Grazie グラッツィエ -2ページ目

Grazie グラッツィエ

何も気にしない日記、それは私にとってGrazie(ありがとう)の場所。

今月だけで、2回も父の夢を見た。





1度目の夢は、どこか岬近くの村に私はいて、


雨が近いせいか、空は薄暗かった。





家々を行き来するための道は、そこに住む人たちが、


草を踏み倒したり、刈り取ったりして作った道だった。


私は小走りでその道を歩きながら、


どこかの家の駐車場に向かった。


それは、空き地のような駐車場で、とても広く、


私はそこで、ダンボール箱くらいの大きさの物を


いくつも運ぼうとしていた。





それは、泥と藁を固めて作ったような軽い物で、


雨で濡れる前に移動させなければいけないと思ったのを覚えている。





私のいた位置から少し離れたところに車庫があって、


そこには軽トラックが止まっていた。


誰かに頼んでそれを使えば、もっと効率よく運ぶことができるのに、


なぜか私はそうせずに、


自分の手と足だけで、その物体を運ぼうとした。


そして、それを持ち上げたものの、


私はどこに移動させたらいいのか、いまいちよく分からないまま、


その場にずっと立ちつくしていた。





その物体が何なのかすら私には不確かな状態で、


だけど、私が持たなくてはいけないもののような気がして、


そして、それは、だんだん、


元々私のものだったのではないか、


そんな気持ちが、実感とともによみがえるように湧きあがってきて、


自分の掌と同化していくような感じがした。


私は、


自分の手から、これが離れていくのは嫌だと思った。





すると、いつからいたのか、どこから来たのか、


父が私のそばに来ていた。





横から、今までの私の動向を見ていたかのように、


「そうするんやったら、こうした方がいいんちゃうか?」と、


手伝うでもなく、少し遠慮がちに私にアドバイスをくれた。


「あれをこうするってこと?」と、


私の唇は、父の意図を確認するように勝手に喋っていた。





私の頭は、どうするのかを理解していないのに、


私の口は、分かったような口を聞く。


起きている現象に、脳だけが追い付かない。


自分の耳と脳が、こだまのように遅れて理解する。


とても不思議な感じがした。





父は複雑そうな笑みを浮かべて、ゆっくり頷いて、


やはり手を出すでもなく、


ただ、見守るように私を見ていた。


父がなぜそんなに遠慮がちであるのか、


なぜそんな風に複雑そうに微笑むのか、


私は微かな疑問を感じた。


でも、それ以上に、


これを運ぶことの方が、その時の私には大事なことで、


そこまで考えをめぐらせられなかった。


今振り返って思い出すと、


疑問を感じたその瞬間から、なぜか私は、


これは父のためにも運ばなくてはいけないんだという意識になった。


父が遠慮がちにアドバイスをしたのも、


複雑な笑みを見せたりしていたのも、


そういうことだったからなのかもしれない。


心のどこかで、私にそれをさせたくないという思いがあったのかもしれない。


もしくは、今自分にできないことを私にさせているという、


何か、自責の念のようなものを感じていたのかもしれない。





父のおかげで、


この物体をどこでどうしたらいいのかが分かった瞬間、


雨が一粒、二粒と、私の頬に落ちてきた。


知らない間に、


雨はミストのように、そこら中を優しく静かに湿らせ、


その村一帯に、長くたくさん降り注いだ。


知らない間に、


父と私は、傘のような、でも傘よりも広範囲に守るものに覆われて、


雨の中、その物体を移動させようとしていた。


ただ見守るだけの父と一緒に。














2度目の夢は、昔住んでいた家の2階にあった私の部屋にいた。


なぜかそこはダイニングのようになっていて、


ダイニングテーブルにイスが4つ置いてあった。


私は、窓に背を向けた位置に座っていて、


向かいのイスに、いつの間にか父が座っていた。


私は嬉しくて、笑顔で声を掛けるように「あ、久しぶり」と父に笑いかけた。


父も嬉しそうに笑顔を返し、


私の目を見ながら喋りかけてくれた。





何を喋ったのか忘れてしまったけれど、他愛もない話を二人でしていた。


そのついでに、私の職場で行方不明になった雑誌がどこに行ったのか、


父なら分かるだろうと思って聞いてみた。


私は心の中のどこかで、雑誌がなくなったのは、父のイタズラだと思っていた。


でも、父は「うーん。」と唸って、


「鞄に要注意やな。」とだけ言った。


私は父のイタズラじゃなかったことに少し残念な気がしつつ、


やはり奪われたのかと、少し悲しい気持ちになった。


その雑誌の行く末を案じながら、


私は、父が職場の様子をずっと見てくれていたことを知って、


少し嬉しい気持ちになった。





すると、どこからか母がやってきた。


母には父が見えず、私が一人で喋っているように見えた。


母は、私を見て可笑しそうに笑っている。


父がそこにいるよと私が言うと、


父の前に突然おちょこが置かれて、父はそれをつまみ上げて見せた。


私の目には、父がおちょこを持ち上げる姿が見え、


少し見方を変えれば、おちょこだけが宙を浮かんでいる両方の状態が見えた。


きっと、母は目を丸くして驚くと思った。


そして、とても幸せな気持ちになって、嬉し涙を流すと思った。





でも、母には、おちょこすら見えていなかった。


驚きもせず、ただ何もない空中に手を伸ばした。


私の目には、母の手はおちょこに触れられたはずの軌道をたどっていた。


そして母は、父と身体が重なる位置に自分の身体を寄せた。





その瞬間から、


まるでフェードアウトするように、


父の身体はどんどん薄れて、透明度を増していき、


父は、ほんの数秒で、


何かに溶けるように、私の目の前から姿を消していった。





私は、


笑顔のまま、両手で顔を覆った。


本当に小さく、母に聞こえるか聞こえないか程度の声で泣いた。


また独りか、


私の心は、そう呟きながら、


笑うように泣いていた。





でも、父とゆっくり話をすることができたこの時間は、


私にとっては、


思いがけず、かけがえのない時間だった。





幸せだった。


父と何かを話せたことが、ただ幸せで、


驚くほど、心が安心した。


今まで、感じたことがないほどの安らぎが、


その時の私の中に、拡がるように確かに存在した。





目が覚めた今も、


まだそこに存在していて、


父に触れられることの歓びを、


このままずっと感じていたいと思った。
悲しみが止まらない。

最近、そんな日が数日続くことがあった。

それは、やまない雨のように、いつまでも心の中で悲しみが降り続ける。



悲しみが止まらない。

とめどなくあふれるのではなく、止まらない。

ただ悲しみだけが止まらず、涙があふれ出る。



悲しむ動機も分からない。

ありすぎて分からないのか、

何かのトラウマが知覚することを拒むから分からないのか、

それだと認めたくない気持ちが、その軋轢として生んでいるからなのかすら分からない。

見当もつけられず、ただ立ち尽くすように、

従順に悲しみを流していくことしかできなかった。



悲しみの動機を探すたびに、悲しみが何度も私を襲ってくる。

まるで傷をエグられることを恐れる人のように、何度も私に襲いかかる。

そして私は泣き続ける。

そこで気付く。

悲しみが、こんなに人に痛みを与えるものだということを、

私は初めて痛感する。

紙で手を切った時のように、

涙を流すたびに、心にひとつ、ふたつと、切り傷が増えていく。

やがて、痛みを恐れるようになり、泣くことが怖くなっていく。

けれど、涙として流さなければ、どんどん自分の中で滞留していく。

出口のない自分の中に、どんどん滞留していく。



切れた傷は、自己治癒力で治せるけれど、

傷を与えるもの自体は、愛をもって接さないかぎり治せない。

ちょうどその時の私は、愛が欠けきった状態だった。

人生で初めてだと思う。

あんなに長く、誰にも愛を持って接せられなかったのは。



私は、どうすれば自分の中に愛が戻ってくるのかが分からなかった。

そして、何に対して愛を注げば、この悲しみから救われるのかが分からなかった。



人を愛する気持ちになれない自分を、どうしても愛せなかった。

だから、悲しみを止められなかったのかもしれない。

でも、悲しみを止められない理由は、たぶんそれだけじゃない。



抑圧と自分への憤り。

できたはずのやりたかったことができずにいたことへの抑圧。

伝えたいことが伝わらないもどかしさ。

伝えたいことがあるのに伝えない率直でいられない自分や、

無意味に周りにガードをはる自分、

言葉にするか否かを誤る判断力のない自分、

表現力と言葉に乏しい自分、

そんな自分への憤り。

それらを発散する場を持とうとせず、

自分の中にどんどん溜めていった。

爆発して流れ出すのは、時間の問題だったのかもしれない。



そして、あの悲しみの本質もまた、違うところにある。

分からないと言いながら、たぶん気付いていた。

厳密にはやっぱりまだ本当に分かっていないけれど、

大きなくくりで見ると、これに尽きると思う。



自分への憐れみ。



自分の何に対しての憐れみなのかが、よく分からない。

こういうことだからだろうかと、いくつか推測してみるけれど、

違うことを裏付けるものがある以上、確定は遠のいていく。



ひょっとしたら、気付かない方がいいことなのかもしれない。

悲しみは人を傷付けるんだということを知って、

誰にも愛を持って接せられない人の気持ちを体感して、

それらを経験した上で、今また人に愛を持って接せられるようになった。

それだけでいいのかもしれない。

今は、それでいいのかもしれない。

何となくそれで納得してしまっている自分が、今はいる。
今日もカイロプラクティックやってきました\(^O^)/

授業前に軽く2時間ほど自主練&友達とやり合いっこをしていたら、

授業前から疲労感が漂い始め、ちょっと空回り気味の受講時間でした(笑)



自主練していた部分は先生に褒められたけれど、

それ以前に、触診の時に触れなければいけない骨を見つけるのにとっても苦戦した。

この辺りという検討はつくのに、ヒットしない。

でも先生は一発で当てる。

私は、患者さんの体を見て、骨をイメージする訓練ができていないんだと痛感。

初歩の初歩ができていなかった。



そんな、またもや不完全な感じで非常にモヤモヤしたので、

学校付近のバールで一人酒やっています。

最近禁酒傾向にあったので、お酒がおいしくてマジたまらん!!キャハハ



こんなモヤモヤ気分の時には、

私は、カンパリオレンジで自分に頑張れよと励ましをかけてやりますpink ニコガッツ煙







甘くて苦いカンパリオレンジ。


舌を痺れさすような苦さが、自分の苦い思いに同調し、


カンパリ特有の甘さが、それを包み込むように受け止めるふふ


「苦さも味わいの中の大事な一部分を担っているのよ。」


「だから、別にいいじゃない。」


そう言われているよう。


『食べて、祈って、恋をして』の映画で出てきたあるセリフを思い出す。


「不調も調和の一部なんだよ」


このカクテルは、私に大事なことを教えてくれる愛すべきお酒うっとり







甘くて苦いカンパリオレンジ。

あなたってホント最高゜+。:.゜ヽ(*´∀`)ノ゜.:。+゜

I love カンパリハートハートハートぺろっ