってどういうことかしら、私、頭悪いからわかんない、おしえて、ねえ、おしえてー、って、・・・あほくさ」
聞くまでもない答えを聞き出して、この際徹を闇に葬ろうかとも考えた遥香だが、ほんのちょっとだけ仏心が湧いてしまったようだ。
「・・・女性管理職を増やせというのは、国からのお達しなんだ・・・数合わせだから仕方ないだろ・・・」
そういえば、徹は映画『ガール』の麻生久美子を観たときも、そんなことを言ってたような気がする。
「そこまでおっしゃる。いいでしょ、いいでしょ。では、あなたの後輩の、金沢文化国際大出の、男の飯村君が、このあいだ、甲府支社長でご栄転されたのは、どういう事情なんでしょうか。」
やたら徹の会社の社内事情に詳しいのは、遥香がOGだから仕方がない。こういうことになるから、職場結婚だけは避けた方がいいのだ。
「・・・飯村はだって・・・立ち回りだけの・・・」
「ふざけんじゃないわよ!」
ついに遥香さんが切れた。
「あんたがダメなのはそういうところなのよ!負けは負けよ、素直に認めなさいよ。誰もあんたなんかに期待なんかしてないわよ、それでも結婚してやったんだから、それでいいじゃんか、あんたのそういう負け犬の遠吠えが胸糞悪いのよ、このふにゃちんが!!」
・・・ついに大声でふにゃちん呼ばわりしてしまった遥香さん
・・・
「・・・この山菜おこわ・・・おいしいね・・・」
何も聞かなかったことにして、徹は黙って山菜おこわを食べ続けた。時々もらす嗚咽は、聞こえなかったことにしてあげよう。
・・・
その数日後、少しだけ大きめのバッグを抱えた徹が、ひとり静かに部屋を出ていく様子を、となりの室田さんちのクソガキが目撃していたらしい。
・・・
・・・
つづく