どうやら世の中には大学で四則演算を学ぶところがあるらしい。
そもそも四則演算なんて小学校時代に学ぶものであって、中学、高校、大学ともなればもっと先のモノを学ぶのでは?と思うのだが、そうでないところがあるらしい。
この問題の根幹は、大卒が当たり前という現状にあると思う。
そうでなくても、高校から私立でもなんでもすべり止めで入らなきゃ行けないという風潮が良くなかったと思う。
その流れで行けば、大学だって、私立でもなんでも入らなきゃ行けないという風潮になってしまう。
そんなもんだから、誰もが行けるようにするのであれば、習うべき学問のレベルにも影響があるのは仕方のないことだと思う。
しかしながら、義務教育ではないにも関わらず、そこに至るのが当たり前という現状が、現代の少子高齢化を招いている一因のような気もする。
子供の学費がバカにならないからだ。
そして、社会に出るのが遅くなるというのも、その一因になっていると思う。
この辺はとても難しい問題でもある。
若くして働き、親となることは、子供へ自分のリソースを注ぐことに他ならないからだ。
自分のことは後回しになり、子供達を想って、夢を応援すれば、あっという間に中年期。
それは嫌だと自分達を優先すれば、晩婚化や、そのまま独り身。
キャリアを優先すれば、子供を育てるのは誰かの助けがなければ不可能だし、核家族化が進んだ近年、保育施設を利用しなければそれもまた難しい。
あちらを立てればこちらが立たず。
うまくやったつもりでも、子どもが順調に育ってくれるとは限らない。グレるかもしれないし。
子どもが調子を崩せば仕事を休まなきゃいけない。
でも、急に休めば周りに迷惑がかかる。
その中で安定した地位にいることは難しいし、誰もが代わりが利く仕事かと言えば、そうでもない。
ただ、子供がある程度の年齢になってしまえば、親も自由が利くようになるので、それまでの辛抱といえば、そうかもしれない。
でも、そんなこと言ったって自分の人生好きに生きたい、みたいな感じもある。
結局、何を選択するのか、というところでもある。
最近では、人権がどうとか、自由に生きる権利がどうとか、個人の自由に着目されて、どんな生き方でも良いじゃないか、という世論みたいなものがあると思う。
まあ、それはそれでいいんだけど、いわゆるステレオタイプな、一般的な幸せを求めたって良いじゃない?とも思う。
多様性を求めるのなら、古風な意見も否定してはいけないのよ。
実際、新しい考えが素晴らしいかというと、流行り廃りが激しいからよくわからんし。
固定観念を払拭するのも大事だとは思うけど、一周回ってそこに落ち着くという話もあるじゃない。
さて、タイトルに立ち返って、大学で四則演算?と言う話なのだけれど、この流れでいけば、大学で四則演算を習ってもいいじゃない?という主張に持っていきそうな気もするけど、そんなのはお金の無駄なので、四則演算を学び直せる職業訓練校で良くね?と思うのでした。
そもそも、何のために大学行くねん、という話。